生まれ変わった男
ギナンの家は下層部の商業区にある更に居住区。木造と石壁で組み上げた建物の中にあった。商業区は収入もあるためか使用する金銭の量も多い為か一般居住区よりも大きめなのが特徴である。その中でも大きい側に区別されるギナンの家は遠くからでもすぐにわかる作りになっていた。
「あれは遠くからでも目だつな。いい目印にはなる」
意図的なのかそうでないのかは建てた本人に聞かなければ解らないが周囲の建物とは造詣が違っていた。四角い建物が多い中でギナンの家は四角錐のようなものだ。上に行くほど尖っている。
石壁、というよりも石を積み上げて造られたであろう壁は異彩を放っている。
商業区の中でも待ち合わせ場所などに使われているようで周囲に良く人が立っているのも特徴か。
高めに面積のある窓を誂えていて陽光を取り込んでいる。しかしぱっと見で入り口が見当たらない。そこで外からは見えない場所に玄関を設置しているのは防犯の意味も含めているのか裏手に回り、扉を見つける。壁と同じ色をしているので判別しづらいが扉は木製だ。指の差込があるのでそこに引っ掛けてから扉を引いて開ける。
ギナンの家に入ると丁度すぐ近くにいたカプチーノが迎えてくれた。ギナンの容態を聞くと医者に診て貰ってから自室で安静にしているとの事だ。この世界では大きな傷や病気の場合は医者に来てもらい、基本は自宅療養だ。
「父さん、フォンさんが帰ってきたら部屋で待っているからって伝えてくれって言ってたんです」
「ん。わかった。案内してくれるか?」
「こっちです」
家に入るなり、カプチーノの案内でギナンの部屋に向かうことになる。カプチーノの後ろについていくと、一つの扉の前までやってきた。
「父さんはこの中ですね。あんまり騒がないでくださいね?」
「わかってるよ。見舞いと挨拶とちょっとした話したらすぐに出るから」
「はい。それと、お風呂を沸かしておきますから入ってください」
上目使いでそこまで言うとカプチーノが離れていった。森暮らしのフォンは基本は水浴びで身体を擦る程度でしか洗わない。両親にも何度か言われたがこれが一番楽だった。
少しだけ軽く笑ってから軽くノックをする。カプチーノの小さな手で叩いた扉は木の乾いた音がよく鳴った。
「父さん、フォンさんを連れてきましたよ」
「お。帰ってきたか。入れてくれ」
「はい」
中からギナンの声がした。カプチーノが応答して扉を開けると部屋の片隅にアル大きなベッドに横たわっているギナンがいた。一見するとただ寝てるだけに見えるが掛け布団の下は包帯が巻かれているんだろう。嗅覚の鋭いフォンには部屋の中の薬品の匂いですぐに判別できた。
「こんな格好で悪いな。まあ、こっちに来てくれ」
「 ん。 」
小さく答えて部屋の中に入る。カプチーノは扉を閉めると廊下を足音と立てて行ってしまった。ベッドの傍らに立つとギナンが口を開いた。
「元冒険者、っていう矜持があったとはいえ油断したもんだよな。護衛もやられちまってチノを護る事しか出来なかった。お前がいなかったらきっとだめだったろう」
「……そんなことを言うな。今がよければそれでいいだろう」
「まあそれはそうなんだがな。で、だ。今のところ俺はこんなで暫く動けそうにない。フォンにゃ悪いんだが、暫く此処にいてはくれないか?」
「……わからん。はっきりと言え」
「俺が動けるようになるまでチノを見ててくれないか。ってことだよ。この町での衣・食・住、全部面倒見てやるって込みでな」
母を亡くしたカプチーノには、父がこんな状態では寂しがるだろう。という配慮らしい。しかも受ければ衣食住の面倒も見てくれるという。
野宿なら慣れている──というか、毎日が森の中での野宿だったのだから別に問題はない、と言ったらギナンとカプチーノが心配するからと言われて受けることになった。
「だとして、まずは服だな。その格好で今日は町をうろついたんだよな……駄目って事はないが……」
「これが動きやすいからな」
「あとでチノに用意させよう。ともあれ、だ。暫く宜しく頼む」
「わかった」
少し休む、と言ってギナンは深く息を吐いてからベッドに沈むようになった。眠るなら邪魔をしては、と考えてフォンも静かに部屋を出て行くと扉の向こう側にカプチーノが立っていた。
「お話終わりました?」
「ああ。暫くここにいることになった。宜しく頼む」
「本当ですか!よかったです。父さんが動けないんで忙しいんですよね。配送した荷も今日付けで渡せましたけど次がいつあるかわからないですし」
カプチーノとしては仕事のほうが滞ってしまうのを何とかしたいみたいな心配げな顔だ。身長差があるのでカプチーノの頭に手を置いて軽くなでてやると目を細めて受け入れた。
「あ、お風呂もう入れますよ。着替えも置いておきましたから。ごゆっくりどうぞ!」
「ん。ありがとう」
すぐに入れるというので案内してもらう。水周りが集中して置かれていて、脱衣所もこの家族のものにしては大きめだ。
「じゃあ、ごゆっくり!」
脱衣所の中までは流石についてはこなかった。獣皮の服を簡単に脱いでから風呂場に続く扉を開ける。其処にはやはり脱衣所と同じかそれ以上の広がる空間に掘られた風呂があった。
周囲を岩で積んで目隠しにしていて外からは見えないようにちゃんと配慮も施してある。
「……水浴びじゃないのか?」
いつも水浴び程度でしかなかったので使い方が全く解らずにいたが、湯船に浸かるだけでいいと決めて風呂に入ろうとするが、言わずもがな水ではなく、湯であるために片足を突っ込んだ状態で驚きの声を上げそうになったがすぐに足を引っ込めて声も我慢する。
「っ……なんだ……水じゃないのか」
よく見れば湯気が出てるのですぐにわかりそうでもあるのだが、フォン自体水から湯気が出てるのは冬の寒い日の朝に川や池で見る程度だ。
暖かい湯に入るという習慣が無い身としては仕方が無いので手で湯を掬って身体に浴びせて擦る。ある程度まで終わらせたところで充分として風呂を後にする。石鹸もあるのに解らないというのは怖いものである。
「さて……」
濡れた髪を手櫛で整えても硬くなった毛は纏まるわけも無い。頭を振って水気が無くなればそのままで脱衣所へと戻ると、カプチーノが用意していた着替えが籠の中に置いてあった。獣の皮の服は脱衣所には無い。どうやらこれを着ろということのようだが着方は昔両親が着ていたものとなんとなく似ていることを思い出して時間を掛けて着替えた。
黒いスラックスズボンに黒カッターシャツ。白いネクタイもあったがつけ方がわからないのでそのままにした。
恐らくギナンのものだろう。サイズが少しばかり大きめだ。だからか、生地が突っ張ることも阻害されることもないので動きやすいと言えば動きやすい。脱衣所を出てさっきも通った廊下を歩いていくとリビングにカプチーノがいた。
「あ、フォンさん。お風呂どうでした?ここら辺じゃ中々ないんですようちのお風呂みたいなのって」
「ん。ああ、風呂ってあの熱い湯のことか。びっくりした」
自慢げな顔でカプチーノが寄ってくると、まだ微かに濡れている体を見て、
「フォンさん……ちゃんと洗いました?拭きました?」
「……?」
「…………ちょっとこっちへ」
言ってる事が良く解ってないような顔をして首を傾げると腕を掴んで脱衣所へと引き戻されてしまった。振り払えば離せそうだが勢いがあるのでそのまま連れて行かれた。
「もー!ちゃんとお風呂に入るんだから身体も洗わなきゃ駄目じゃないですか!石鹸だってあるのに!まさか湯船にも入ってないとか言うんじゃ!?」
「石鹸……?ああ、あの湯なら浴びたぞ。こう、手で──」
「はい決定です!もう一度入りなおしましょう!手伝いますから!」
生まれてこの方石鹸なんか見たこともないので何を言ってるのか解らない。入り方を片手でジェスチャーしたらカプチーノの顔が真っ赤になった。
脱衣所に入って着替えた服をすぐに脱がされる。
「あ、ネクタイも準備したのにつけてない……結び方わからなかったのは、しょうがないですけどそのままってのはちょっと傷つきましたね」
着替えた服を畳んでから籠に入れる。全裸になった状態で再度の風呂。対するカプチーノは簡素に濡れてもいいように袖とスカートの裾を捲くっている。
まるで子供のように手を引かれて中へ。身長的には逆なのだが。
片隅にある座椅子にフォンを座らせてお湯で頭から浴びせてから石鹸で髪を洗い出す。
「フォンさんの髪、硬いのか柔らかいのかわからないですね。しっかり洗えばちゃんとするでしょうに……あ、かゆいところありませんかー?」
「そうなのか?よくわからないが……あ、そこ。そこが痒い」
言われた場所をよく洗ってから湯で流す。泡と汚れが一気に流れていって綺麗な濡れた黒を現す。
「うわ……黒くて綺麗。これでずっと洗って無かったとか勿体無いですね……」
ふくれっ面をしながら余分な水分を髪の毛から取り除いてから次は身体へと進めていく。
「背中流しますけど他の場所は自分で洗ってくださいね?」
「ん」
短い返答。ソレを聴いてから背中に摩擦される感覚を感じ取る。強いようでいて優しい洗い方だ。背中を洗うのが終わったのか石鹸で泡だらけになったタオルを渡して、
「あとは自分で洗ってください。それで擦れば汚れが落ちますから。あ、右足の先から洗うといいです。心臓から遠い場所から洗うといいそうで」
「わかった」
渡されたタオルで言われたように右足先から体中を擦っていく。泡の出が悪くなるとカプチーノが湯を足してきてまた泡がよく出た。全身を洗い終えてまた湯を掛けられて泡を流す。
一度では泡は流しきれずに二度、三度と湯を掛けてもらってから、湯船に入るように促される。
「熱い中に入るのか……」
「普通は入るものですよ?健康にもいいですし、気持ちいいですから!ささ!」
「あ、ああ……」
勢いに圧倒されながらも湯の中に入る。さっきほどの熱さはなく、片足を入れて確かめてから全身を、肩まで浸かる。
「そのまま……フォンさん。数字は100まで数えられましたよね?」
「…………」
「沈黙は肯定とみなしますねっ!100まで数え終わったら出てきてください。いいですね?」
「あ、ああ……」
「い・い・で・す・ね?」
返答することも難しそうなので黙って頷いて肯定した。ソレを見届けてからカプチーノが出て行くと一人で風呂を堪能する。いや、これからフォンには嘗て無い試練が訪れる。
100まで数えるという試練。最近やっと覚えた100までの数字を頭の中で数えてからゆっくりと立ち上がる。一瞬だけ目の前がぐらついたがすぐに立ち直して脱衣所へと向かう。
脱衣所には準備万端整ってますよ!という感じにタオルを広げてカプチーノが待っていた。
「身体、拭きますね。あ、背中は拭きますけどあとは自分でお願いしますよ?」
後ろを向けさせられてタオルで水分を拭いていく。ソレが終わればタオルを持たせて残りをフォンに任せて拭かせていく。ちゃんと拭かせた後でさっき用意した着替えはぬれてしまったので洗濯に出して新しい着替えを着せていく。基本のスラックスとカッターシャツはそのままで。
「ウン……父さんの服だけどやっぱり似合いますね」
「やっぱりギナンのか。俺には大きくないか?」
「似合ってますよ!」
「大きくないか……?」
「似合ってますよ!」
二度目でもう諦めた。生地がいいものなのか肌に触れるのが気持ちいい。これで終わり、と思わせておいてまだです。と言われて近くの椅子に座らせられる。強めに髪の毛を拭いてから、髪型を整えて今度はやさしめにタオルではさんで叩いて乾かしていく。
「フォンさんの髪は結構いい髪質ですよねえ。勿体無いですよ」
「そういうものか?俺はよくわからないが……」
「折角いいものなんですからちゃんとしたほうがいいです」
「そういうもんか……」
少し時間を置いてから終わらせるとこれで終わりと自信作を前に満足げの笑みを浮かべた。獣の皮を着ていたときとは違い、髪型を整えたおかげではっきり見えなかった顔も整ったものだとわかる。やや中世的な印象を持つフォンの顔は背も高いからか全体的に華奢には見えずに年相応の外見になった。
「うん……私すごい!フォンさんがこんなに変わっちゃうなんて……フフ……ふふふふ……」
「……色々とありがとうなカプチーノ」
「いえいえ!楽しかったですから問題なしです!」
カプチーノが含み笑みを浮かべてフォンをじ、と見ていると親指を立ててやり遂げた顔をしている。これはそっとしておくべきだろう、と本能が言っているので黙っておくことにした。
「あ、チノって呼んで下さい。カプチーノって長いですし」
「ん。わかったよ、チノ」
「はい」
うれしそうな笑みを浮かべる。こうもころころと表情が変わるのも面白いな、と思いながらチノの頭を撫でてやる。嬉しそうなそれでいてくすぐったそうな顔で撫でられている。
そこでどちらともなく腹の音が聞こえてきた。大きな音と小さい音。
「あ、ごはん食べましょう。父さんも呼んで来ますから先にリビングに行ってて下さい。場所、わかりますよね?」
「ああ。最初にあった大きなところだろう?」
「はい。じゃあ、すぐに準備とかしてきますから」
そこでチノと別れて脱衣所から小走りで出て行った。ギナンを呼びに行ったと言うが動ける状態なのか、と考えてしまった。無理をしなければ大丈夫なのだろう。じっとしてるのも身体に悪いだろうし。
遅れてフォンも脱衣所を出て廊下を歩いているとギナンの居た部屋から叫び声が聞こえた────
「チノと風呂に入っただとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!????俺とはもう入ってくれないのにフォン貴様ああああああああああああああああああああああああああ」
どうしてこうなった