序章~2~
少年は自らの名を口にする。 フォン、と。
黒い髪に紫の瞳を持つ少年がこれから先、進む未来と共に────歴史に名を残す者として。
「フォンか。ガキの癖にいい名前だな。よし、じゃあフォンよ。お前、これからどうするか宛てはあるのか?」
「いや、無いな。適当にこの道を歩いてただけだ。特に目的も無い」
「そうか……」
ギナンと名乗った商人は商人としては第一印象は無く、どちらかと言えば力自慢のイメージだ。筋骨隆々。その言葉がよく似合う褐色の肌の大男。戦闘等によるものではなく、日常的に使う筋肉が無駄なくついている。歯茎をむき出しにして笑うその顔は屈託の無い笑みで向けられた者から不信感を取り払うこともできるだろう。とにかくそういう男だ。
そしてそいれはフォンにも当てはまった。無表情ながらこの男には少し惹かれたのもある。何せ両親以外の人間に始めて会ったのだから。
父以外の大人の男。そういえば父もギナンほどではないが筋肉で身を纏っていたのを思い出す。
「まるで父のようだ」と不意に漏れた呟きをギナンは聞こえはしたが今それを突っ込むべきではないと思い、口にはしないでおく。
馬を軽く撫でて視線と笑みをフォンに向けて、次の言葉を繋ぐ。
「町まで行くなら乗せてってやるぜ?まあ、その分仕事も手伝ってもらうがな」
「町か……どんなものか見てみたいのはあったな」
「なら丁度良いじゃねぇか。俺はお前を街に連れて行く。その代わり仕事を手伝う。こういうのをギブアンドテイクって言うんだ」
そうなのか、とフォンは知らない言葉に声を出す。
「よくわからないがそうならそれでいい。よろしく頼む」
「おうよ。ああ、ちょっと待てよ。おおい、チノ!カプチーノ!」
フォンの了承を得たギナンが幌馬車のほうに声をかけると名前を呼んだ。幌馬車は外からは見えないように垂れ幕で入り口もふさいでいたので今まで中身が判らなかったが御者側から幕を開けるように一人の女の子が顔を出す。
「はい。なんです?馬車が止まって少ししますけど」
「おう、元気みたいだな。同行者を見つけたからな。町まで一緒に行くから仕事教えてやってくれ」
「あ、そうなんですか。わかりました。今だと荷のチェックくらいだけど」
それでいい、と促す。褐色の肌のギナンとは対照的に真白い肌の女の子だ。唯一色のあるのは紅い瞳だがフォンを捉えて笑顔を見せた。幕を使って日陰にいるのは無意識というか、既に自然に近い位の素振り。
「娘だ。ちょっと体が弱くてな。陽の光も駄目なんだがこうして幌の中なら大丈夫なんだ。ほら、中に入って仕事覚えてくれよ」
「ん」
「あと……娘に手ぇ出したらぶん殴るからな?」
右の拳を握ってフォンの目の前に突き出す。顔半分にもなろうかという程の大きな拳だ。
流石にそれは、と思いながら促されるままに後ろに回って馬車へと乗り込む。色々な荷物がある。米や食べ物、雑貨が見られた。
前方にはこじんまりとスペースが空けられており、其処がプライベートスペースになるのだろう。垂れ幕から離れたカプチーノが座っている。
「はじめまして、カプチーノです。チノって呼ばれてます」
「フォン、だ」
「お仕事を手伝ってくれるって事で助かります。えっとじゃあまずは……」
短めながらに自己紹介して早速仕事をこなそうとチノが教えてくるのをフォンは半分理解して半分勘でこなしていく。
あんまりにも難しいものは理解の範疇にないみたいなのをチノにはすぐにばれてしまった。
「フォンさん、字は読めます?」
「この絵みたいなのか?数は多少いけるがそれはわからない」
「じゃあ、先に簡単なのを教えていきますので覚えてくださいね」
ある程度荷物を整理したところでチノから言われたのはフォンの文字に対する認識だった。物がはっきりとわかるものはいいのだが、包まれていたりするものは判らなくてチノに聞いてしまっていた。荷物には文字で名前を書いてあるのだが、フォンにはそれが文字と判らないことを理解したのだ。
ならば、と簡単な文字だけでも今すぐに覚えてもらわないと、という事で早速講習が始まった。
現状では物がたくさんある。商売用なので包みを開けることはできないがそれでも剥き出しになっているものは使えるということでギナンに許可を取ってマンツーマンで授業を開始する。
チノが驚いたのはその知識の吸収の良さだった。教えればちゃんと吸収していくのだ。ソレもかなりの速さで。二日程経った時には荷物の全てを文字つきで理解して、書ける様にまでなった。
「覚えるの早いですね。これなら今後も楽そうです」
「こっちは必死さ。ついていけるように頑張ってはいるんだ」
「フフ、まるで子供に教えてる感じです。フォンさん、お兄さんみたいなのに」
チノはこの知識の速さに少し戸惑いを感じながらも人に教えることの楽しさを先行させて考えないようにしていた。
一日中馬車を操り続けているギナンもチノの楽しそうな顔に何も言わなかった。フォンはこの父娘に感謝しつつも合流して二日目の夜に、
「森の中じゃ必要最低限のことしか覚える必要性が無かった。だからあんまり知ってることは少ないみたいだ。チノから教わることは楽しい」
「私もここまで教えがいのある人は楽しいですよ」
「チノに此処まで言わせるたあいい拾いものしたみてぇだな」
馬車を停めて外でキャンプ。火を熾して干し肉とスープという夕食を食べながら今後のことを話し合う。
「で、フォンよ。町まであと一日半ってところだがそれからどうするつもりだ?」
「よくわからない。ただ行ってみたかっただけだしな。何があるのかもわからないから何をしようにも」
「そうか。なら二つ道を教えてやろう。一つは冒険者だな。ギルドに言って登録すればすぐになれる。まあ、魔物やらと闘うことになるが」
ギナンが指を立ててレクチャーする。町のギルドに登録して冒険者となる。これはこの世界ではもっともポピュラーな職業だ。どんなものにもなれるし、何しろ待遇がいい。
高ランクであるなら国からのフォローがある。Aランクなら国が召抱えることも可能だ。
「そしてもうひとつはこのまま俺ン所で働くって手だな」
「ギナンの所でか」
「おうよ。町から町に渡って荷物を運んだりな。まあ大抵は町に居座って売買が多いが」
提案された二つを考える。ギナンからは筋がいいとも言われたし、チノから教わることも多い。だが、狩りをメインにしてきたフォンとしては商人というのもなんだかしっくりこなかった。
なら──
「なあ。二つ一緒ってのは駄目か?」
「んぁ?どういうこった?」
「ああ。だからさ。ギナンの仕事を手伝いつつその冒険者ってのになるってやつだよ。俺はほら。森暮らしが長かったからあんまり知ってることが無い。だからチノにはまだまだもっと押してほしいことがあるし、このままギナン達と離れるのもなんか嫌だ」
「そりゃ構わないがな?チノはどうだ?」
「私も、そのほうがいいです。まるでお兄さんができたみたいで嬉しいですし」
「だ、そうだ。ならフォン。お前はこれからうちのモンだ。嫌だっていうくらい色々教えてやるから覚悟しとけよ?」
「ああ。よろしく頼むよ。ギナン。チノ」
フォンと触れ合う度に二人はフォンの無知さはすぐにわかった。森で暮らしていたからというが、ソレにしては知識が偏りすぎているのだ。
それをフォローする為の講習だ。
「チノ、お前の知識をフォンに分けてやってくれ」
「はい父さん。これから厳しくやっていきますから覚悟してくださいね?」
「ん。よろしくチノ」
聞けばチノの母はチノを産んですぐに体調を崩して亡くなったらしい。ギナンはその後、後妻を娶らずに男手ひとつでチノを育ててきた。
チノもそれに応じて幼いながらも商才を発揮し、知識を得てきた。13歳にしてこの一家の財政を取り仕切るほどだ。
フォンへの『教育』もほぼ完璧といっていい。近所の子供に教えるのと大差ないとチノはギナンに告げてもいる。
この二日で文字だけでなく知っていた数字のさらに上や、常識などを教え込んでたりするのだ。
「しかし、このしゃべり方はどうもしっくりこないな」
「あ、駄目ですよ?ちゃんとした喋り方ができてないと不振に思われちゃいますから」
「それは判ってはいるんだけどな。どうも……」
「あー、それでフォンの喋り方がおかしかったのか。どうも変だとは思っていたが」
「俺のしゃべり方はおかしいらしい」
「おかしいな」
「おかしいですね」
父娘が口をそろえて言う。無表情が少しだけ変化したフォンはもう何を言っても無駄だと知るとスープを一口飲んだ。
フォンは思う。こうしてにぎやかな食事もいつ振りだろうか、と。
ギナンもチノもまるで本当の家族のように接してくれている。両親を亡くしたフォンとしては懐かしむべく暖かさを与えてくれもしている。
そして迎え入れてくれたのだ。まだあって二日しか経っていない、身の程を知らぬ少年を。
簡素だったが十分な量の食事も終われば一息ついて、
「さてもうすぐ町だ。準備はしておくに越したこたないな。お前らも早めに寝ておけよ」
「はい。片づけが終われば」
「手伝おう」
ギナンが離れる。荷物の最終チェックに良くと言い残して席を立っていった。残ったチノとフォンは皿の片付けと焚き火の後始末を任される。
火は土を被せればすぐに消えた。夏といっても夜中でも寒くなることはあるが、幌馬車の中に居れば夜風も防げる。その為の広さも確保してあるのだ。
水桶に皿を突っ込み、汚れを落とす。洗剤など無いので直で手洗いになるがチノも手馴れた動きで皿を洗っていく。
「慣れ、ですよね。ずっとやってましたし」
「そういうものか。俺が獣を捌くのと同じようなもんか」
「同じようなもんです」
チノが笑顔を作る。絶えずずっと笑みを浮かべているチノにフォンはずっと生死の狭間にいた狩猟生活とはかけ離れたものだと感じ取っていたが幾度も向けられる笑顔に心が癒されていくのを覚えた。家族を失い、新しく家族を得た身としては、この父娘を守りたい、と。
「…………?」
馬車のほうで微かな音がする。金属の重なり合う音。だが、激しい。チノから教わった物が馬車の中にそんなものは無いはずだ。
視界に留められるが少しばかり距離のある場所。そこに馬車がある。フォンが向いた方向にチノも釣られて視線を向けた。
牽いていた馬が高く、長く嘶く。それは警戒。警報。
「どうしたんです?フォンさん」
「向こうで何か起きてる。チノは此処に」
「え、あ、はいっ……あ、父さん!父さんが馬車に!」
「──判ってる!」
馬車にはギナンが行っていた筈だ。其処で音が鳴っているとなるとギナンが鳴らしているんだろう。だがその音は──その音には聞き覚えがあった。
狩りをする時によく耳にする音。剣戟音。ゴブリンやワーウルフが武器を持っていることは多々ある。その際によく聞いていた刃同士が交差する音。
今までずっと何にも会わずにいたのが奇跡だったとでも言うように馬車の周りにいくつもの気配が集まっている。狙いは積荷の食料か。
「町まであと少しなのに……」
「チノはおとなしく隠れているんだ。いいな!」
ここで荷物を奪われたら大変だ。それ以前にギナンのことも気掛かりだ。腰にあるナイフを抜いてからチノが隠れるのを見送ってから一気に疾駆する。
できればチノも守りたい。だけど体が二つあるわけじゃないからそれは無理だ。なら、速攻で対象を駆逐すればいい。全力で駆ければ数歩で馬車へと辿り着く。
馬車の周りでギナンが闘っている。犬のような頭を持ち体毛に覆われた獣──ワーウルフだ。数は三。更に地面には三体のワーウルフが転がっている。
手には棍棒やショートソード、槍を持っている。武器を使うだけの知能はあると言う事だ。
「フォンか!チノは無事か!」
「チノには隠れてもらっている。加勢する──」
「フン!ガキに頼られるようじゃ俺も終わりだなぁ!っと!!」
彼の手にはロングソードが握られていた。使い古された……否、使い込んだ剣だ。血に染まりながらも武器としての役目を発している。
「こいつら狙いは積荷だ!馬車に戻ってきたら丁度いやがったんだ──絶対に近付けさせるなよ!」
ワーウルフの後ろで構えるフォンはその声を聞いて体勢を考える。三体ずつならいける。森ではもっと多くの数を仕留めてきたのだ。隠れる木々は無いがその時と同じ事をすればいい。
ショートソードと槍のワーウルフがギナンに。棍棒のワーウルフがフォンに向く。見た目からフォンの方が下と見たのか一人で良いと把握したのだろう。
中腰になりながら腰を落として右半身に。ナイフを軽く前に突き出すようにして構える。
「いつでも来い、なんて言わねぇよ──こっちからだ!!」
「プギャピィィィ!!!」
距離的にはすぐ近く。一歩踏み出せばワーウルフの間合いだ。一歩踏み出すと甲高い声が響く。同時に振り上げた棍棒がフォンの頭を捕らえて真っ直ぐ落とされる。
まさに一閃。棍棒の先端が風を切る音を出したくらいの速度だ。だがそこで右脇腹が開いた。右手のナイフを脇腹に差し込むように棍棒と体が交差するようにすり抜ける。
右半身になりながらフォンの右肩の後ろ──肩甲骨を擦り付けて棍棒が地面へと振り下ろされた。同時にナイフが脇腹の少し上、肋骨の上に載っている肉と脂を切り裂く。
「ピギャアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」
すぐに痛みが走ったのか声を荒げて叫んだ。踏み込んだ右足でやや背中を向けてしまっているが左足を右足の方へと向かわせながら身を反転。返す腕を思いっきり振ってナイフで首筋を斬る。
脇腹と首筋から夥しく血が噴水のように溢れ出る。血を浴びながら静かに倒れていくワーウルフを見送る。
「血抜きするならもっと抜かないと駄目だったかな……」
静かにワーウルフを見てフォンは食料として後で解体することを決めた。絶命したのを確認してからギナンのほうを見る。
ギナンはまだ闘っている。ショートソードと槍を相手にロングソード一本で戦っていた。闘いにくそうなのは槍を相手にしてる時だ。リーチが物を言っているのかすごく戦い辛いようだが、ギナンの雰囲気が手を出すな、といってるようでフォンはその場で見てるしかなかった。
「俺は引退したとはいえ元冒険者だぞ!チノを一人でも守ってきたんだ!嘗めんじゃねぇぞ、小僧ども!」
ショートソードのワーウルフの胸を突き刺して横に薙ぐ。声にならない断末魔だ。天に吼える様にして絶命した。
その影にいる槍のワーウルフが味方の体の影から盾にするように突き刺す。そのまま貫いて残心していたギナンを狙う。ロングソードの重さで腕が振られている合間にまだ動けずにいると、たった今絶命したワーウルフから槍が出てきて一瞬でも視界が向く。だがしかし其処から動こうにも体が流れてしまっているので回避も出来ない状況だ。
「ぐ、おおっ!!」
迫り来る槍を左手で払って狙いを外させるが思いのほか槍の速度が速く、腹に刺さってしまった。血が噴出す。が、槍の先端しか刺さってはおらずに残心の終わった状態で槍を掴み、一気にワーウルフ二体の首を刎ねた。手前のワーウルフで勢いと威力を削がれてしまったが後ろのワーウルフまでを斬り捨てる技量は流石、とフォンに思わせた。
「ギナン!」
戦いを制した男に駆け寄る。首も吹き飛んだのだ。もう生きてはいまい。
「俺は平気だ……チノは?無事か?」
「ああ。あっちで隠れてもらってる。それよりも怪我を見せろ」
「俺ぁ大丈夫だってぇの……まあ、ちっとはやれるのをみせてやらねぇとよ。お前のためにもな」
「俺の?」
刺された傷を手で塞ぎながら血だらけのロングソードを地面に刺してフォンの頭を撫でる。大きな手だ。父にもこうして撫でられてた事を思い出して目を閉じて受け入れる。
「あいつら、お前一人でもきっと全部倒せたんだろうなあ。でもな。それじゃ駄目なんだよ。お前や地のはまだ子供だ。そんで俺は大人だ。大人はな、子供を守る為にいるんだ。判るか?」
「ああ……」
「だからな。俺がやらないといけない場面ってのがあるんだ。きっと今のがそれだな。それに、大事な家族を守る為なら大人は百人力にもなれるってモンだ」
腹筋を絞めて傷から出る出血を抑える。応急処置をするからチノのところに行くというのでフォンは馬車の周りを見ててくれと頼んでゆっくりとキャンプ地に歩いていった。
「守る為、か……とうさんもかあさんも俺を守ってくれてたんだよな、あの森で……」
思い出すのは両親の顔と声。今まで守ってくれていたことに感謝をしつつ、新しい家族のために自分も守る存在になりたいと、空に光る星に誓う。
「今度はギナンとチノも俺が守るから……守る力が俺にも欲しいな──」