シノノメ
足が重い。
「えーっと…たしか華村先生の部屋は…」
大樹がつぶやいている声も蘭の耳にはぼんやりとしか入ってこない。
またあんな目で見られたらどうしようか。
今日初対面の相手だったとしてもやはり気持ちのいいものではない。
もやもやした感情が積み重なりひどく緊張してきたがそれでもやっとの思いで大樹の背中についていった。
「205…205…お、ここだここだ!」
大樹が立ち止まった部屋のドアには「205」と書かれた百均クオリティのナンバープレートが取り付けられていた。
「…じゃ、いくぞ?」
大樹は大きく息を吸い込み軽く素振りをした後、2回ノックをした。
「はい、どなた?」
相手の反応までの嫌な緊張感を感じる間もなく意外にもすぐにドアが開けられた。
「あ…貴方たち…」
「華村先生、俺達どうしてもお伺いしたいことがあって!」
蘭達を見てやはり怪訝な表情を浮かべた祥子。
その反応にドアを閉められてしまう可能性を考えたのか大樹はすぐさま用件を述べる。
祥子は少し何かを考えた後、部屋の外を見回し2人を手招いた。
「どうぞ、入って頂戴」
客間は全て同じ間取り、同じ家具が置かれているようで
自分たちの部屋と祥子の部屋は全く変わりばえしなかった。
ひとつ違う部分があるとすれば女性物の香水の匂いが漂っていることだ。
さっきから大樹が妙に緊張しているのはこの香りのせいだろう。
「すみませんなんか…女性の部屋に急にその…お、おしかけてしまって」
言葉を噛みながら目を泳がせている大樹とその隣で死んだ魚のような目をしている蘭を見比べて祥子は苦笑いを浮かべた。
「別に構わないわ。それで、私に聞きたい事って何かしら?」
本題を思い出し我に返った大樹は神妙な面持ちで祥子に向き会った。
「あの、さっきの懇親会での事なんすけど…あの後華村先生も牧野さんも逃げるみたいに部屋出てったっていうか…あ!勘違いだったらいいんす!でも蘭が自己紹介した後急に態度変わったような気がして…俺らそれが気になって」
祥子の顔から笑みが消え、まっすぐ2人を見据えている。
一瞬、蘭と目が合ったが蘭はすぐに目を反らしてしまった。
決して何か悪い事をしたわけではないのだが、責められるような視線にまるで自分が犯罪者か何かのように思えて蘭はいたたまれなくなった。
祥子は視線を蘭から大樹に移すと話を続けた。
「そうね…でもその前に私の質問にも答えて頂けるかしら?」
俯く蘭を心配そうに見ていた大樹がぱっと顔を祥子に向ける。
「は、はいっ!キャッシュカードの暗証番号とか以外ならなんでも!!」
「ふふ…貴方って面白い子ね」
祥子は手を口元に当て、くすくすとひとしきり笑うと少し真面目な顔を向けた。
「貴方達、このツアーへはどうやって参加したの?」
「へっ…?どうやってって…俺の叔父さんがツアーの子会社やってて…そのツテです。参加者足りないツアーがあって、それなら安くしてくれるって言うから。俺ら金ないし」
そう、と一言発し祥子はテーブルの上に置かれた赤い封筒を手に取ると2人に視線を向けた。
「一月ほど前にね、こんなものが私の所に届いたの。このツアーの招待状よ。ここいにる参加者…少なくとも私と牧野さんは招待されてここへ来てるってワケ。他の2人には確認していないけれど彼らにも多分コレが届いているんじゃないかしら?」
「しょ、招待状…すか?」
大樹も蘭も目を丸くし、怪しげな赤い封筒に釘付けになっている。
「そうよ、だから私、一般参加者がいたことにとても驚いているの」
「叔父さん、仕事テキトーだからなー…」
バツが悪そうに頭をぽりぽりと掻く大樹に「それだけじゃないわ」と祥子が続ける。
「一般参加者がいるなんて思わない理由は招待状だけじゃないの。この”ツアーの目的”がそれよ」
「ツアーの目的…?」
「この洋館はね、ある資産家の所有物だったの。数年前、所有者が亡くなったためにその遺言で国に売却されることになったのだけど。その資産家はこの洋館に遺産の一部を隠しているんじゃないかって噂になったのよ」
資産家?遺産?いきなりのミステリー小説的な展開に蘭が困惑する一方、大樹は興奮し、目を輝かせているようだ。
「その遺産を探しだす…そう、これはね、違法なツアーなのよ。だって他人の資産を勝手に踏み荒らすわけですものね。そんな中、事情を知らない”一般参加者”だなんて不自然だと思わなくて?」
祥子は悪びれもしない様子でくすりと笑う。
「はぁ?なんですかそれ。俺らが何かアヤシイって事? そっちこそ、違法って…分かってて参加したんですか?つーかコレ犯罪じゃん」
できるだけ祥子と目を合わせないようにしていた蘭だが、悪いどころかこの状況を楽しんでいるかのようにさえ見える彼女に苛立ちを覚え、キッと睨みつけた。
祥子は蘭の睨みをものともせず笑みを浮かべる。
「そうね、多くの人の血と涙に塗れた汚い遺産を漁る私たちはまるでハイエナ。最初は遺産なんて興味なかったけどそれも一興だとは思わなくて?」
「は、華村先生…?」
作家らしい、比喩まじりの言葉に普段の大樹なら興奮もしただろう。
しかし驚愕の事実と売れっ子作家の素顔に困惑を隠せないようだった。
「とぼけているわけじゃなさそうだし、そろそろ教えてあげるわ東雲君。この洋館の持ち主こそ【東雲冥臣】。かつて権力と金で多くの人間を死に追いやり、私腹を肥やした悪魔よ」