第1章-1
しばらく高速を走り続けていると、シンはようやく運転に慣れてきた。そんな頃に、
「頬に傷を入れてごめんなさい」
少女はぽつりと謝りながら、ポケットから出したハンカチでシンの頬を拭った。
左頬の血はとっくに固まっていたので、赤い色素はとれることはない。
でも、そんなことはどうでもよかった。彼女にさすられる頬が、ただただむず痒かった。
危うく運転操作を誤りそうにもなった。
「人間かMSかを区別するには、出血するかどうかで調べるのが手っ取り早いから」
「えむえす・・・?」
「・・・え? あなた、MSを知らないの?」
知っていて当然であるかのような口ぶりの少女。
「はあ、さっぱり」
「メカニカル・ストラクチャー、頭文字をとってMS。直訳すると機械仕掛けの構造体」
「ああ、なるほど、さっきのロボットのことを言うのか。しかし驚いた。いつの間にあんな出来のいいロボットがうじゃうじゃと・・・」
「もしかして私のことからかってる? それとも、頭でもぶつけた?」
「なぜ? 俺は本当に驚いてるんだが」
「MSは10年以上前から存在する。知らない人なんて、刑務所に服役していた凶悪犯くらい」
「・・・そうなの?」
シンの顔はひきっつっていた。
あんなものを見たのは今日が初めてなわけで、それが10年以上も前から存在していたなんて言われたら、余計に頭が混乱する。
その時ふと、未来の世界に転送されたのではないか? 馬鹿ばかしいと思いつつもそんな推測が浮かんだ。
「今って西暦何年なんだ?」
「2014年、10月15日」
彼女は律義に日付まで答えてくれた。
「2014年? 俺が住んでたのは2011年の10月15日なんだが」
学校へ行った日は14日だったから、終電に乗った時には既に日付が変わって15日になっていた。その帰りにシンは不思議な光に包まれたのだ。
それよりもだ。日付はぴったり合うが、3年のずれがある。これはいったいどうしたことか?
少女はやや眼を丸めてシンの横顔を見た。
「・・・やっぱりからかってる?」
「からかってませんって」
しかし、彼女の話によれば、2014年より10年以上も前、つまり2004年にはロボットが世の中に遍く知れ渡っていたということになる。
仮に、シンが3年後の未来に転送されたということにしても、まだまだずれが残っている。
2004年から後にも先にも、シンはロボットを見た記憶なんてないのだ。
記憶に残っているものは、自動車メーカーがつくった角ばったロボットくらいだ。
また人間そっくりなロボットでは、テレビ番組で見た、歩くこともできない、まだまだぎこちない動きの、試作段階の機械仕掛けの人形だけ。表情をつくることで精一杯そうに見えた。
つまり、今いる2014年と、シンが元々暮らしていた2012年の世界は、全くつながりがないということになる。
「どうなってるのか知りたいのは俺の方だ・・・」
シンはハンドルにしがみつくような体勢で嘆息したのだった。
それからまた暫くトラックを走らせていると、
「MSが最初に登場したのは今から14年前、工作機械や重機を生産している、あるメーカーが誕生させた」
シンがロボットに関して無知だということを認めたのか、助手席の少女はMSに関する説明を始めた。
「そのメーカーの名前はMF2」
「ん? 知ってるぞ! その名前、世界的に有名な会社じゃねえか」
シンの住む世界にも同じ名前の会社は存在していた。
ただ、その会社は言うまでもなく機械仕掛けの人形など生産していない。
工事現場で扱われる油圧ショベルや発電機などの建設機械、また工場内で使われる旋盤等の工作機械などが生産の主だ。
「そしてMSが世界的に広がったのが2005年を過ぎた頃。車やパソコンのように、どこの一般家庭でもMSを所持するようになった。介護の現場や、人間の立ち寄れない危険な場所でもMSは活躍するようになった。火災の現場などでその怪力を活かしたレスキュー隊や、銃や刀もほとんど効かないため、警察の特殊部隊としても採用された」
彼女の語ったことは、元いた世界にとっては理想のロボットの在り方だろう。
「MSが大いに活躍していたそんな頃、ある日を境に彼らは暴走を始めた。原因はわからない。ただ、世界的にほぼ同時にMSは暴走を始めた」
「世界的にって・・・?」
少女は淡々とした口調で、その質問に答えた。
「アメリカ、ロシア、中国・・・その他色々な国でMSは遍く扱われていた。それらが一斉に暴走を始めたの」
「マジかよ・・・。で、その暴走ってのは?」
「人間を捕獲して始末するようになった。あなたもさっきのやつに捕まっていたら、殺されていたかもしれない」
シンはただただ唖然とした。
「暴走を起こしたのは10月10日、今から5日前・・・なんの前触れもなくMSはただの殺人マシンに豹変してしまった」
「なるほど、それでえむえすとやらと敵対してるわけだ」
そして全く人を見かけないのも、五日間に及ぶMSの暴走活動のせいなのだろう。
電車の中で見た血溜まり、真っ黒に焼けただれた車の列、路肩に止まっていた車の中の血の飛び散った凄惨な光景、それら全てが、例のロボットに因るものなのである。
前方に料金所が見えてきた。
一般レーンとETCレーンがある。ETCレーンはバーが下りたままだが、一般レーンは無人で、そのまま走り抜けた。
料金所を抜けてから100メートル程行ったところで、
「ここで止まって」
「あ・ああ」
シンは少女の指示通りにトラックを路肩に寄せて止めた。
「渡したい物があるから、降りたら後ろに来て」
そう言い置くと、少女は先にトラックから降りていった。
エンジンを止めてから遅れてシンも外へ出て、トラックの後方に回ると、少女がコンテナの扉を開けて待っていた。