-妖蟲-
ずぶ濡れの状態で玄関を潜ると、
数人の巫女と一緒に悠の母親が現れた。
巫女は悠の隣りでぐったりとしている彰を丁重に支えると
奥の部屋へと連れて行く。
顔色を変えた母親は、悠の前で跪くと両手で頬を撫で
致命的な怪我が無いのを確認するとほっと息を着いた。
「無事で…良かった」
着物が濡れるのを気にせずにその腕に悠を抱き締めた。
先程までの緊迫した空気の中、緊張に堅くした体からゆっくり力を抜く。
「母さん…彰が」
「ええ…一緒に行きましょう」
立ち上がると、先程巫女が連れて行った部屋へと足を運んだ。
彰は濡れた服から軽装に着替えさせられて布団に横たわっていた。
苦しそうに眉を寄せて汗が滲んでいる。
「奥様、体内に妖蟲を入れられている状態です」
「よう……」
単語が出てきた瞬間に悠は身震いした。
巫女は布団を捲ると彰のシャツのボタンを開けて肌蹴させた。
そこには…蛇みたいなものが皮膚のしたを蠢いていた。
「何だよ…これ」
悠は布団の横に跪いてその尋常じゃない様子を見つめた。
震える手でそれに触れようとすると、
母親はそれをそっと阻止した。
「あなたが触れたら、余計に暴れてしまうわ…」
「そんな…どう、したら…!?」
巫女を見ると、巫女は悲しそうに緩く首を横に振った。
絶望に打ちひしがれて、悠は母親の着物を掴むと強く揺さぶった。
「このまま、親友を放っておけない!!」
「悠…あなたの体内に、これが入ればこの子は助かる。
けれど、そんな事はさせられない…それを、この子も望んではいないのよ」
辛そうにゆっくりとそう言葉を紡ぐ。
悠は涙を堪えて肩を震わせた。
「悠…」
「出て、行ってくれ…全員。俺だけにしてくれ…」
母親は暫く悠を見つめると、巫女らを見て部屋から出て行った。
巫女も心配そうに悠を見やるも、彰の衣類を直して大人しく部屋を後にする。
後には、彰の苦しそうな声だけが残った。
額に乗せられたタオルの下から、絶え間なく汗が流れている。
恐る恐るそれを取ると熱くなったタオルを氷水に浸して
再び彰の額へと乗せた。
何回それを繰り返したのだろう、
悠は今が何時なのか把握出来ずにいた。
温くなった水を取り換える、タオルを濡らす、その繰り返しだった。
彰は何を犠牲にしたのか。
失ったものは数知れない…運命さえも、悠に費やそうとしている。
「……俺は…」
何も、出来ないのか。
暗い部屋に蝋燭の火が揺れる。
鈍る思考で、母親の言っていた台詞を思い出していた。
『あなたの体内に、これが入ればこの子は助かる』
どうやって自分の中に取り入れる?
一体彰はどうやって取り入れたんだ?
思考は、そんな事ばかり考えていた。
もう、これ以上たくさんだった。
彰がそれを望まないと、分かっていても。
悠は、そっと片手を伸ばして彰の頬に添えた。
唇を彰のそれに近づければ、
一度は妖蟲を取り入れた事のある体が、小刻みに震えた。
触れるか触れないかの瞬間、悠の手首を何かが掴んだ。
「…こういうのは、もう少しロマンチックにしたいもんだな」
「…あ、きら…」
一度瞳を伏せると大きく息を着いた後、彰は悠を見た。
「…何しようとした?まぁ、想像はついているけど」
手首を握っていた手が離される。
まるで叱られた子のように、悠は言葉を飲み込んだ。
「流石にな、お前の中にこれを戻すわけにはいかない」
「でも…っ」
「死なない方法は、あるさ。
…悠、もしかして俺の母親から何か預からなかったか?」
言われた時、別れ間際の彰の母親の姿が脳裏をよぎった。
悠は急いでポケットの中を探る。
出てきたのは、鈍い青に光る勾玉だ。
「これは…俺の母親が大切にしてた、父親の形見だ」
「そう、だったのか…」
「さっき、悠を守ったのはこれだろうな」
悠の手の中から彰がそれを受け取ると、
途端に彰の体がビク、と大きく跳ねた。
驚いた悠が彰の胸元を見ると、布団の上からでも分かるくらい
下で何かが暴れまわっているのが分かる。
「ぅ、く…っ、どうやら…中にいるのはこの玉が嫌いらしい」
額のタオルが落ちて彰の顔が苦痛に歪む。
ギリ、と玉を握る手に爪が食い込んで、やがて一滴の血が布団を染めた。
「…この玉は、恐らく妖を寄せ付けない力がある。
これを今から…体内に入れる。効果は分からないけど。
…悠、もし俺が助かったら…」
何故か、彰の声は冷静だった。
悠は耐え切れずに今まで塞き止めていた涙を溢れさせた。
「もし、とか言うな!!」
「…助かったら、言いたい事がある」
溢れた涙は布団を濡らした。
滲む視界に彰が写る。
何かを言いたかったのに、悠は言葉を発する事が出来なかった。
「…聞いて、欲しい」
祈るような言葉が彰の母親と重なった。
悠は両手で布団を握り締め、何度も頷いた。
緩く笑みを浮かべた後、彰は血の滲んだ掌の中にある玉を飲み込んだ。
「うぐっ…あぁあッ!!」
一層の苦しみに彰の口から聞くに堪えない叫びが発せられた。
一瞬たりとも、悠は彰から目を背ける事が出来なかったが
その叫びに連動して、震える声で彰の名前を叫んだ。
やっとここまで辿り着きました。
次回、最終回です。