親友
駅のホームで次の電車を待つためにベンチに腰掛けて何気ない日常を眺めていたら、ジャケットの内ポケットのスマホが震えた。メールなら放っておこうと思い無視していると、振動が終わらない。電話か。
ディスプレイには知らない番号。
「はい」
「もしもし、黒川さんの携帯ですか?」
「はい。どちらさんでしょうか?」
声に険がでてしまう。まあ私の携帯番号が流出してても不思議ではない時代だ。
「東島だよ! 覚えているかっ?」
忘れるはずは無い。かつての親友、三〇代中頃、誰にも何も告げずに突然消息を断った男。
「忘れるはずないじゃないか! 聞きたいことが山程あって話したくないほどだよ!」
「なんだそりゃ? 俺は好かれてんのか嫌われてんのか?」
「どっちでもねぇよ。かつての親友ってだけだ。おい、東島! 悪いがいったん切るぞ。何時にかけ直したらいい?」
「今日ならいつでも大丈夫だ!」
ジャケットにスマホを放り込んで到着した車両に乗り込む。
午後二時。車内は空いていた。物憂げに映る中吊り広告が眠気を誘う。
(東島。生きてたか。まずは良かったな。俺達は生きてさえいりゃなんとかなんのさ。生きることだよ生きること。ちょっと先だって予測がつかねぇんだぜ!)
かつての親友からのおもわぬ電話に、もうすぐ五〇に手が届く私の心は珍しく弾んでいた。
コンサル先を廻り終え、社に連絡した。
といっても、私と秘書兼電話番しかいない会社だが。
「なにか、新規の案件などきたか?」
「社長がご存知でしょう?」
秘書の朱沢さんの怜悧なお言葉。
「それを言われると何も言えないな」と苦笑。「今日はもう閉めて貰って構わないよ。私は直帰するから。お疲れ様」
さて、東島の件だが、現在が四時半。まあ丁度いい時間か。
どうせ飲むだろうからと、財布を確認すると万札が一枚。
ツケの効く店を選んどく必要があるな。
JR不忍口から少し歩くと不忍池がある。
近隣に西郷隆盛の銅像で有名な上野公園もある。
不忍池の畔の竹製のベンチから、さきほどのナンバーへコールバックした。
東島はすぐ出た。新宿のPという互いに旧知の店で六時半に待ち合わせた。
早く電車に乗って新宿へ向かわないとラッシュに巻き込まれる。
私は中央線で新宿へ。
思ったよりも早く着き東口から吐き出されると、少しアルコールを入れておきたくなった。
二度と逢えないと思っていた親友に逢うというシチュエーションはなんとも心の置所が不安定だ。
私はゴールデン街のOという馴染みの飲み屋へ向かった。少し早いが開いていることを期待した。
Oはマスターの菊ちゃんが丁度シャッターを開けている所だった。
「菊ちゃん!」声をかけると、
「黒ちゃん!」といつもの調子で笑顔で迎えてくれた。
「どうしたの? 身体でも悪いの? こんな早い時間から始めるなんて」
菊ちゃんはカウンターを潜って対面に立つと、チャームを出しながら気さくに喋り始めた。
「なんで身体が悪いと早く飲むんだ?」
「朝早く起きてランニングでもするんでしょ?」菊ちゃんはニヤニヤしている。
「それは逆に健康に悪いんじゃないのか?」私も普段の調子が戻って来る。
ここで神輿を落ち着けたいが、六時半からの約束があるので、ビール二本で決着をつけた。
Pは歌舞伎町の雑居ビルの中にある。私はしばらく訪れていないが、なーに、営業してなくても東島と逢えれば問題ない。
Pの看板に灯が点っている。
重厚な木製の扉を開け、店内を一過すると、東島らしき人物が手をあげて合図をだしていた。
私はなぜかすばやく東島が陣取るボックスへ。
「久しぶりだな! 黒川!」
片手を挙げて私を迎えた東島は順当に齢を重ねていた。
どう形容しても五〇男、だった。
身なりは品のいいスーツとインナーにポロシャツ。腕時計はオシアナスだった。どうやら生活には困ってないらしい。今夜は私が借りる側になりそうだ。
Pは大事な話だと伝えれば融通をきかせ、テーブルにボトルとバケット、マドラー、グラス等を揃えて従業員は下げておいてくれる。
店長以下、口が堅いのでまず話が漏れることはない。
案の定、従業員はテーブルについていない。
私は大仰にボックスに腰掛けた。
「東島! 久しぶりの前に、どこに消えてたんだ?! 俺にも言えないことだったのか?!」
私は東島を詰りながら、グラスにロックアイスとシーバスを注いだ。
「それがな、色々あってな……」
「五〇年生きて色々無いほうがおかしいと俺はおもうがね」
「なんだ?! ご機嫌斜めかぁ?」
「そんなことじゃねぇ! なんで俺に相談してくれなかったんだ!」
「すまん……」
「本当に心配したし、淋しかったよ。親友が突然いなくなるのは…………。やめよう。過ぎたことより、再開に乾杯にするかッ!?」
東島はアッシュグレイ(ただの白髪)の頭を私に向かって下げ、飲んでいたレッドアイのグラスを私の差し出したロックグラスにカチリと合わせた。
「まぁ、無事そうで良かったよ。金貸してくれではたまらんからな」
「ご覧の通りだ。苦しくはないが、先のことなどわからないしな」
「飲もうか。話があるならそれから聞く」
「ああ」
Pで派手に飲むつもりはないが、地味に飲んでも足らんのは確実なので、ここは店長に伝えといたほうがいいと判断した私は、ボックス脇を通りかかった店長を捕まえて耳打ち。
「鎌田さん、悪いんだけど、今日の分、カケてくれないかな?」
「黒川さん、心配御無用ですよ」
鎌田店長は親指を立てて二カッと笑った。整えられた髭がダンディだ。
結局、三四件寄ったのか、思い出横丁まで流れ着き、二人はアルコールを含んだスポンジのようになっていた。
思い出横丁の焼き鳥屋で東島に、トイレだ、と伝える。
ここでは店内にトイレがないので、横丁内の共用トイレを使用するのが基本だ。
トイレから戻ると、焼き鳥を頬張った東島(コイツは昔から健啖家だ)がいかにも秘密という感じで誰よりも明快に内緒話をしようとしていた。
変わらなさに苦笑した。ま、もう夜も深い。真に受ける暇人もいないだろう。
「何だ?」話しづらそうだったので、口火を切ってやる。
「実はな、人生で一度だけ、過去の決定を変えられる権利をお前に譲渡しようと思ってな」
「ふーん」
「ふ、ふーんってお前、こんなことは滅多に、いや、ありえないことなんだぞ! しっかりしろッ!」
東島は自己の告白が与太話と受け取られたと感じたらしく、眼前の銚子を二、三本倒し、ぐでぐでになりながらも憤っていた。
「お前がしっかりしろ!」
私は店主に東島の狼藉を詫び、東島のイールスキン財布から万札を抜いて渡した。
東島に肩をかしてやる。
新宿三丁目あたりのガードレールに凭れた東島。
煙草も吸えない街になっちまって……まったく手持無沙汰だな。
私は軽くイビキをかきはじめた東島に言った。
「お前と絶交したのを取消したんだ。最も大切なものを何か一つ、とかソイツが言ったから、親友より大事なもんがあるかよ? と聞いてやったよ! 昨日来た奴も東島だったな」
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