速攻
「あんの、クソ……」
新妻の部屋へ戻って来るなり、ヴェールを片手で頭から剥がしざっくり丸めてベッドへ投げつけた。
ブーケの花はそっとテーブルに置く。
「フラン様おいたわしや……」
フランチェスカの侍女は主人の慎みのない言動を窘めることなく、よよと芝居がかった仕草でハンカチで目元を拭く。
「サラ、見た? あの馬鹿が招待客の女と未練たっぷりに見つめ合っているの」
「もちろんですよ。あの、愛の激情劇場」
ばさりばさりと乱暴にフランチェスカはドレスを脱ぎ始め、サラは後ろからせっせと手伝いながら相槌を打つ。
「めちゃくちゃ二人の世界に浸っていましたね。切り裂かれた悲劇のヒーローとヒロインになって、目をウルウルさせていましたよ。アレに気が付いた人たちみんな、呆気に取られていましたよ」
「でしょ? そうよね? それが世の常識と言うものよね?」
「ウェンディ様はめちゃくちゃニヤついていましたけどね」
「そう。それよ! それなのだけど」
ドレスとコルセットから解放されたフランチェスカはシュミーズ姿で両手を腰に当ててくるりと振り向いた。
「あれって、例の『パトリシア・ベンサム伯爵令嬢』?」
義妹が二言目には『パトリシア・ベンサム伯爵令嬢の足元にも及ばない』と言って、フランチェスカを馬鹿にしていた。
だから、フルネームで覚えてしまった。
「おそらくは。私も彼女を見たのは子どもの頃だったから断言はできないけれど、フラン様と背格好がめちゃくちゃ似てますから」
フランチェスカは金髪碧眼で、パトリシア・ベンサムも同じらしい。
違いと言えばパトリシアの髪の方が色が薄くゆるく光沢のあるウエーブであるのに対し、フランチェスカはくりくりのクリクリした明るい金髪で、瞳の色もあちらは落ち着いた青でこちらは明るい青。
結婚式前の一か月からこの家に入ったが、化粧担当の侍女がフランチェスカの髪を入念にアイロンで伸ばしていたのは、落ち着いた雰囲気の貴婦人を演出するためではなく、チャールズの好みに寄せた……いや、アイツの指示に違いない。
ようは、パトリシア・ベンサムそっくりさんに仕立て上げられたのである。
顔合わせからチャールズの物凄いアプローチがあり、フランチェスカは戸惑ったものだ。
それだと言うのに、本物が現れた途端、ポイ、とは何たることか。
「あの変態。やっぱり、……コロス」
ふるふるとフランチェスカは唇を震わせた。
「あ……。イタっ」
「きゃー。歯に血がついています、お嬢様!」
バタバタと部屋の隅へ走ったサラは水差しを傾けて手巾を濡らす。
「なんか、勢いよくやったなと思っていたんですけど……。そういやなんかめちゃくちゃ痛い音してましたね」
「ええ。とても痛かったわ。前歯が無事なのを神と亡き母に感謝せねばね」
ありがたいことに、フランチェスカの身体は至って頑丈だ。
ヤツの前歯は多少ぐらついているかもしれないが。
というか、折れてしまえと念を送る。
「とにかく、まず今からやることを決めたわ」
「はい。何でしょう」
サラは両手を顎の下で組み合わせて、わくわくと期待に満ちた目で主人を見た。
「私は今から……」
「はい」
「重い食中毒に罹る」
「はい?」
***
「うう……。お〇△◇×~~っ」
「奥様~! ああ、おくさまあ~!」
扉越しにフランチェスカが盛大にえづく音と、専属侍女サラの悲鳴が聞こえ、廊下にいる侍女や執事たちはおろおろと話しかけた。
「あの……。フランチェスカ様……。若、奥様……」
「おお、お〇△◇×~~っ!」
すぐに医師が呼ばれ、新妻の部屋に飲み込まれた。
しばらくしんと静かになったのち、険しい表情の医師が出てくる。
「あの……。お医者様。若奥様はいったい……」
「あれは、重度の食中毒ですな。昨夜はいったい何を食べさせたのですか?」
「いや……あの、その……。普通の……鶏のソテーだったと思いますが……」
執事はしどろもどろに答えた。
背後に立つ侍女たちもキョロキョロと視線をさまよわせている。
彼らの顔に『後ろ暗い事あります』と書いてあるのを気づかぬふりで、医師は深く頷いた。
「そうですか。もしかしたらきちんと火が通っていなかったか……何か手違いがあったのでしょうな。三日三晩は嘔吐下痢が続くと思われます」
「え? それでは、これからの披露宴と初夜は……?」
「無理です。あの状態の若奥様を宴席へ出せると? あの食中毒は感染力が強いから、おそらく専属侍女も間もなく……」
医師が言い終える前に、またもや扉の向こうから鬼気迫る声が聞こえてきた。
フランチェスカを必死で介抱していた侍女だ。
「ああ、やっぱり。これは二人ともあの部屋に隔離するのが一番でしょう。なんせ、とてもとても感染力が強いようですからな。まあ、扉越しに必要な物を聞いて差し入れてあげる感じにしておけば、皆さんは無事ですよ」
胸を張って断言され、使用人たちは顔を見合わせる。
「お、奥様と……旦那様と……若様に報告してまいります!」
侍従の一人が体よく離脱した。
「なんてことだ……。前代未聞だ……。花嫁が食中毒で欠席だなんて……」
呆然と立ち尽くす執事の横から、そろりそろりと侍女たちも離れていく。
「まあ、私がしっかり診察致しますので。命に別状はありません」
にっこりと笑う医師の上着のポケットから、微かに「チャリ……」と金属音がした。
かくして、チャールズ・ブリッジ伯爵子息とフランチェスカ・ノートン男爵令嬢の披露宴は新婦急病の為、彼女不在で行われ、この国の通例である三日間の初夜は延期された。
そして、義妹ウェンディはすぐさまあちこちの茶会に出席して、花嫁不在の披露宴の真相を言いふらして回った。
「義姉ったら、食べ過ぎで食中毒ですって! 前々から食い意地が張っていると思っていたのよね。呆れちゃうでしょう? こんな生まれも育ちも悪い女と結婚させられて、お兄様ったら、ほんとうにかわいそう。ウェンディ泣けてきちゃう──」
ウェンディのブラコンぶりは社交界で知れ渡っている。
彼女がとっくに適齢期になっているにも関わらず婚約者すらいないのはその重症っぷりが原因だが、本人と家族は全く気付いていない。
その後フランチェスカがどうなったかと言うと、一週間を過ぎた頃に今度は『重度の胃腸炎からの衰弱による、悪性の風邪』に罹り、面会謝絶期間が延びた。
ほんの二日で胃腸炎を克服したらしい専属侍女のサラが甲斐甲斐しく世話をして、部屋の中と外の伝達係になる。
その間、チャールズ及び両親義妹はフランチェスカと直接会う事は叶わなかった。
風邪は二週間治らず、そのまま肺炎に突入。
そして、フランチェスカは『国一番のポンコツ嫁』の称号を冠した。




