第四話 アンサス·アラン
体中が黒く焼け焦げたアランは、まるで焚き火でパチパチと音を立てる薪のように、剥がれた皮膚が血を弾く激しい痛みに襲われ、その表面が灰となってパラパラと崩れ落ちていく。
焦げ臭さも喘鳴も焼ける痛みすらも、終焉が近づく絶望と恐怖に蝕まれていく。その自分自身に忘れ去られてしまうような意識の遠のきを感じながら、魔人の手から頭を離され、ドサッと地面に倒れ伏した。
自恃だけが残った最後の意識の中で、アランの瞳が光を失いながらも映し出したのは、道端に咲いた一輪の結晶花だった。
それをきっかけに、曖昧に残っていた過去の記憶の断片が、アランの脳裏を走馬灯のように駆け巡った。
結晶花。それは魔界にしか咲かず、虹色の輝きを放つ珍しい花だから、プレゼントにはピッタリだと思った。ソナと出会って間もない頃、その花をモチーフにした簪を彼女に贈った。
「綺麗…。嬉しいです、とっても。…アランさんの仕事って…まるで冒険みたいですね」
そんなこと考えたこともなかった。俺の悩みを打ち明けることもなかった。それでも君は、俺が探し求めていた答えを言ってくれた。いや、待ち望んでいたんだ。君の何気ない言葉に、俺は心底…救われた。
新しい命の誕生。それは結婚から二年が経つ頃だった。ソナは温かい涙を溢れそうなほど浮かべながら、授かった赤子の小さな体を優しく抱きしめていた。その二人の手に、喜びを噛み締めながら手を添え重ねることしかできなかった。
「ヴァイス…生まれてきてくれてありがとう。これからは、私たち…三人で幸せになろうね」
俺も同じ思いのはずだった。二人が俺を父親にしてくれたこと、すごく感謝してるんだ。大きな背中を見せられる未来を妄想して、バカみたいに舞い上がっていた。君の天使みたいに眩しい笑顔が俺に幸せをくれた。
あの人と交わした約束。それは結婚式を挙げるより少し前、ソナに黙って、直接会いに行ったときのことだった。子供が生まれてから、背負っていたものの重さに気づいて、結局、果たせなかった…。
「確かに…愛は全知の証にはならない。君も…私と同じというわけか。ここで打ち明けることが正しいとは思わない。だが、君の覚悟を信じて、託してみよう」
青かったはずの心は暗雲で埋め尽くされ、大地を激しく打ちつける冷たい雨飛沫の音にソナの声は掻き消され、姿さえも雨煙に霞んでいった。
思えば…彼女の全てを知るために、俺は愛を生け贄にしていた。
ソナとの別れ。昨年、二年の別居を経て、ついに離婚へと至った。三人で居られる最後の日、別れの言葉も思いつかず、黙って出て行こうとした俺の袖を、彼女は解れた縫い目の糸端を引っ張るように、華奢な指先で摘んだ。
「どうして…何も言ってくれないの?離れたくないって言ってよ…。ねぇ、アラン…私は、こんなこと望んでない。それに…あなたの顔を見れば分かる。…好きな思いは一緒でしょ?」
一緒に決まってる。離れたくなかった。でも、振り返ることはできなかった。俺は…君の手から伝わってくる小さな震えに、気付かないふりをしたんだ。その情けない背中に触れる空気は、まるで寂しさに凍えているように冷たかった。
君との距離は、思えば思うほど遠ざかってしまう。守りたいなんて綺麗事だ。…嘘だ。本当は…君の隣に相応しい男になりたかった。なれない自分が苦しかった。惨めだった。ごめん。ごめん。
「ソナ…。ヴァイス…」
そう呟きながら、アランの黒焦げとなった体は崩れる。その表面から零れ落ちる漆黒の灰と透明な涙が、空に浮かぶ天燈の火が燃え尽きるように、そよ風にサラサラと流され、徐々に消えていく。
その翌日、アテン王国の東端に位置する小さな町〈オスラン〉が紫色の炎に包まれた。その地は、黒い灰が吹き舞う平坦な荒野と化し、たった一人の少年だけを残して消えた。
窓から差し込む自然光だけの淡く静かな部屋で独り、切迫した表情で机と向かい合う老人は、無造作に捻れたグレージュ色の髪を掻き乱しながら、前日に起きたとされる魔界調査中の事故に関する資料に目を通していた。
──陽暈の盾東区所属:”アンサス·アラン”
その名を見た瞬間、老人は握り拳をバンッと机に叩きつけ、唇を噛み締めながら、潤む瞳から溢れそうになる涙を堪える。
「…そうか。君はここにいたのか…。愛に形はない。しかし、己の心の余白が誰かの心に形を求める。だから、ソナとの愛を見失わないこと。その約束を破らずとも果たさなかった君を…私は怒りに任せて殺してしまうかもしれない…なんて考えてた。だが、その手間が省けたよ…」
──無知から愛は生まれない。あの日、アランは私に、そう言っていたな。曇天模様だった心が、スーッと晴れたように清々しくなっていた。だから、正しさよりも信じたい気持ちを優先してしまったんだろう。
それから十年の時が過ぎた。
雪解けを告げる暁が昇り、開花を待ち侘びる桜の蕾が撫でるように優しく照らされる。その梢を伸ばす蕾が仰ぎ見る薄浅葱の蒼穹を、渡り鳥が鮮やかに横切っていく。
緑に囲まれた丘の中に小さく立つ、”クリム・ソナ”の名が刻まれた白大理石の墓石の前に、二つの影が並んでいた。
そこに立つ、薄手の黒いコートを羽織った少年は、白いカーネーションの花束を胸に抱え、静かに息を吸う。
「やっと…ここに来れたよ、母さん。あの日から、絶望と憎悪で目に映る世界を真っ暗にしてた。でも、今も隣に居てくれてるシュヴァールさんが、光の見えるところまで連れてきてくれたんだ。この先…絶望を乗り越えるまで続く…果てしない距離の道筋を、大空へ羽ばたき渡る旅鳥のように、真っ直ぐ進んでいくために…俺は強くなることを選んだよ。きっと、辿り着いてみせるから…見ててね」
凛々しい面持ちを見せる少年は、ゆっくりと屈み込み、抱える花束を墓の傍らに置くと、目を瞑りながら静かに両手を合わせた。
その隣に立つグレージュ色の髪をした老人、シュヴァールは、少年の背中に優しく手を添えた。
「ヴァイス、ここから始めよう。常磐の大空に飛び立つ、その一歩目を」
すると、ヴァイスは微笑みを浮かべながら、静かに立ち上がる。
「うん…。じゃあ、行ってきます」
ヴァイスとシュヴァールは、墓石に背を向け、悠々と歩き出す。
軽やかな緑葉と眩しい陽光の温もりを乗せた風が、その二人の背中を優しく押していく。
※この作品は、初作品「エリシオン·アル·レーヴ」の改訂版となっています。
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