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第五十七章 蠢く胎動



 夜明けの光がわずかに差し込む頃、澪たちはトンネルを抜けた。だが空気は重く、外に出てもなお血と腐臭がまとわりついて離れない。瓦礫に覆われた街は静まり返り、遠くで崩壊したビルが時折きしむ音だけが響いていた。


 生き残った仲間は五人。皆、体中に返り血を浴び、誰もが口を開けば吐き出してしまいそうな顔色をしていた。澪は無言で歩を進め、心の奥に残る囁きを必死に押し殺していた。だが、その沈黙を破ったのは仲間の一人、傷口を抱えながら歩いていた青年だった。


 「なぁ……あれは……本当に声だったのか?」


 彼の言葉に、全員の視線が宙に泳ぐ。誰もが聞いたはずなのに、誰も答えようとしなかった。声を肯定すれば、自分たちも狂信者たちと同じ穴に落ちるのではないかという恐怖が、彼らを縛っていた。


 そのときだった。足元の地面がわずかに揺れ、瓦礫の隙間からぬめりを帯びた音が響いた。澪が身構える間もなく、土中から黒ずんだ手が突き出された。指は膨れ上がり、皮膚が裂けて蛆が這い出している。死体の残滓かと思った瞬間、その腕は力強く動き、仲間の足首を掴んだ。


 「うわっ!」


 男の悲鳴と同時に、地面が崩れ落ちた。瓦礫の下から這い出してきたのは、半ば人間で半ば獣のように歪んだ存在だった。口は耳まで裂け、顎からは血に濡れた舌が垂れ下がっている。腹部は膨らみ、皮膚の下で何かが動いているように蠢いていた。


 「……まだ生きて……」


 澪が呟く前に、化け物は掴んだ仲間を引き倒し、胸を裂いてその中に顔を突っ込んだ。骨が折れる音、肉を啜る湿った咀嚼音が響く。仲間の断末魔はすぐに血に呑まれ、地面に飛び散った臓物が夜明けの光を反射した。


 「離れろ!」


 澪は叫び、短剣を突き立てた。刃は確かに奴の肩を貫いたが、化け物は振り向きざまに澪を睨み返した。その目は人間のものではなかった。黒く濁り、深淵そのものを映すかのように光を失っていた。息をするたびに、影の囁きが濃く響く。まるでこの存在そのものが声の源であるかのように。


 「血を差し出せ……」


 化け物の口が動いた。低く湿った声が確かに形を成し、澪の耳に染み込んだ。周囲の仲間は恐怖に硬直し、誰一人として動けない。澪は刃を握り直し、膝が震えるのを無理やり抑え込んだ。


 「お前たちは……人間じゃない!」


 澪の叫びとともに、仲間の一人が勇気を振り絞り、背後から化け物の膨らんだ腹を槍で突き刺した。瞬間、腹部が破裂し、腐臭とともに夥しい黒い塊が飛び散った。それは胎児のように小さなものから、蛇のように長くうねるものまで様々で、蠢きながら仲間の足にまとわりついた。


 「う、動くな! 踏み潰せ!」


 絶叫が飛び交い、地面を叩く音と肉が潰れる音が交錯する。だが黒い塊はなおも這い寄り、皮膚に吸い付き、血管を這い上がって身体の中に侵入していった。仲間の一人が悲鳴をあげ、腕を掻きむしった。皮膚の下で塊が蠢き、やがて腕を内側から突き破った。血と肉片が飛び散り、仲間の瞳は虚ろに濁っていく。


 「くそっ……!」


 澪は短剣で黒い塊を切り裂き、なおも抵抗を続けた。しかし、影の囁きは止むどころか増していく。血を差し出せ、生き延びよ。その言葉は甘美で、耳を塞いでも心に響く。仲間たちの目もまた、次第にその声に囚われ、理性を失っていくのが分かった。


 このままでは全員が呑まれる。澪は息を荒げながら叫んだ。


 「耳を塞げ! 声を聞くな! 私を信じろ!」


 彼女の声は必死の祈りにも似ていた。血と肉塊が散らばる瓦礫の上で、仲間たちは最後の理性を繋ぎとめようとした。だが、黒い蠢きはなおも止まらず、影の胎動は確かに街全体へと広がっていった。



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