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第三十一章 深淵の契り



夜明けの光が薄暗い街を染め始める頃、澪と遼、木戸は神崎の監視下で廃ビルの屋上に立っていた。風が冷たく、彼らの血で汚れた衣服を打つ。遼はまだ吐血の影響で呼吸が荒く、澪の腕にすがるようにして立つ。木戸は両腕に残る裂傷の痛みを堪えながら、周囲を警戒していた。


「これは……終わりじゃない……」遼の声は掠れ、苦痛に満ちていた。澪の手に残る血の感触が、彼の痛みを如実に物語る。


その時、背後から音もなく鴉の影が現れた。まだ生きていた彼の身体は血塗れで、片目は潰れ、皮膚には無数の裂傷が刻まれていた。だが、その瞳は狂気に満ち、怒りと嗜虐の光を放っていた。


「……お前ら、俺なしで生き残ると思うなよ……契約は終わってない……」


木戸は咄嗟に鉄パイプを振り上げる。鴉は身をかがめて回避し、血の飛沫を上げながら迫る。屋上は狭く、二人の戦いは文字通り命がけの近接戦となった。鉄パイプが肉に当たる音、骨の軋む音、そして血の匂いが夜風に混ざり合い、戦慄が屋上を支配する。


澪は遼を抱きかかえ、屋上の端で身を伏せる。だが視界の隅で、鴉の手が再びこちらへ伸びてくる。彼の指先にはまだ血と肉の感触が残っており、嗜虐的な笑みと共に恐怖が迫る。


「やめて……!」澪の叫びは、風にかき消される。遼はその腕を握りしめ、白目をむきながら震えていた。木戸は最後の力を振り絞り、鴉の腕を掴む。二人の力がぶつかり、鴉の体がバランスを崩して屋上の縁に寄る。血が滴り落ち、暗い影を地面に映す。


「終わりだ……!」木戸の叫びに合わせ、澪と遼も恐怖を振り払い、彼を押し戻そうとする。しかし鴉はそのまま笑い、狂気に満ちた力で木戸を突き飛ばす。木戸は血を吐き、屋上に倒れ込むが、手首で地面を掴み、必死に踏みとどまる。


その隙に、神崎が銃口を鴉に向ける。冷たい指先が引き金に触れ、銃声が夜明けの静寂を裂いた。弾丸が鴉の胸を貫き、血が爆発するように吹き出す。鴉は呻き声を上げ、身体をよじりながら屋上の端に倒れ、無惨に血塗れのまま崩れ落ちた。肉の裂ける音、骨の折れる音、そして最後に吐き出す血の匂いが澪たちの呼吸をさらに苦しくする。


澪は膝をつき、遼の肩を抱きしめる。二人の衣服は血で染まり、体温も冷え切っていた。木戸はまだ腕を震わせながら立ち上がり、瞳を赤く血走らせ、荒い呼吸で二人を見守る。


「……これで終わりだ……」木戸の声はかすれ、だが確かな決意が込められていた。血まみれの屋上に、ようやく静寂が戻る。しかし澪は知っていた。心の奥底に刻まれた恐怖と狂気の痕は、永遠に消えることはないだろうと。


三人は互いを支え合いながら、夜明けの街を見下ろす。遠くに輝く灯りは、希望とも絶望ともつかぬ色を帯びて揺れていた。血と痛み、そして裏切りと恐怖を乗り越えた者だけが、ほんのわずかに垣間見ることのできる世界。澪は震える手で遼の手を握り、木戸の肩に頭を寄せた。


深淵を生き抜いた者だけが知る代償。それは、肉体だけでなく魂にも刻まれる、生々しい傷跡だった。

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