第三十章 夜明けの代償
第三十章 夜明けの代償
地上に出た瞬間、澪と遼、そして木戸の眼前に広がったのは、無数の銃口とサーチライトの光だった。闇夜を切り裂くような眩しさに目を細めながらも、澪は必死に状況を見極めようとした。だがその光景は、彼女の想像を遥かに超えていた。そこに並ぶのは、警察の制服を着た者もいれば、私服姿で冷たい眼差しを向ける男たちも混じっていた。誰が味方で、誰が敵なのか、判別はつかなかった。
「動くな!」
低い怒声が夜気に響いた。銃口が一斉に彼らへと傾けられ、澪の身体は強張った。遼の肩を支える腕が震え、遼はその場で咳き込みながら吐血した。赤黒い血がアスファルトに散り、冷たい夜風に混じって鉄臭さを漂わせる。
「遼!」澪が叫んだが、その声すらも銃声にかき消されそうな緊張の中で震えていた。
木戸は咄嗟に両手を広げ、澪と遼を庇うように立った。彼の腕からは先ほどの戦いで受けた切り傷がまだ血を流していた。赤黒い染みがシャツを濡らし、滴が地面に落ちるたびに小さな斑点を作った。それでも木戸の眼差しは鋭く、前に立ち塞がる影を射抜いていた。
「お前らは……誰の差し金だ」木戸の声は掠れていたが、その響きには敵意と猜疑心が満ちていた。
その瞬間、人垣の奥から一人の女が歩み出た。黒のコートを羽織り、長い髪を夜風に揺らしながら、その女刑事は澪に鋭い視線を投げかけた。彼女の名は神崎。以前からこの街の裏を追っていたと噂される、美貌と冷徹さを併せ持つ警部補だった。
「ここまでよ、鴉の残党ども」神崎の声は低く、冷たい。だがその言葉に澪の心は大きく揺さぶられた。自分たちがまだ“鴉”の影に囚われていると告げられたように感じたからだ。
「待て、誤解だ!」木戸が叫ぶ。「俺たちは鴉に囚われていた!こいつらは被害者だ!」
だが神崎は一歩も引かず、冷ややかな笑みを浮かべた。「被害者?それはこれから裁く法が決めることよ。……血にまみれたお前らを見れば、誰が信じると思う?」
澪は震える唇を噛みしめた。頬にはまだ地下で浴びた血飛沫が乾かず残っていた。遼の衣服も返り血で黒く染まり、彼自身は立つことすら困難な状態だった。外見だけを見れば、確かに彼らは「狂気の宴」の加担者にしか映らないだろう。
沈黙の中、背後から鈍い音が響いた。地下室の鉄扉が軋み、何者かが這い出してくる気配。澪の心臓が跳ね上がる。振り返ると、そこに立っていたのは、まだ死にきっていなかった鴉だった。頭部から血を流し、片目が潰れかけていたが、その狂気の光だけは消えていなかった。
「……終わらねぇ……契約は……まだだ……」
鴉の声は掠れ、血泡を含んでいた。それでも彼の姿を見た瞬間、銃口の大半が一斉に彼へと向けられた。次の瞬間、夜を切り裂く銃声が響き渡る。無数の弾丸が鴉の身体を貫き、肉片と鮮血が飛び散った。澪は思わず顔を背けたが、遼の肩に鮮血が降りかかるのを止められなかった。遼はうめき声をあげ、虚ろな目でその光景を見つめていた。
鴉の身体は地面に崩れ落ちた。赤黒い血溜まりの中で痙攣し、最後には不気味な笑みを浮かべたまま動かなくなった。夜風がその血の匂いを運び、辺りに重苦しい沈黙を落とした。
神崎がゆっくりと銃を下ろし、澪たちに視線を戻す。「……さて。お前たちの番よ」
澪は凍りついた。遼を支える手に力を込め、木戸を見上げた。木戸の表情は硬く、まるで次に来る苦難を覚悟しているかのようだった。彼らを待つのは救いか、それともさらなる地獄か。答えはまだ、誰にも分からなかった。
夜明けは近いはずなのに、その光はまだ遠く、彼らを照らすことはなかった。




