第二十三章 血の警告
地下駐車場から必死に抜け出した三人は、都心の雑居ビル群の裏路地へと逃げ込んだ。夜の街は喧騒に包まれているが、彼らにとっては一つひとつの視線が監視の目に思えてならない。澪は吐きそうなほどに胸を締め付けられ、木戸の腕を握りながら歩いた。遼は冷静を装っていたが、内心は震えていた。
「ここ……安全なの?」澪が息を乱しながら呟く。
木戸は辺りを素早く確認し、答えた。「安全な場所なんて、もうどこにもない。だが奴らが一番恐れているのは“暴露”だ。今はそのカードを生かすしかない」
その時、路地の奥に停められた軽ワゴン車の扉が静かに開いた。中から現れたのは、くたびれたスーツ姿の男だった。頬はこけ、目の下に深い隈。手には黒ずんだ封筒を握りしめている。
「……木戸さんですね?」男の声はかすれていた。「俺は永光会の元信者です。これは――証拠です」
遼と木戸は警戒を解かない。男は震える指で封筒を差し出した。中には数枚の写真と、一冊のノートがあった。写真には、豪奢なホールで開かれた儀式の様子が映っている。壇上には血に濡れた白布。床には横たわる裸の男性信者の姿。その肌には無数の切り傷が走り、血が滴り落ちていた。周囲の幹部たちは狂気の笑みを浮かべ、杯を掲げている。
澪は思わず口を塞ぎ、涙を滲ませた。「……これは……何?」
「“血の契約”です」男は顔を引き攣らせながら言った。「二世信者を中心に、組織の忠誠を試す儀式。失敗すれば……死体は“献身の証”として闇に葬られる」
ノートには、日付ごとに儀式の詳細が書き込まれていた。参加した議員や大企業の役員の名も記されている。木戸の指が震えた。「これを公開すれば……国全体がひっくり返る」
男は弱々しく首を振った。「でも、俺はもう持たない。仲間が一人、こうされたんだ」
彼はシャツのボタンを外した。そこに現れたのは、火傷の痕と無数の刺し傷。皮膚はまだ癒えず、膿んでいた。澪は耐え切れず目を背け、遼の腕にすがった。
「俺は逃げて……奴らの追手に捕まった。仲間は、目の前で拷問されて……首を吊られた」男の声は震え、涙が滲んだ。「その時の血の臭いが、今でも離れない」
彼の話す情景が鮮明に浮かび上がる。地下室で、鉄の鉤に吊るされた男が叫び声を上げ、肉を裂かれる音が響く。仲間の信者たちが無表情でそれを見つめ、司祭が経典を読み上げる。血の飛沫が白い壁に散り、誰もがそれを神聖視していた。
「……もう逃げられない。あんたらに託す」男は封筒を木戸に押し付けると、ふらつきながら後ずさった。その顔は絶望に染まり、目の焦点は合っていなかった。
木戸は咄嗟に声を掛けた。「待て! 君も一緒に――」
だが次の瞬間、銃声が響いた。男の額に赤い穴が開き、彼は無言のまま崩れ落ちた。背後の屋上から、サプレッサー付きの銃口がわずかに光る。遼と澪は咄嗟に身を伏せた。血が石畳に広がり、鉄の匂いが立ち込める。澪の喉から悲鳴が漏れそうになり、遼は必死に彼女を抱きしめて抑えた。
「もう動いた。俺たちが狙われてる!」木戸が叫び、三人は駆け出した。背後で足音が迫る。追手はすぐそこまで来ていた。
夜の街は相変わらず明るかったが、三人にとっては地獄のように息苦しい。血で濡れた封筒を握りしめた木戸の目には、もはや迷いはなかった。彼らの戦いは、ただの調査ではなく――命を懸けた“抗争”へと変貌していた。




