21. 届いたはずの音、伝播する波紋
その夜、白崎玲音の限定ライブは、異様な熱をもって幕を開けた。
場所は都内の小劇場。普段はクラシックの小編成コンサートに使われる静謐な空間。
照明、音響、客席配置。すべてが玲音によって「最適化」されていた。
舞台に立つ彼女は、いつも以上に静かで、透明で、そして——神秘的だった。
けれど観客は誰も“異変”に気づかない。
むしろ、その“整いすぎた空気”に酔っていた。
玲音の歌声が響くたび、会場全体が静かに、同じ方向へ染まっていく。
◇◇◇
その客席に、ひとりだけ“別の色”を持った者がいた。
高原沙耶。
新一の幼なじみで、今は別の大学に通う彼女は、偶然このライブの招待枠に入っていた。
玲音のファンではなかった。
けれど、何かの縁を感じて足を運んでいた——それが間違いだったのかもしれない。
玲音の歌が、まるで誰か一人にだけ届けられているように感じた。
いや、違う。
——“彼”にしか向いていない。
その「誰か」が誰なのかを、沙耶は即座に理解した。
ステージの一番正面、ただ一人、玲音が繰り返し視線を送る人物。
「……新一……?」
心臓が跳ねた。
何年も会っていなかった彼。
でも沙耶は、あの横顔を、一目で見分けられた。
けれど、そこにいたのは——
ただ客として来ている新一ではなかった。
玲音の歌が、言葉が、目線が、呼吸すらが、すべて彼のためにある。
——まるで、“彼のもの”として組み上げられた空間の中心に、彼は座っていた。
周囲の観客たちも、その光景に何の疑問も抱かない。
むしろ当然のように受け入れ、時折うっとりと新一へ視線を向ける者すらいた。
玲音だけではない。観客までもが、“彼のためにある”ように振る舞っている。
沙耶は、背中にぞわりと冷たい感覚が走った。
——なにかが、おかしい。
でも、それを「おかしい」と思っているのは、自分だけ。
◇◇◇
玲音の最後の曲が終わったとき、観客席には深い陶酔が満ちていた。
鳴りやまない拍手のなか、玲音はステージを降りた……かに見えたが、彼女は迷わず客席の中央へと進む。
そして、新一の隣に立ち、静かに言った。
「お疲れさまでした。……どうでしたか、今日のわたし」
その言葉に、沙耶は耳を疑った。
彼女の声音には、仕事仲間への報告でも、舞台裏の挨拶でもない——
まるで“仕える者が主へと捧げる報告”のような、従順さと誇りがあった。
そして新一は、ただ静かに「よかったよ」と応えた。
……それだけだった。
なのに玲音の目は、満たされた者のそれだった。
◇◇◇
ライブが終わったあと。観客たちが出口に向かう中、ひとりがぽつりと呟いた。
「……私も、ああやって見てもらいたいな。玲音ちゃんに……じゃなくて……その……」
「彼の隣、空いてるのかなあ……」
「なんでだろう、名前も知らないのに……」
それは、誰に指示されたわけでもない。
でも、観客たちの中に“彼”の姿が焼き付いていた。
玲音の歌が、彼を中心に世界を描いた。
そのイメージが、“感情の形”として、他者に移った。
玲音というカリスマが、拡張の媒体となり、
“彼に仕えること”を、うっすらと“魅力”として流し込んでいた。
◇◇◇
沙耶は劇場の裏手で足を止めた。
胸がざわついていた。
怒っているのか、悲しいのか、自分でもよくわからない。
でも、わかることがひとつある。
あれは、新一じゃない。
いや、違う。
変わったのは、彼じゃない。あの女……玲音の方だ。
何が起きているのかはわからない。でも放っておけるはずがなかった。
かつて一緒にいた時間が、そうさせた。
沙耶は、携帯を握りしめた。
「会わなきゃ。……新一に」




