20. あなたに届けばそれでいい
玲音は、深夜のスタジオでひとり録音を繰り返していた。
既存のディレクターは退いてもらった。アレンジャーも変更済み。
理由は明確だった——「本当に届けたい相手」に、届く音でなければ意味がないから。
「私の歌は……もう、全員に向けてなんか歌ってない」
独り言のように呟き、ヘッドホンを装着する。
この声が、彼に届くならそれでいい。
すべての音が、新一のためのものになる。それは、自然な選択だった。
◇◇◇
一方その頃——警察庁地下資料閲覧室。
結衣は、張り詰めた空気のなかで、ある報告書に目を通していた。
《大学内観測対象:白崎玲音。カリスマ性による局所的秩序変調の疑いあり》
《接触記録に“新一”の名——再優先警戒対象と接続》
ページをめくるたびに、違和感が積もっていく。
玲音。
その名は、少し前までただの有望な若手アーティストにすぎなかった。
だが、急激な影響範囲の拡大と、一貫した視線の偏り。
「まるで、世界に一人しか“聴かせたい相手”がいないような……」
言葉にして、自分で驚いた。
それは、結衣自身にも覚えのある感覚だった。
◇◇◇
玲音は、スタッフにある指示を出していた。
「このライブ、限定観覧でやって。一般客じゃなくて、“選んだ人”だけで構成してほしいの」
「……選んだ?」
「うん。私の音が必要な人たち。**彼にとって“ノイズ”になるものは、最初から排除しておきたいの」
玲音は笑う。柔らかく、優しい表情で。
スタッフは困惑したが、カリスマの言葉は命令に等しい。
いつのまにか、現場が動いていた。
その選抜リストには、気づかれぬよう“新一”が中心に据えられていた。
彼に心を開きかけている者たち、逆に警戒心を抱いている者たち——すべて、玲音の視線の先にある。
彼を囲む環境は、玲音の手で静かに調整され始めていた。
◇◇◇
夜。結衣は庁舎の屋上でコーヒーを片手に立っていた。
「玲音……彼女も、“そう”なのか」
陽子の件以来、何かが世界の内部で静かに動いていると、結衣は感じていた。
誰もが、「彼のことを自然に優先するようになる」。
その違和感に、言葉を与えられないまま、心だけが騒ぎ続けていた。
そして今——白崎玲音という“外の人間”までもが、彼を中心にして動き始めている。
まるで、“秩序”が新しい地図を書き換えるように。
「……もう少しだけ、近づいてみよう。何が変わったのか、何を変えられたのか——確かめなきゃ」
結衣の決意は静かだったが、視線は研ぎ澄まされていた。
◇◇◇
玲音のライブ準備は着々と進んでいた。
照明も、音響も、客席の構成も。
すべては——“あなたに届けばそれでいい”という一心で。
彼が快適に、正しく、まっすぐに自分の歌を受け取れるように。
“他のすべて”は、そのために設計されていく。
——優先順位最上位、新一。
それは彼女の正しさであり、幸福であり、そして当然の前提となっていた。
誰もそれに疑問を持たない。
彼女自身ですら。




