アンドロメダの軍師
戦場は、殺気をはらんだ不穏な静けさのなかにあった――。
囁きかわす声はおろか、鎧の触れ合うかすかな響きも聞こえてこない。ただ軍旗のひるがえる音だけが、ハタハタとその静寂にあらがっていた。
将兵は固唾を飲んで戦況を見守っている。どの顔にも一様に険しい表情が浮かんでいた。
やがて、木と木のぶつかる硬質な響きが沈黙をやぶった。
――パチン
スピーカーから、おっとりした女性アナウンスがながれる。
〈後手、8六飛車〉
どよめきが起こった。
中央管制室の天井いっぱいに広がる巨大スクリーン。そこに棋譜が映し出されている。
ハルン・ノブルームは、床机に腰かけたままで、ぐっと天井を睨みつけた。
タックェイダー家の当主である彼は、この戦いにカーイ星系の未来を賭けている。侵略すること風のごとし。カーイの虎と恐れられる猛将の、乾坤一擲の戦いである。
が、それまで眉ひとつ動かすことなく指揮をふるっていたハルン・ノブルームも、序盤の優位をくつがえすこの一手に困惑をかくせなかった。しばらくして彼は、かたわらに控える軍師を手招いた。
「CAN数研、そのほう、この手筋いかが見る?」
軍師型アンドロイドCAN数研ハルユキは、底光りのする片方の目を向けて言った。
「敵はおそらく、車懸りの陣にござりましょうな」
「車懸り?」
「さよう、こちらの目線を飛車へ釘付けにしておいて、そのすきに次々と新手を繰り出す兵法にござりまする。されば、こちらは鶴翼の陣にて受けて立ちましょうぞ。左右から一気呵成に敵を押しつつみ、石火の動きで殲滅をはかるのです」
ハルン・ノブルームは鷹揚にうなずくと、中央コンピューターの前にすわる陣場奉行ハラマ・サッターネを呼び出した。
「隼人祐っ、ただちに陣替えじゃ」
サッと軍扇を振るう。
「十二段、鶴翼の陣っ!」
「御意っ」
ハラマが、すかさずキーボードをたたく。巨大スクリーンのなかでCGの指がスッと駒を動かした。
――パチン
〈先手、3三角成り〉
CAN数研ハルユキは、ヤーマンモートン社製の高性能アンドロイドだ。今まで彼の立てた戦術により数々の戦を勝ち抜いてきた。それゆえハルン・ノブルームは、この天才軍師に全幅の信頼を置いていたのである。
アナウンスが秒読みをはじめる。
〈四十秒……五十秒……カーン・ゲットーラ、七回目の考慮時間に入ります〉
タックェイダー四将のひとり、バーバ・ノブスプリング卿が大笑して言った。
「ふはははっ、ゲットーラのやつめ、手も足も出ぬようじゃわい」
今、彼らが対峙している相手は、エチェゴ連邦を支配するナグァオ家のカーン・ゲットーラである。長年タックェイダー家と覇を争ってきた、宿敵ともいえる存在であった。
――パチン
雀躍する声をやぶって駒が鳴った。
〈後手、4二金〉
CAN数研が含み笑いをする。
「むふふ、ゲットーラにしてはめずらしく守勢にまわりましたな。お屋形様、押し出すなら今でござりまするぞ。幸いこちらには豊富な持ち駒があります。ひとつそれを使って敵をネチネチいたぶってやろうではありませぬか。名付けて、キツツキの戦法――」
「面白そうじゃのう。ならばそちに任せる」
――パチン
「先手、4三歩打ち」
金や銀で守りを固める敵に対して、タックェイダー軍は手持ちの駒を惜しみなく使ってゆさぶりをかけた。じわじわと包囲の網をせばめ、相手を崖っぷちへと追い詰める。なすすべもなく兵を後退させる敵のすがたに、しだいに優越感が沸き起こってくるのを抑えられない。
このとき彼らはまったく気づいていなかったのだ。これが敵の策略であることを。カーン・ゲットーラは軍神といわれた戦の名人。みずからを毘沙門天の化身になぞらえる不敗の名将なのである。
やがて手持ちの駒が尽きたとき、それを待っていたかのようにナグァオ軍の反撃がはじまった。
――パチン
〈後手、8九龍〉
「なんとっ」
思わずCAN数研がうめいた。
ムカデの指物を背にさした伝令兵が駆け寄ってきて、沈痛な面持ちでハルン・ノブルームのもとへひざまづく。
「申し上げますっ。桂馬どの、お討ち死にっ!」
「おのれゲットーラめ」
あわてたCAN数研が防御のための一手を打つ。
――パチン
〈先手、6八銀〉
しかし守備へ向かわせた貴重な駒を、ゲットーラ軍は難なくたいらげていった。
――パチン
〈後手、おなじく6八龍〉
べつの伝令兵が悲鳴のような声で言う。
「銀どの、お討ち死にっ!」
CAN数研が鬼の形相で言った。
「ええい、このままやられてなるものか。南無八幡大菩薩っ、全軍突撃じゃあ、狙うはゲットーラの首ただひとつ。ものども掛かれーっ!」
〈先手、8六飛車〉
〈後手、おなじく8六銀成り〉
〈先手、2五角〉
〈後手、おなじく2五桂馬〉
「た、大変ですっ。たった今戦場にて飛車どの角どの相果てられました。ともに数条の槍を身に浴びての壮絶なご最期ですっ!」
ついにCAN数研は、片膝をついてがっくりとうなだれた。
「お屋形様、申しわけござりませぬ、それがしの不覚でござった……手持ちの駒を使い果たしたが運の尽き。もはや戦をつづけられるだけの兵が残っておりませなんだ。おそらくゲットーラは、最初からそれを狙っていたのでござりましょう」
おもむろに脇差を抜くと、その先端を腹の横にあるリセットボタンへ押し当てた。みずからのシステムをシャットダウンさせるつもりだ。
「早まってはならぬぞCAN数研っ!」
ハルン・ノブルームが厳しい口調で押しとどめる。
「そちはタックェイダー家にとって、なくてはならぬ存在。次の機会に挽回すればよいっ」
そして全軍を振り返り、大音声を張り上げた。
「投了するぞ。ものども、退き陣の支度にかかれっ!」
ジャンジャンジャンと退き鉦が鳴り、将兵があたふたと退却の準備をはじめる。スピーカーからは無情なアナウンスの声がながれた。
〈……以上、七十六手を持ちまして、川中島第二回戦はナグァオ・カーン・ゲットーラの勝ちとなりました〉
ステーションの中央管制室をまばゆい光が包み込む。一瞬の後、そこにいたすべての将兵はすがたを消していた。後方にある別のステーションへ転送されていったのである。
つわものどもが夢のあと……。
無人になった中央管制室には、置き去りにされた「風林火山」の軍旗だけが無残にも散らばっていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
二十二世紀。
他星系への進出を果たした人類は、星間条約の締結により、惑星間で起こった一争議のすべてをテーブルゲームによって決着づけることにした。
これにより戦争で命を落とすものはいなくなったのである。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ステーション海津のセンタールームで、タックェイダー軍は意気消沈していた。
そこへ急報がとどく。
三次元ホログラフィとなって現れた戦奉行のアキャーマ・トゥラシゲが、ひざまづいて言った。
「ご注進つかまつります。ただ今、ミカーワ首長国連邦のマツダィラー・エーヤスより宣戦布告がありました」
意気消沈していた将兵が、とたんに色めきたつ。
ハルン・ノブルームは、脇息に身をあずけたままでトゥラシゲに問うた。
「して、敵の陣容は?」
「はい、サッカイ・タダツゥーグを先鋒に、どうやらオセロゲームでの勝負を所望しておるようにござりまするが」
ノブルームの目が光った。
「ふん、こしゃくな。ミカーワの狸め、わしにオセロで勝てると思うてかっ」
軍扇を高々と振り上げた。
「ものども支度をいたせっ、出陣じゃあ!」
「おおうっ!」
ブオーウ、ブオーウと法螺貝が鳴り、陣太鼓が打ち鳴らされる。やがてステーション内は、割れんばかりのときの声に満たされていった。