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「元婚約者を見返すために婚約者のふりをしてほしいの」~魔術師令息の偽装婚約~  作者: 神田柊子


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偽装婚約者と元婚約者

「やあ、二人とも」

 ルイスが振り向くと、兄のクリフだった。伴っている女性は初めて見る。

 混雑を避けるために会場には早めに到着した。大夜会は、大広間をはじめ、中小の広間や舞踏室など王宮のたくさんの部屋を解放して行われる。ここはそのうちのひとつ、ルビーの間だった。特に決められているわけではないが、例年ソースランス子爵家とグランド子爵家は開会宣言をこの部屋で聞く流れになっていた。

 ルイスは就職してから魔術院の同僚と参加していたため、ルビーの間は久しぶりだ。

「エステル、よく似合っているよ。大人っぽくて見違えた」

「ありがとう。クリフ兄様も素敵よ」

 実の弟そっちのけで、クリフはエステルを褒めたたえるが、いつものことなのでルイスは気にしない。

「それより、そちらは?」

 兄の隣りの女性に話を向けると、クリフは相好を崩した。

「紹介するよ。僕の婚約者、オフェリーだ。ミナリオ国で知り合ったんだ」

「はじめまして。オフェリー・ラーディッシュと申します」

 綺麗な礼をするオフェリーに、クリフはルイスたちを紹介する。

「弟のルイスと、従妹のエステルだよ」

「はじめまして。クリフの弟のルイスです」

「従妹のエステル・グランドです。お会いできて光栄です」

 オフェリーはミナリオ国の男爵令嬢だそうだ。王都に来る前に領地で両親には紹介済みらしい。

「俺だけ後回しかよ」

「大夜会で驚かそうと思ってさ。……だってほら、僕が誰を選んでもルイスは反対しないだろう?」

「まあな」

 好き勝手にふらふらしていても、クリフを心配したことなど一度もない。

「結婚はいつ? 式はやるの?」

 エステルが両手を合わせて首を傾げた。自分は婚約破棄されたばかりなのに、他人の結婚を喜べるのはエステルらしい。

「半年後にミナリオ国で式を挙げて、こちらに戻ってから婚姻届を提出する予定だよ。エステルも参列してくれる?」

「ええ、もちろん!」

 クリフは「バーナードとデリックは? 二人にも紹介したいんだけれど」と首を巡らせた。

「デリック兄様はお仕事よ。バーナード兄様は一緒に来たのだけれど、職場の方にご挨拶に行ってしまったわ」

「そうなんだ。まあ、そのうちどこかで会えるかな」

 それよりも、とクリフはルイスに向き直った。

「ここにいると、伯母上や母上に出くわすと思うけれど、いいの?」

「あ? 何が?」

「そうだわ! 大変」

 クリフの意図がわからないルイスと違って、エステルは声を上げた。

「母様が私たちの婚約に喜んで盛り上がってしまって……。ふり(・・)だって伝えたんだけれど……。叔母様もきっと同じ反応をするわ」

「ああー。面倒くさいな」

 エステルの母とルイスの母は仲の良い姉妹で、母は「息子のどちらかとエステルを婚約させたかったのに」とことあるごとに言っていた。偽装婚約の話を伝えなかったとしても、母と顔を合わせたらエステルにアプローチしろとせっついてくるに決まっている。

「オフェリーの紹介は、グランド家も交えて場を設けることになっているから、大丈夫だよ」

 気を使ってくれるクリフに、オフェリーもうなずいた。彼女はルイスたちの事情を知っているらしい。

「別の広間に移るか」

「そうね」

「クリフも黙っていろよ」

 オフェリーに黙礼して、エステルに腕を出すと彼女も自然に手を添えた。そんな二人を見て、クリフは目を細めた。

「そうしてると懐かしいな」

「懐かしい?」

「バーナード兄様もそういう顔をしていたわね」

 馬車を降りたときだ。バーナードもなんとなく感慨深そうにしていた。

「幼いころ、エステルを一番構っていたのはルイスだよ。覚えてない? どこに行くにも手をつないでさ」

「えっ?」

「自分も小さいのにエステルを抱っこしようとするし、何でも食べさせようとして、皆、目が離せなかったよ」

 かわいかったけれどね、とクリフは笑う。

「あのころ、大きくなったらエステルと結婚するってルイスは言っていたけれど、念願叶ったね?」

「はあ? 馬鹿か。そんなの覚えているわけないだろ」

 本当に全く記憶にない。

 ルイスの中でエステルは生意気な妹分だ。上三人に対するときは同志でもある。

 かわいいとは思うが、妹分の範疇でだった。

「それに、エスコートは今日だけだ」

 ルイスが言うと、クリフは含み笑いをして肩をすくめる。兄のわかった風な態度が気に食わない。

 エステルが隣りにいるのは、妙にしっくりくる。

 グランド家の従兄妹たちと魔力の相性がいいのは昔から知っていた。そのせいかもしれない。

 しっくりくるのが逆に落ち着かなくて、ルイスは「行くぞ」とエステルを促した。


 何のためにエステルと大夜会に来たのかと言えば、ダスティンと会うためだ。さっさと用事を済ませるべきだと、彼を探して移動しているうちに開会したようだった。

 舞踏室に足を踏み入れると、ダンスが始まっていた。

 ホールの中央で踊る人々にエステルが目を向けたのに気づき、ルイスは「踊るか?」と聞いた。

「お前が踊りたいなら付き合ってやる」

「ルイスってまだステップを覚えているの?」

「俺を何だと思ってるんだ。魔術師だけれど貴族なんだ。それなりに今でも踊る機会はある。お前こそ踊れるのかよ」

「当たり前でしょ」

 エステルはルイスを睨んだ。

「どうする? 踊りたいなら踊りたいって言えよ」

「ルイスこそ、ダンスに誘いたいなら誘いたいって言えば?」

 ふんっと顎を上げるエステルの顔は笑っている。

 だいたい負けるのはルイスの方だ。

 ルイスは気取ったしぐさで手を差し出す。

「踊っていただけますか?」

「仕方がないから、踊って差し上げますわ」

 つんとすまして手を取ったエステルは、すぐに弾けるように笑った。

 ――エステルとのダンスは踊りやすかった。

「そういえば、よく練習相手になってもらっていたんだったわね」

 彼女も同じように感じたのか、懐かしそうに言う。

 ルイスが専門高等学校の魔術科に入学する前のことだ。

「私が十二、三歳のころよね? 兄様たちだともう背が高すぎて踊りにくかったから」

「お前、いっつも足を踏むから、俺も反射神経が鍛えられたな」

「何よそれ。悪かったわね。もう足踏んだりしないわよ」

 口を尖らせてエステルはルイスを見上げる。

 ルイスとエステルは二歳差で、ダンスの練習台になっていたころは背丈が近かった。いつの間にか、自分の方がずいぶん大きい。

 彼女の鎖骨と白い胸元が視界に入り、進行方向を確かめるふりをして視線を上げる。

「このドレス、ダンスのときに綺麗に広がるように仕立ててもらったのよ」

 エステルの言葉に、ルイスは大きめにターンする。

 翻るスカートがルイスの足を撫で、体が近づくときには甘い香水の匂いが香った。

 エステルと最後に踊ったのは彼女が社交界デビューしたとき――四年前だ。十六歳のエステルは溌剌とした少女だった。

 性格は変わらないが、今はもう大人の女性だ。

「お前、大きくなったな」

「え、何言ってるのよ。兄様たちじゃあるまいし」

 連れ歩く間も、踊っている今も、エステルを振り返る男が何人もいる。

 両手を腰に当てて仁王立ちなどしなければ、すぐにでも新しい婚約者は見つかるだろう。

 そう考えると少しもやもやとするのは、エステルを妹のように思っているからだとルイスは自分を納得させる。

 大事な妹分がないがしろにされるなんて、ルイスも許せない。

 食事会では淡々としていたけれど、バーナードから聞かされた婚約破棄の顛末にはルイスも憤っていた。

 曲が終わり、作法通りの礼をしあう。

「楽しかったわ」

 キラキラと笑顔を浮かべるエステルにルイスは「俺に感謝しろよ」と尊大に言うと、耳元に口を近づける。

「これからが本番だからな」

「え?」

 驚くエステルに、ルイスは「ダスティンがいたぞ」と囁いた。


 顔を合わせたとたんに話が始まりそうだったところを、ルイスは慌てて止め、庭に誘導した。

 人の多い舞踏室で婚約破棄だの言い出したら格好の噂のネタだ。

 テラスから出られる庭は全て大夜会の客に開放されていた。人のいない一角に石造りの灯篭を見つけて、ルイスは魔道具を取り出した。

 手のひらより一回り小さいくらいの真鍮の円盤を灯篭の台座に置く。トットトッと拍子をつけて円盤を指で叩くと、円盤が赤く光り、ふわりと風が起こった。

「人払いの魔道具だ。声が外に聞こえないようになっているし、意識されにくくなっている。完全に姿を消せるものではないから、人が近づいてきたときは注意してくれ」

 地面の石畳で効果の範囲の目安を教えると、皆、うなずいた。

 この場にいるのはルイスとエステル。それからダスティンと連れの女性だ。

 ロージーという名前だったか。淡い橙色のドレスに身を包んだ彼女は、少し顔色が悪い。幸せに溢れている様子ではなかった。

 クリフの話を聞いたときには人の男を寝取る悪女に思えたけれど、直接会うと貴族の男に騙されている気の弱い少女に見える。

 ダスティンが全て悪い、で間違いない気がしてきたルイスだった。

 妊娠のせいで具合が悪いなら夜会に連れてくるべきではないし、体調不良でないならこれから先大丈夫なのかと心配になってしまう。エステルはダスティンしか視界に入っていないようだが、ダスティンもロージーを振り返らない。

「ダスティン、約束通り新しい婚約者を紹介するわ」

「知ってるよ、君の従兄じゃないか」

 案の定、エステルは仁王立ちでダスティンを迎え撃つ。ルイスは内心でため息をつきながら、大人に見えたエステルの変わらない子どもっぽさに安心もしていた。

「従兄のルイス・ソースランスだ。久しぶりだな、ダスティン」

「ルイスさん、お久しぶりですね」

 ダスティンはルイスにおざなりに挨拶をすると、

「エステル、やっぱり相手が見つからなかったんだよね? 僕が紹介するよ。もう声をかけてあるんだ」

「やめてよ。余計なお世話って言ってるでしょ」

「その通りだ」

 ルイスはエステルの腰を抱いて引き寄せる。

「エステルの婚約者は俺に決まったんだ」

 頭頂部に口づけると、エステルは固まった。

 もうちょっと自然な演技をしてほしいところだ。

「幼いころから、大人になったらエステルと結婚すると俺は決めてたんだ。だが、うちとグランド家は、母親同士は姉妹だけれど父親同士はいまいち仲が良くない。根回しする前に、伯父上がエステルの婚約者を決めてしまって、俺は泣く泣くあきらめたよ」

 ルイスは滔々と語る。

 記憶にはないが、クリフが言うなら幼いころのルイスはエステルと結婚したかったのだろう。その気持ちをずっと維持していたならこんな感じか、というストーリーを作る。

「それが、ここにきて婚約破棄だろ? エステルを思って、ずっと独り身でいた甲斐があったね。俺はすぐさま求婚したよ。それで、無事に受け入れられた。二十年来の恋ってやつだ」

 なあ? とエステルに微笑むと、彼女は頬を染めていた。

 思わず、その赤い頬に手を添えてそっと撫でると、ますます赤くなって目を泳がせる。

 見たことのない反応におもしろくなってルイスは笑みを深めた。

 かわいいな、と自然に思う。

 その気持ちのまま、「幸せにするよ」とルイスは言った。

「エステル……本当に?」

「ほ、本当よ」

 ダスティンに聞かれて、エステルははっとした顔で向き直った。さりげなく頬の手を外されたルイスは、逆にエステルの手を握り返してやった。

「私たち、婚約したの。母様は大喜びだし、兄様たちも祝福してくれたわ。あなたとのことがあったから、ソースランスの叔父様とあんまり仲が良くない父様だって許してくれた」

 エステルが語ったのはもちろん嘘だが、本当に婚約したらきっとそうなるだろうとルイスも予想できた。

「お前とエステルはもう婚約破棄したんだ。家の当主同士で話し合って、正式に書類を交わしたって知ってるよな?」

 ルイスはダスティンを見返した。十八歳の彼は、二十三歳のルイスからすればまだ子どもだ。

 王立魔術院で主任研究員を務めているのは伊達じゃない。魔道具の認可を取るためには祖父以上の年齢の老魔術師たちや政府の役人とも交渉しないとならない。

 領地の港仕込みの口の悪さはしょっちゅう眉をひそめられるが、貴族相手にはちょうどいい威圧になる。

「わかるか? お前はもうエステルとは何の関係もないんだよ。不貞行為を働いたのはお前の方だろ。何をずうずうしく、エステルにも幸せになってほしいなんて言ってるんだ? お前にエステルを心配する権利なんかない。二度と関わるな」

 握ったエステルの手に力が入ったのがわかり、ルイスは彼女を強く抱き寄せた。

「次にお前がエステルに話しかけたら、グランド子爵家だけじゃなくソースランス子爵家からも抗議させてもらう。いいな?」

「あ、はい……」

 ダスティンは気圧されたように、首を縦に振った。

 ルイスはエステルに、

「お前は何かあるか? ひっぱたいたりしなくていいのか?」

 その言葉を受けてエステルがダスティンを見ると、彼は「ひっ」と息を飲んだ。何か勘違いしているようだが、エステルは別に力が強いわけではない。

「ああ、悪い。そんなことしたらお前の手の方が痛いよな」

 指を絡めて持ち上げて、エステルの手の甲に口づけるふりをすると、エステルは慌てた。婚約していることになっているから、いつものように拒否もできずに口をぱくぱくさせる。

「ル、ルイス……もう……」

「ん?」

 しらばっくれて首を傾げると、エステルはルイスをあきらめたらしく、ルイスの腕の中でくるりと身をひるがえしてダスティンに向き直る。

「そういうことで、私はもうルイスと婚約したから! ダスティンとは関係ないの! 二度と関わらないでね!」

「…………」

「おい、返事」

「は、はい……わかりました。……エステル、ごめんね」

 なめたような謝罪にルイスは呆れたが、エステルは神妙にうなずいた。それがなぜか気に障って、ルイスはダスティンを追いやる。

「さっさと行けよ」

「はい、失礼します」

 ダスティンはロージーを連れて立ち去った。

 そういえばロージーは終始うつむいていた。誰も彼女に何も話しかけないままだった。

 エステルも気づいたのか、去っていく彼女の背中を見つめている。

「あの子、大丈夫かしら?」

「ダスティンがどうにかするだろ」

「うん、そうよね……」

「どこかに座って休むか?」

「うーん、大丈夫。それよりも何か食べたい気分よ」

 エステルは明るく笑う。

「さっそく食い気かよ」

「いいじゃない、別に」

 魔道具を回収する間も、広間まで戻る間も、ルイスはエステルと手を繋いだままだった。


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