偽装婚約の相談
「オールシード子爵家との付き合いも終わりだな」
冷静にそう言うのは、エステルの長兄バーナード・グランドだ。
「まずは道を整備して、オールシード子爵領を通らない流通路を確保しよう。うちの港に上がった荷は全てそちらに回すようにしてしまえば、宿場町も打撃を受けるし、王都までのついでで安く卸されていた商品も今まで通りにはいかなくなるはずだ」
「そんなことより、ダスティンを叩きのめすのが先だろ」
熱く拳を握るのは、エステルの次兄デリック・グランドだった。
バーナードとデリックは双子だったが興味の向きが正反対で、バーナードは文官として王宮に勤めており、デリックは王都の警備団に勤めている。顔の造作は似ているが、すらりと細いバーナードと鍛えているデリックでは体形が違い、あまり双子とは思われない。性格も正反対なのだけれど、エステルを何より一番に考えるところはそっくりだった。
二人を止めなくてはと思ったエステルの代わりに、従兄のクリフ・ソースランスが声を上げた。
「まあまあ、二人とも落ち着いて」
クリフは二人をなだめて、へらりと笑った。
彼は双子と同じく二十七歳。エステルにとっては三人目の兄ともいえる。
エステルたちのグランド子爵領は港がある小さな領地だ。その隣がソースランス子爵領で、やはり港があり規模も似ている。比べられて育ったせいでいい気がしなかったのか、父親同士の仲はあまり良くない。しかし、何の因果か、二人の子爵の元に嫁いできたのは仲の良い姉妹だった。母親たちが取り持ったおかげで、子どもたちは一緒に仲良く育った。
グランド子爵家は、バーナードとデリックの双子。そして、二十歳のエステルだ。
ソースランス子爵家はクリフと、彼の下に二十三歳のルイスがいた。
上三人と下二人。エステルが皆の妹なら、ルイスは皆の弟だった。
バーナードは結婚して子どももおり、王都で家を借りている。デリックは警備団の寮暮らし。ルイスも王立魔術院に勤めていて、そちらの寮に住んでいた。クリフも王都に滞在していることが多く、大人になってからは滅多に全員揃うことはない。
今夜は、久しぶりに王都に出てきたエステルのため、バーナードがレストランの個室を予約して食事会を開いてくれた。
当初の予定では、エステルの結婚式の日取りが決まったお祝いになるはずだった。
卒業式は昨日のことだ。今日の昼間、父親同士が改めて話し合い、エステルの婚約は正式に破棄された。
兄たちには昨日のうちに卒業式後の顛末を話したが、従兄たちに伝えたのは兄だろう。昔からそういうものだと思っているから、勝手に話を共有されてもエステルは何とも思わない。
ずっと黙っていた四人目、ルイスがクリフを促した。
「クリフ、相手のことを調べてきたんだろ」
自分の兄を呼び捨てにして、ルイスはローストビーフを口に運んだ。
「もちろん。僕が今何をやってると思う?」
「放蕩息子」
ルイスがそう答えると、「ぶっ」とデリックが噴き出した。エステルも思わず笑ってしまう。
クリフは、ソースランス子爵の仕事を手伝ったり、友人の会社を手伝ったり、会社を興して売ったり、突然旅行に出かけたり……、いつもだいたいふらふらしていた。
「今は探偵事務所を手伝ってるんだ」
クリフは片目をつぶって、そう言った。
「へー、なかなかいいんじゃないか。クリフにぴったりだ」
「腕っぷしがダメだろ。お前じゃ犯人を追い詰められない」
「小説みたいな探偵じゃないよ。事件の調査なんてデリックたちの仕事じゃないか」
「じゃあ何すんだよ」
「取引会社の信用調査とか」
「ああ! そういうのか!」
「他には?」
「交際相手の身辺調査とか、夫の浮気調査とか……」
「あー……」
盛り上がっていた三人は、クリフが業務内容を続けるにつれて勢いが落ちていく。
ちらっとエステルを見る三人に、エステルはつとめて明るく笑う。
「ちょうどぴったりね」
すると、三人は慌てて身を乗り出した。
「偶然だよ? エステル」
「いや、クリフ。お前がもっと早く探偵になって、あの男を調べておくべきだった」
「そうだな。ぴったりどころか手遅れじゃないか」
彼らがエステルを気遣ってくれているのはわかるけれど、全くフォローになっていない。エステルが「手遅れ……」とつぶやくと、三人の口はぴたりと止まった。
「で? 調べてきたんだろ」
ルイスが呆れたように話を戻すと、はっとした顔でクリフが説明を始めた。
「そうそう、調べたよ」
彼の調査によると、こうだ。
ロージーという女性はダスティンと同じ十八歳。下町のレストランのウェイトレスで、その店には政務科の学生がよく通っていた。ダスティンも店で知り合ったらしい。
「通ううちに親しくなって、店員と客の関係を超えてグループでの友人付き合いから、二人だけで出かけるようになって……。あー、まあ、ええと、あんな感じになった、と」
「彼女はダスティンが婚約してるって知ってたの?」
エステルがそう聞くと、クリフは首を振った。
「最初は知らなかったようだね。でも、友人付き合いが始まったころには聞いたそうだ」
婚約を知ってから付き合い始めたのか。
約束を破ってまで求めるのが「真実の愛」だとしたら、エステルには全く理解できない。
それとも彼女の方は、子爵家の嫡男と関係を持って玉の輿に乗る打算もあったのだろうか。
「どっちもどっちだな」
バーナードが顔をしかめた。
「婚約は解消したんだろ」
ルイスに聞かれてエステルはうなずいた。
「もちろん。だって子どもができたっていうし」
「子ども……」
それは知らなかったのかルイスは絶句した。
「もういいのよ! あんなやつ。婚約破棄したんだから、関係ないわ」
「ああ、そうだな」
「さっさと忘れるに限るよね」
「前向きに行こうぜ」
エステルが言い切ると、他の四人は口々にうなずいた。
それよりも問題があった。
「問題は新しい婚約者よ。大夜会までに見つけないと!」
ダスティンとは関係ないと言ったそばから、彼との約束を持ちだすエステルに、周りは微妙な表情を浮かべる。
「ダスティンと関係ないなら、約束なんて無視してもいいんじゃないのか」
バーナードが代表して指摘するが、エステルは、
「婚約者を連れて行かなかったら、ダスティンはきっと友だちを紹介してくるわ。それだけは絶対にいや!」
「しかし、エステル。大夜会は二日後だぞ」
「あてはあるのかい?」
「ないから困ってるのよ……」
クリフに聞かれて、エステルはうなだれた。
婚約者がいたからエステルはそういう目で男性を見たことがなかった。婚約した十四歳のときから二十歳の今までずっとそうだったのだ。
ダスティン以外の男に目を向けるなんていけないことだと思っていた。
自分を恋愛対象に見ていると気づいた相手は夜会などでも避けるようにしていた。
だから、ダスティン以外の男なんて全く知らないのだった。
エステルはそうしてきたのに、ダスティンはエステルを放ってロージーと恋愛していただなんて、考えるたびに腹が立つ。
エステルの六年間は一体何だったのだろう。
大きな氷の塊を飲み込んだように、体の中心が冷たく感じる。
「父上も心当たりはないようだったな」
バーナードが腕を組む。
「相手が見つかったとしてもさ、この短期間だと調査も難しいよ。また破棄なんてことになりかねない。一旦落ち着いてゆっくり探した方がいいと思うよ」
「クリフ兄様、それはわかってるわ。でも、どうしてもダスティンをぎゃふんと言わせたいのよ!」
バーナードとデリックは「ぎゃふん……かわいい……」「俺がいくらでも言ってやる」と身もだえていたけれど、毎度のことなので他の三人は気にしない。
クリフはパチンと手を打って、
「それじゃあ、大夜会のときだけ婚約者のふりをしてもらうのはどうだい?」
確かに、大夜会さえ乗り切れば、もうダスティンと会う機会なんてない。あったとしても、どこかの社交場ですれ違う程度だろう。
相手が変わっても、最終的に誰かと結婚していれば問題ない。
ダスティンが言った「エステルは結婚できない」を撤回させたいだけだ。
「そうね。ふりでもいいわ」
エステルは四人を順に見る。
「兄様たち、誰か知り合いにいい人はいない?」
「うーん……」
「知り合いの、独身で婚約者がいない男……?」
デリックはそう言いながら、クリフとルイスに目をやった。バーナードもそれを追う。
確かに、ソースランス子爵家の二人は独身だった。婚約者もいないはず。
エステルからも目を向けられた二人は、そろって首を振った。
「俺は嫌だね。そんな面倒くさいこと付き合ってられるかよ」
「申し訳ないけれど、僕はもうエスコートする相手が決まってるからね」
「えっ誰だ? 婚約したのか?」
身を乗り出すデリックを「僕の話は今度な」とあしらって、クリフはルイスの背中を叩いた。
「ルイスはね、振られたばっかりなんだよ」
「ばっ! クリフ! なんで、それ!」
「僕を何だと思っているの?」
「まさか、探偵で調べたのか?」
「僕は君の兄だろう。兄は弟のことは何でも知っているのが普通だよ」
「いや、そんなわけないだろうが」
ないない、と否定するのはルイスとエステル。反対に、バーナードとデリックは「普通だな」とクリフにうなずいた。
くり返すが、エステルが皆の妹なら、ルイスは皆の弟なのだ。
デリックがさっそく詳細を聞き出そうとする。
「ルイスの片恋相手といったら、魔術院の同期だったよな。ついに告白したのか?」
「私も知りたいわ!」
「それがねぇ……」
「クリフ、黙れ!」
と、手を伸ばすルイスを押しのけて、クリフは暴露する。
「相手にされないまま、彼女が他の男と結婚したんだよ」
「まあ! 気持ちを伝えていないの?」
「お前、何やってるんだよ! 先手必勝だぞ!」
「全くだ。好機は逃すなと昔から教えているだろう」
「好きなら好きと素直に表さないから」
口々にそう言われたルイスは「うるさい! お前らには関係ないだろ!」と怒鳴る。
「そこでほら、エステルを伴って大夜会に参加したら、彼女はルイスのことを惜しく思うかもしれない」
「ならないだろ。普通に『おめでとう』って祝われるだけだって」
ルイスはため息をついた。
彼はエステルを見ると、
「俺はお前と違って、相手を見返したいとは思ってないからな」
「何よ、私が間違ってるって言うの?」
「間違ってるとは思わないけど、正解とも思えないな。こいつらだって本当は、もうダスティンとお前を関わらせたくないって思ってるよ」
真面目に諭され、エステルは唇を噛む。
「でも、悔しいんだもの」
エステルの目に涙が浮かぶ。
「ああ、エステル!」
「泣くな!」
「エステル、泣かないで。ほら、ルイスが悪いよ」
「そうだ、ルイス謝れ!」
「責任をとって、婚約者役は決定だな」
上三人がエステルの味方につく流れは、子どものころからだ。
「まあ、俺だって、お前がやられっぱなしなのは腹が立つからな」
仕方ないから協力してやるよ、とルイスは再びため息をついたのだった。




