35.廃村
澱んだ空気とともに、周囲に影が落ちた。
落ちた影はやがて大きく歪み、人の形へと変わっていく。
顔は塗りつぶされたかのように靄がかかっていて、輪郭すら朧気だ。
それに、それぞれ鎌や包丁などの刃物を手にしている。
三十……五十……まだまだ数は増えていく。
明確な敵意を持った相手が、奥への道を阻むように立ち塞がった。
「……多いね」
全身――……主に足に魔力を集中させる。
これだけの数。避けるべきは、囲まれること。
一度でも囲まれれば、どこから攻撃が襲ってくるか分からない。
逃げ場もなく、いずれは人数差に潰される。
そんな状況は絶対に避けなければならない。
「諤ィ」
脳が理解を拒絶する、死者の言葉。
なんて言ったかわからないその一言を皮切りに、影が一斉に襲い来る。
雪崩のように押し寄せる影を、僕たちは二手に分かれて距離を取る。
「――谿コ縺吶?∵ョコ縺」
そんな僕たちを追撃するため、影たちは各々標的を定め、再度襲いかかってくる。
これだけの数、全員を相手にするのは……骨が折れそうだ。
『天焔光劫砲』や『業火の天華』だったら広範囲を吹き飛ばせる……。
いやいや、その魔術は足を止めないといけない。
囲まれるリスクが増えるだけ……。
だったらヒットアンドアウェイの各個撃破でいくか?
それだと安全だけど時間がかかりすぎる――。
どうし――……ん?
距離を取りながら戦略を考えていたその時、あることに気がついた。
動きが遅い。
動作の一つ一つがスローモーションのように鈍い。
振り下ろされる鎌も、半歩下がるだけで避けられる。
――これなら!
「委員――」「吉岡くんは先に行って! コイツらの足止めは私がする」
「え何で⁉ こんなに足が遅いなら無視して先に行けるよ!」
僕の言葉を遮って、委員長が指示を飛ばす。
けど、影たちみんな動きが遅い。
なら、ぐるっと回り込めば、戦闘せずに先に進める。
余計な消耗をしなくて済む。
だから回り込んで先に行こう、と提案しようとしていたのに。
委員長が出した指示は、自分がここに残り、僕だけ先に行くというものだった。
「地形を把握していない以上、無視して奥に行くのは危険よ。もし行き止まりだったら、廃村よりも狭い場所で相手することになっちゃう」
言われて気づく。
血の匂いが漂う道の先には、核があると決めつけていた。
もしかしたら核への道は、わからないように隠されているかもしれない。
二人で回り込んで進んだ先が行き止まりだったなら。
後から雪崩れ込んでくる影たちを、逃げ場のない状況で対処しなければならなくなる。
避けたかった、囲まれた状況と何ら変わらない。
なら、一人がここに残り、影たちの注意を惹く方が良い……。
「――わかった。でも」
「大丈夫よ。あくまで足止め。動きも遅いし、この程度、造作もないわ」
荊で足を貫き、蔓で体を拘束。
造作もないといった委員長は既に、何人もの影たちを捕えていた。
――大きく息を吐いて、目指すべき道を見定める。
「――じゃ、行ってくる」
全身の魔力を両足だけに注ぎ、踏み込む。
地を、壁を、力のまま思い切り蹴って、跳躍。
風が頬を叩き、影たちを置き去りに。
着地しても足を前へ。
ただひたすらに、前だけを見据えて――。
そのまま奥へと駆け抜けていく。
奥への道は、暗いただの一本道。
けれど、遠くに微かに光が見える。
このまま一気に――。
更に足に魔力を集中させ、加速。
見えてきたのは障子。
岩肌の中にぽつんと障子がある。
明らかな不自然。
それに、奥からの明かりが透けて見える。
「あの先に――」
確信を胸に、勢いのまま障子を蹴破り、そのまま中に転がり込んだ。
即座に顔を上げ、周囲を見渡す。
畳。
床の間。
人。
「人ぉ⁉」
長い黒髪を一つに括り、丈の短い赫色の着物を着た女性がいた。
湯呑みを手に、突然の来訪者に目を丸くしていた。
「……えっと、貴方、は?」
震えた声色。
襲ってはこない。
敵対心はないと考えていい……か?
「――もしかして、弐番を倒しに……?」
言いながら、女性の目にはどんどん涙が溜まっていく。
震えた手から湯呑みが落ち、ドスっと鈍い音が響く。
「あの」
側へ近寄り、手を差し伸べた。
――そこで僕は、自分が大きな勘違いをしていたのだと気づいた。
「……お待ちしておりました」
大粒の涙を流しながらも、女性はゆっくりと立ち上がる。
僕は恐怖で蹲ったのだと思っていた。
この領域が壊れる事へ絶望し、涙を流しているんだと思っていた。
けど違った。この人はむしろ――……。
「領域の核まで、ご案内致します」
この人は、領域の崩壊を望んでいた。




