85. 時計
2版LXXXV、3版CVII
L’HORLOGE
脚韻ABBA 時計の独語とする形。原文は第2行に «、最後に » と打つのみであるが、判り難いので、訳文では各節を「」で括ることにした。
憂鬱詩群及び「憂鬱と理想」の章ここまで
時計!不吉な、畏るべき、無表情の神、
その指、我等を脅して曰く「覚えよ!
恐怖に慄く心臓に走る鮮やかな痛みを
たちまち刺さろう、標的のように。」
Horloge ! dieu sinistre, effrayant, impassible,
Dont le doigt nous menace et nous dit : « Souviens-toi !
Les vibrantes Douleurs dans ton cœur plein d’effroi
Se planteront bientôt comme dans une cible ;
「儚い喜びは、水平線へと逃げ去る、
その姿は風の精、舞台裏に引っ込む。
一瞬一瞬が、喜びの欠片を貪り食う、
人それぞれの時季に皆与えられる。」
Le Plaisir vaporeux fuira vers l’horizon
Ainsi qu’une sylphide au fond de la coulisse ;
Chaque instant te dévore un morceau du délice
À chaque homme accordé pour toute sa saison.
「1時間ごとに3,600回、『秒』が
ささやく:思い出せ! ……早く、と出ている声音は
虫の、『現在』語るは『我は、もはや【過去】は、
お前の命を吸った、この汚い口吻が!』」
Trois mille six cents fois par heure, la Seconde
Chuchote : Souviens-toi ! — Rapide, avec sa voix
D’insecte, Maintenant dit : Je suis Autrefois,
Et j’ai pompé ta vie avec ma trompe immonde !
「リメンバー!スウイェン・トワ、放蕩者! エスト・メモーレ!
(わが咽喉は筋金入りにして、諸言語に通暁)
『数分』なりとも金塊と心得よ、死すべき愚者よ、
黄金採らずして棄て置く勿れ!」
Remember ! Souviens-toi, prodigue ! Esto memor !
(Mon gosier de métal parle toutes les langues.)
Les minutes, mortel folâtre, sont des gangues
Qu’il ne faut pas lâcher sans en extraire l’or !
「忘れるな、『時』は貪欲な賭博師である
イカサマなし、でも毎回勝つ!それが掟だ。
日が傾こうと、夜が更けようと、忘れるな!
深淵は常に渇き切り、水時計は空になる。」
Souviens-toi que le Temps est un joueur avide
Qui gagne sans tricher, à tout coup ! c’est la loi.
Le jour décroît ; la nuit augmente ; souviens-toi !
Le gouffre a toujours soif ; la clepsydre se vide.
「やがて鳴り響く『時』が、神聖なる『機会』が、
あるいは処女の花嫁たる崇高な『美徳』も
(そう、最後の宿!)『悔恨』の念さえも
揃って告げよう『死ね、腰抜け爺!時間切れだ!』」
Tantôt sonnera l’heure où le divin Hasard,
Où l’auguste Vertu, ton épouse encor vierge,
Où le Repentir même (oh ! la dernière auberge !),
Où tout te dira : Meurs, vieux lâche ! il est trop tard ! »
訳注
Horloge: 英語 clock に相当する「置時計」「大時計」を指す。禍々しい描写に終始する本作は、ポオ『陥穽と振子』を思わせるものがあり、この点は詩の形式共々、前篇に類似する
doigt: 時計の「針」は、フランス語でも普通に aiguille(針)というが、ここでは「指」としている
Souviens-toi !: 以下、この一言はハムレット父の Remember me! のように、吸血鬼の Remember the oath. のように、繰り返し刻まれる
horizon: 「水平線」であると同時に、舞台のホリゾント(背景)でもある
D’insecte: 前行から続けて「虫の声」ということらしい。時計の出すチクタク音を虫に準えてではあるものの、日本人以外で虫が鳴くのを「声」と聞くのは稀。とはいえ大型で、可愛いものではない。
pompé ta vie: 蝶が花の蜜を吸うように、時間が「おまえの生命を吸う」というのは、汚穢な印象は受けない。誤訳したか?まあ拡大してみると意外に複雑な構造で、グロテスクな感じはするかも知れない。それより、蝶の口吻に蚊のようなポンプは見当たらないという方が意外で、浸透圧で吸い上げているらしい。もしかしたら、コウイカやオウムガイのような浸透圧制御機構が、蝶の小さな身体に備わっているのだろうか?それはそれとして、「生気を吸い上げる」点では、吸血鬼の一種と見るべきであろう。
gosier de métal: 古くは文字盤がなく、鐘を鳴らすのみの大時計もあったという。また、現在時刻を音で報せるリピーター機構は、電灯普及以前の夜に重宝された
clepsydre: 水時計は日時計と同じくらい古くからあるもので、しかしメソポタミアでは現物が出土しておらず、今のところ最古の品は紀元前1417~1379年頃、エジプト新王国時代アメンホテプ3世の治世とされる。原理的には、穴の開いたバケツから一定の水量を流し、これを雨量計の枡で受けるようなもの。図に示すローマ時代のものにはサイホンが併用され、枡が満杯になると自動的に空になる。水時計は振り子時計の実用化まで使われていた
Vertu: 女性名詞なので花嫁扱い
sonnera l’heure: 何処かで見たと思って探してみたら、ギョーム・アポリネール「ミラボー橋」の一節だった
il est trop tard ! : 歌劇『ドン・ジョヴァンニ』終盤では、騎士ドン・ジョヴァンニに殺された騎士長の石像が「悔い改めよ」と迫る。意地でも「嫌だ」と繰り返すドン・ジョヴァンニ、遂に石像は「もう時間が無い」と宣言して退場、騎士は地獄に落ちる。




