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アフレイド視点
馬を走らせねばならない。
たとえ後ろで、ずっと見送り立ち尽くす彼女の気配があろうとも。
「スカーフは貰えなかったな」
ヒヒヒン、と馬が反応するように答えた。俺の相棒である黒馬のリグロースはいななく。
どうやら、ルシエルからお守りでもあるスカーフを手に入れられなかったことを共に悲しんでくれているようだった。
彼女は最近、すごく変わった。
俺に対して怖いというよりも、むしろ慈しむような顔をする。やたらと俺の髪を見て、反応を楽しんでいるようだ。
俺だって少しは余裕があるはずだ。
英雄とまでも呼ばれるほどに強くなった俺は、何事に対しても常に冷静でいられる……はず。
なのに、彼女の手のひらの上で踊らされているようなばかりな気がしているのは気のせいか。
朝起きたら必ず俺の腕の中にいて、いたずらに微笑みかけてくる。
天使が腕の中にいるあの幸せが嬉しくなると、普段は体内に抑えつけているはずの魔力が溢れ出る。結局、髪が燃えて彼女に笑われる。
それから廊下を共に歩くとき、何かとボディタッチが多くなった。彼女の小さな肩が触れて、すぐ隣にルシエルがいる。そう思うと同時に、幸せが溢れ出てまた魔力の制御が追いつかなくなる。
それで結局、笑われる。
笑われるのは良いが、恐れられるよりも不慣れなせいか。胸がきゅっと締め付けられて、ドクドクと心臓から魔力が溢れてしまう。
「リグロース、どう思う?ルシエルが笑ってくれるのは世界で一番幸せなのだが、何だかバカにされているようで」
愛馬は、足を速めるばかりで答えを出してはくれない。この黒馬は意外にメスにモテるために、子はたくさんできている。俺よりもずっと先輩だから返事が来たらどれだけ助かることか。
アフレイド『恐れられるもの』などという立派な名前が、彼女の前でだけは無意味らしい。
では結局、嬉しいのか嬉しくないのか答えはどっちだと聞かれれば。
「嬉しいに決まっているよな。ルシエルが俺の前で…あんなに笑って」
ボォーボォー
髪が赤く燃えて、また制御が効かなくなった。一度彼女の顔を想像すると、中々消えなくなった炎の髪。
俺だって騎士団長だし、少しぐらいはルシエルの顔が真っ赤になるまで意地悪してやりたい。
「ダンチョー」
だが、どうしよう。
どうやったらルシエルを、あの天使で少し小悪魔な心を照れさせれるか。
「ダンチョ?」
「む、なんだ」
「だから、聞いてます?そっちに魔物が行ったそうですよ」
副騎士団長であるアモルが、向こうの森へ指を指した。いつの間にか、現場についていたようだ。リグロースは耐久力のある馬だが今は少し、水を飲みたそうに首が重くなっている。
黒馬の首根をよしよしと叩きながら、その森へと急いでいった。
何か、邪悪な気配がする。
魔力の、グチャグチャと変動しながら丸まった異質なソレ。ソレこそ魔物の正体だ。
「いつも通り側で控えているだけでいい。行ってくる」
「ダンチョー!結婚したばっかって聞きましたけど、そんな一人で倒すなんて奥さんに怒られないんですかー!」
後方からやつの声がしたものの、構わず俺はリグロースから降りた。魔物の気配が、直ぐ側まで迫っている。背中に帯刀していた剣を取り出し、両手で構えた。
大剣は、他の騎士たちが使う剣よりも重く、刀身が大きい。使うにはそうとうな腕力が必要で、これに慣れるのには一年も費やした。
魔力をその白銀の刀身にまとわりつかせると、一瞬にして黒い炎に包まれる。
「地獄の業火」
次の魔法では、剣を自分の感覚と通わせるものだ。
「剣の祝福」
これをすれば、この大剣は己の腕と変わらないぐらい、簡単に動かせるようになる。ただこれを習得するためだけに、一年かかった。この重い剣を、腕の神経と通わせる。それがどれだけ筋力への負担になるか。
グルルル
獣の唸る声が、草陰から飛び出てくる。真っ黒なドロドロとした影が、獅子のような形をなしながらこちらを伺っている。
獣の形をなしただけの澱み。
そう言い表すのが最も相応しいそれに、刃を向けた。
黒い影に対するのは、地獄の業火とも言われた魔法をかけた剣。
相手が口を開き、こちらへ突進してくる。
人間だったら五歩分の距離を一歩で軽々飛び越えてくる魔物の俊敏な動き。それを捉え、魔力の流れからやつがどこを狙って突っ込んでくるのか見極める。
丁度俺の右肩あたり。
そこへ飛びつこうとしてくる、何倍も体格のでかい獅子方の黒い澱みへ、刀身を入れた。
大きな口から、胴を切り裂き、最後には尾までも。
上下に避けていった魔物は、無惨に地面に転がった。
「ダンチョ、終わりました?」
「ああ。今日は一体だけだな。さっさと帰るか」
「そうですね……って、何か他から気配しません?」
アモルが慌てたように周りを見渡すと、確かに地響きがしてきた。
一体、この騒動はなんだろう。
胸の底がザワザワと騒ぎ出す。
嫌な予感が走ってくる。
「うわ!竜だ!竜がいるぞ!」
一人の団員が空を指さし、声を上げた。空をゆうゆう飛ぶ、黒い大きな鳥のような影。その翼はコウモリのようにガタガタしており、尾は蛇のように自在に動き細長い。首は長く、その頭がゆっくりとこちらへ向いた。
ギシャアアアア
生き物にはありえないほどの、金切り声のように耳を貫く声。
耳を塞ぐことよりも、俺はその竜が上から降ってくる瞬間を狙った。
この一撃を与えなければ、おそらくこの竜は団員を食らうに違いない。
死傷者など、俺の部隊において許すわけがない。
「アモル!そっちに回れ!」
「リョーカイ!」
他の経歴の長い団員にも指示を出しながら、陣を組む。その間にも竜が落ちてくる。急降下して、全てを食らいつくさんとばかりに泥の口を開けた。ニチャアと開く口に、俺は剣と共に突っ込んでいく。
「ダンチョ!ムチャムチャ!ムチャです!」
「意外といけるものだな」
魔物の液体まみれになった体は、酷く気分が悪い。腐った水がそのまま服にかかっているようなもので、すぐに脱ぐ。
テントの張られた休憩所で、アモルから新しい服を受け取った。
騎士団たちは王が勝手につけてくれたようなものだ。大体は俺一人で片付けるが、たまに新人たちのためにと団員を預けられる。
魔物の恐ろしさを学び、どう倒すのか学び、人の避難を優先させることを覚えてもらう。
アモルの方がどちらかというと、作戦には強い。
「んで、ちゃんと帰ってきたのは良いですが、死なれたら困るのは俺たちですよ?ダンチョーの奥さんになんて伝えればいいのか、俺たちが困るんですから」
「すまんな。だが早く片付けなければ、ルシエルが待っている」
「うわぁ、それ独身者に言う言葉じゃありませんね」
アモルの甘い顔が渋くなる。元々、団員の中でも女性団員にさえ人気のあるアモル。金髪に、青い色のタレ目をした手タレは、独身というのを貫いている。いろんな女をたぶらかしながら。
「会わせてくださいよぉ。噂によると、かなりの美人だとか。しかもボン・キュッ・ボンの、うわっ」
汚れた服の方をアモルの顔面に投げつけた。
黒いネバネバしたものがいけ好かない男の方へついていく。
こいつにルシエルを会わせたら、絶対に危ない。
ルシエルが俺から去るかもしれない。そんなことはないだろうと思いながらも、心の余裕がまだ出来上がってはいないのだ。
「色男な俺に、何てことしてくれるんですか、ダンチョー」
「彼女はもっと、魅力的な女性だ。見た目と噂で判断するな」
「え〜。なら見せてくださいよっ。ダンチョーの髪を赤い炎にしてしまうほどの、男受けのいい娼婦の娘さん。あいてっ」
流石に言いすぎだ。
金髪頭に拳骨を食らわせると、向こうは大げさに自分の頭を撫でた。
娼婦の娘、などと豪語してくるやつも嫌いだ。見た目で判断するのも、やめてほしい。
もっと、あの赤い目の中に静寂な強い意志が潜んでいるのをこいつは知らない。
背中に傷を受けながら、一人生きようと戦っていたルシエル。もっと早くに結婚できていれば、俺は苦しみから救い出せたかもしれないのに。
今更後悔するぐらいなら、今を大事にしようと踏み出している最中なのだ。
アモルをルシエルと面会させるのは、もう少し落ち着いてからだ。
「そんなに大切なんですね。良くわかりましたけど、それじゃいつになったら子供ができるんでしょうね。あ、図星ですか」
「なんだっていいだろう。俺がルシエルを妻にしたのは、体目的でもなんでもない。ただその心に惹かれただけだ」
「ちぇ、面白くないの。そんなんだから最恐騎士様は、ヘタレなんです〜」
一々腹が立つ言い方だが、こいつは中々使えるやつだから憎めない。それに、最恐と恐れられる俺に、唯一気楽に話しかけてくるやつはこいつぐらいだろう。
ひょうひょうとしたアモルが、テントの幕を開け、外を眺めた。その横顔が色男の名に相応しいほど感傷に浸るのを見せる。
「ルシエルちゃんねぇ。いつか、会ってみたいですね。プシューケーっていう家名に、運命感じちゃってるんですよ」
こいつに会わせたら、絶対に危ない。
ルシエルが、もしこの男にあったらいいように攻められるのだろうか。
俺のように尻に敷かれて、笑われる男よりも。女性は男に攻められるのを好むと、アモルから聞いている。
少しはこの髪の炎の制御が効けばいいのだが。
「ま、魔物退治お疲れさまです。一応、俺たちはあと二日は勤務しなきゃいけないんで。有給中のダンチョーは帰るんでしょ?」
「そうだな。少しだけ新人騎士を鍛えてから行こうか」
手入れしたばかりの大剣を手に取った。城に行くときはこのような大きな武器は持ち込めない。謁見の間ではせいぜい腰に携帯する一般的な大きさである。野外の魔物討伐にはこの武器が使えるから、実に爽快だ。
久しぶりに腕がなりながら、俺は新人たちへ教育をしに出ていく。
ルシエルのことを、できるだけ頭の片隅に置いておかなければならない。さもないと、髪が反応してしまうから。
「皆出てこいよー。ダンチョーが稽古してくれるってよ」
アモルの一声に、新人たちの地獄だと言うような顔がひょこひょこと出てくる。テントを張る騎士団たちの姿を、恐る恐るといったように近くに住む村人たちも見に来ていた。
「あれが噂の」
「ええ間違いないわ。恐ろしいわね」
確かめるように見る村人たちの目は、俺の方へ向かってくる。
騎士団員たちもまた、剣を構えて稽古をつけてくれるというのに渋々のってはいるが、皆青ざめるような顔をしている。
「おいー。皆してなんだよ、やる気あんのか〜」
一番やる気のなさそうな言い方をしながら、アモルが声を上げる。その一言で何とか新人たちのやる気を取り戻してもらいつつ、俺は思うことがあった。
やはりこれが本来の思われ方なのだ。
自分が地獄の鬼のように、嫌われているのが普通で。
あのルシエルの天使のような笑顔こそ、特質なものなのだ。
俺は何とか炎を出さないようにと努めながらも、新人たちのために剣を取った。