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辺りはいつの間にかとても暗くなっていた。それに天井は見覚えのないところで、ここが一体どこなのか少しだけ混乱する。

肩身の狭かったはずのベッドが広くなっている。


「起きましたか、奥様」


少し暗い中、使用人に声をかけられる。ベッドの横から急に息遣いが聞こえたかと思うと、椅子に座ったまま眠る公爵さまの姿があった。


「旦那様、途中まで看病なさっていたのですが。昨日も魔物討伐のために出向いていたのでお疲れのようですね」


「そう…」


看病というが、それは私を見張るためではないだろうか。

城で大蛇が体を締め付けるように強い力で抱いてきた公爵様は、私を供物のように思っているのだろう。

実際、伯爵家にいたとき、義理の兄からは体をなめられるよう見られた。

母が娼婦だったこともあり、私の体型は恵まれていたのだ。

おそらく、私が目を覚ましても逃げれないようにと公爵様は思って、ずっと見張っていたのだ。


「浮かれておいでなのですよ」


「誰がです?」


「もちろん、旦那様ですよ」


浮かれているというのは、そういう体の方面だろうか。だとしたら期待しない方がいい。背中には、一人で背負っていくべき傷跡が数多に残っているのだから。

使用人は水桶を取り替えながら、楽しそうに話しかけてくる。十八歳の私と年が近いのか、彼女は話し相手が貴族だろうと気軽に話す。その気楽さが、私のことを少しだけ落ち着かせもしてくれた。

名前はレヴィアというらしい。


「ここだけの話、旦那様ってずっとこじらせてたんですよ。奥様のこと、ずっとずっと手に入れたいと」


いつどこで、彼と出会ったのだろうか。

手に入れたいと思わせるほど、私は体型が良いのだろうか。そもそも体目的なら、この生き英雄とも言われる公爵様なら他にいただろうに。


「私以外にも他にいるわ。体目的でも、残念ね。私にはもう、隠さないといけないぐらいの傷があるのよ」


「奥様?」


もう、ゲロも吐いたのだし全て吐いてしまえ。開き直った私は、全てをレヴィアに話した。この屋敷の使用人たちはとても優秀だということは、昨日の時点で肌で感じている。今日の事態の収拾(しゅうしゅう)もそうだが、彼女の気さくさは、どの屋敷でも見られないほど心地よかった。

だからこそ、話してしまえる。

私は娼婦と伯爵の間に生まれた非嫡出子であること。幼い時は母と暮らし、母が梅毒という差別されかねないほどの大病を患いながら、共に過ごしていたこと。母が死に、伯爵家に引き取られてからというものの背中の傷も。


「ね、だから言ったでしょ。残念だけれど、私は公爵様の期待には答えられない」


「っ……奥様」


夜だからこそハッキリとわかってしまう。レヴィアのすすり泣く声が闇夜の静寂の中に一つ有る。たとえ彼女のクシャッとなった顔が分からなくても、音でわかった。親身になって聞いてくれる彼女がとても優しくて、私は思わず心の底から笑ってしまう。


「なぜ笑うのですか?奥様は、奥様は、とてもお辛いのに」


「あなたが私よりも泣いてるからよ。そんな辛くなんかないわ。もっと辛い人間はたくさんいる」


娼館の外にいた、裸足の子どもたち。酔い潰れながら、道端で家もなく途方に暮れる者たち。罵倒を浴びせられ、暴力を振るわれる子供も。

思い出せば、この城下町はとても美しいのだと思える。あの国は経済が悪く、生きづらい環境であった。

こちらの国の娼館なら、経済もいい国のことだから少しは待遇もいいはず。


そう考えた時だった。

突然、明かりが灯ったかと思えば、燃え上がる火の玉が部屋に一つ浮かんでいた。その色は赤金色の地獄の業火を思わせるけれど、幻想的な色だった。

それが公爵様の魔法によるものだと気づくのは、時間もかからなかった。

全て聞いていたのだろう彼は、険しい顔をしながら金色の目だけは眩しいほど私を見ていた。


「聞いてらしたのね」


「盗み聞きするつもりはなかったんだ」


「いいのです。怒ってなどいませんもの。けれど残念ですが、私は公爵様の期待には答えられないのです」


不思議と、公爵様にはもう恐れを感じなかった。お父様に向けていた作り笑いではなく、ごく自然と私は笑ってしまう。レヴィアと同じようになぜ笑うのか分からないと言うように、彼は眉間にしわを寄せた。


「君は、俺が体目的だと思っているのか」


「先程も申し上げたとおり、私は娼婦の娘です。義理の兄からはそういう目で見られたこともあります」


「酷いです。なぜ、なぜ奥様は」


隣でまたすすり泣き始めたレヴィアを、私は手まねいた。お母さんが良くしてくれたように、優しく抱きしめて背中を撫でてあげる。

非嫡出子(ひちゃくしゅつし)という半端な出で立ちでも、誰かを慰めることだけはできる。


「仕方ないのよ。非嫡出子ってそういうものだもの。でもまだマシな方だと思うの。王族を騙して悪いけれど、殿下と婚約までお父様が取り付けた。あんなに城へ足を運べたことは、幸運だったのよ」


何度、お母さんが読んでくれたか分からない絵本。擦り切れたページを何度も昼間に読んでもらった。お母さんと肩を並べて、笑い合いながらお姫様の出てくる絵本を読む。

確かあれは、姫が冥府に連れ去られてそれを取り戻しに運命の王子が行く話だった。彼らの物語は、城から始まる。

あのキラキラした夢は、本当に現実になった。城に行って、舞踏会もできたこと。それだけが私の誇りだ。


「どうか、もう泣き止んで。私のために流す涙にはもったいない。どうか他の人へ優しくする力にしてほしいの」


「はいっ…」


レヴィアが落ち着いたところで、彼女は部屋を出ていった。公爵様の魔法の火がユラユラ揺らめく中で、口を切り出したのは向こうだった。

暗闇の影の中で、彼がゴツゴツした手で私の手を掴んだ。もう怯えも何もなかった。全てを吐いたからには、何も恐れるものはなかった。


「お見苦しい姿をお見せして申し訳ありませんでした」


その赤い髪も燃え上がるのに気づきながら、彼から出てくる言葉を待った。


「聞いてくれ、ルシエル。俺は君が好きだった。その君の心が」


「公爵…様?」


ありえない。信じられない。

彼が体目的ではないということ。その言葉が、聞き間違いでないだろうか。

でも、それはすぐに真実なのだと気づいた。


目つきが悪いと感じられる金色の目が、全てを語るように悲痛そうにこちらを見ていた。私の過去をレヴィアのように嘆くように。

息をつまらせる私に、公爵様の髪が赤く燃える。


メラメラ。


赤い髪が根本から毛先にかけて、赤から金色がかったグラデーションになる。金粉を吹くように、その髪は上へ上へ燃える。

その反応が、彼が照れたように見えてしまうものだから、私はとうとう自分に動揺してしまった。

簡単に人を信じてしまうこともだが、かの最恐とも名高い彼に、紛れもない胸の高鳴りを感じていたから。


「陛下がパーティを開いていたときだったんだ。君も俺もまだ幼かったが、社交デビューだった」


貴族令嬢、令息たちの社交デビュー。三年に一度で年の近い子どもたちがまとめられて行われるパーティ。

その会場で私達は一度、話をしていたらしい。もっとも、私が庭園でまた気分が悪くなり座り込んでいたときらしいが。


「気分が悪そうな君に助けが必要だと思って側によったんだが、首を横に振って助けはいらないと言ったんだよ。どうしてだと聞けば、君は助けが必要な人は他にいると」


幼いときの自分が蘇るようだ。その時は意地を張っていた。自分は貴族になれてしまった。だけれど、あの路地にはまだ多くの不幸な人がいる。だから自分が甘えることを許せなかった。

思い出せば訳のわからないことを人に言いふらしていたのかもしれない。非嫡出子と嫡子の子との感覚はよくよくズレていたがここから来ているのだろう。


「馬鹿みたいですね。私、そんな変なことを」


「変じゃないさ。君の赤い目からは確かに、強い意思を感じた。それにも、惚れてしまったが、実は一目惚れだったんだ」


ますます、私は私が分からなくなってきた。

公爵様が重ねてくる強い手に反応して、変に汗ばんてくる。ドクドクと、不規則に鼓動が落ち着かない。

赤の炎が燃え上がる。公爵様の魂の揺らぎをそのまま反映したように、宙に浮かぶ魔法すらもが燃え揺れた。


「だが、すまない。今日吐いたのも、俺が恐いからだろう?朝もそうだった。俺が怖いから、君はいつも早く朝起きて…」


野獣のような見た目で、誰よりも強いのに彼は途端に小さくなったように見えた。まるで子犬のようにキューキュー鳴いてくるみたいだ。冥府の番犬とも言われるケルベロス公爵が、今とても弱く(もろ)くなっている。

彼の赤い炎もまた、少しずつ勢いをなくしていく。


「俺が嫌いだろう。でも、俺は君が好きだ。だから手放すことはできない。弱い俺を許してくれ」


「なんて…なんてことを」


「ああ。本当に申し訳ないと思っている。その分できるだけ、君が欲しい物を与えるつもりだ」


「許しません。こんなの…こんなの…」


なんて、なんて可愛いものを見てしまったのか。

あの最恐と名高い公爵様が、恥ずかしげに炎を弱く燃えさせながら、背中を丸めている。

何だか心の底から少しずつ意地悪なものが湧き出る気がした。


「責任を取らせてくれ」


その頭の炎が、少しずつ暗闇に溶け込んでいく。とうとう、彼が魔法で空中に浮かばせている炎だけが頼りになる。

暗闇の静けさを、打ち破ったのは私だった。


「最初から、なぜそのことを言わなかったのですか。最初から仰ってくださっていたら、私はあなたを怖がることもなかったでしょうに」


「え?」


「だからなぜ…わ、私のことをお好きだと仰られなかったのですか?」


最初から彼が好きだと言ってくれていたら。こんなにも怖がることなどなかったではないか。彼が曖昧なまま婚約を取り付けたおかげで、全てを勘違いしていた。

こんなにも、彼は私を手に入れてしまったことに罪悪感を抱いてくれている。

私が非嫡出子で、望まれたような子供ではないのに。


「公爵様、私は先程も申し上げましたとおり、望まれた子ではありません。幼い頃までは娼館にいたこともあり、他の令嬢とは違った感覚があります。私を知れば知るほど、呆れられるかもしれませんよ?」


「それはないだろう。俺は君をずっと見ていたんだ。城の間中、騎士団長になったのも仕事の時に見守れるから」


彼はいつから、このような婚約を望んでいたのだろうか。

殿下と私が、婚約破棄したばかりだというのは彼自身も知っているだろうに。


「私をずっと見ていたのですか?」


「すまない。つい目で追ってしまうんだ。もう俺の癖になっていてな」


また落ち込むように言う。私は責めているのではないのに。

その様子が理不尽に怒られる子犬のような姿で、なぜか私の奥底にある意地悪したい心をくすぐってくる。


「責任を取ってください」


「もちろん、取らせてくれ」


「そうですよ。手始めに、私をあなたの妻にしてください」


「ああ、君を妻に……え?」


私は寝台の上で正座すると、頭を下げた。

彼が私を好きだと言ってくれるなら、それに精一杯答えたくなった。

なぜかはわからないけれど、鼓動と思考ばかりが目まぐるしく動く。

一刻一刻を打ち鳴らす心臓が、私の覚悟を固めていく。


非嫡出子、娼婦の子。

それでも彼が私を好きだと言ってくれる。

望まれない子なのに。彼のほうが身分が高く、婚約を本当はもっと無理矢理なものにできるだろうに。

彼は責任を取ろうとまでしてしまう。


あり得ないことだった。


公爵家の嫡子で、英雄でもある彼がそれを知っても(なお)、私を嫁にしたことを責任を取るだなんて。どれだけ彼は必死な思いをして、私に許しをこうてくれるのか。

『素敵な王子様と出会いなさい。いつかあなたをあなただけを思ってくれる人に』

母の声が蘇る。

彼が事情を知った上で好きだと言ってくれたこと。

今はそれに、ただ答えてみようと思えるほど心が確かに震えていた。


「う、嘘だろ…本当に、本当に良いのか」


「ですが、私の背中には傷があります。それを見てからご決断ください」


「決断も何も、俺はずっとルシエルを」 


私は暗闇の中、服を脱いだ。背中のところだけが見えるように、布団を抱き寄せると、公爵様の炎の近くによって見えるようにした。

この傷を見ても尚、彼が好きだと言ってくれるなら。


「こんなに…」


息をつまらせる公爵様が、ただため息を付いた。

幻滅されただろうか。

けれど、それはすぐに違うとわかった。急に背中へ何かがなぞる感覚がしてくすぐったくなる。


「こ、公爵様?」


「ムチだな。それもかなり手酷い。船のある国だと船長が水兵にムチを打つと言うが、これはそれよりも」


公爵様の骨太な指か、私の背中をなぞっていた。

傷をなぞり、全ての痛みを分かつように彼が優しく撫でている。

とてもくすぐったくて、私は息を潜めるために手で口を抑えた。

それをまた吐くのかと思われたのか、身を乗り出して公爵様が心配そうに顔を覗き込んできた。


「大丈夫です。ちょっと、くすぐったくて」


「す、すまない。君の肌に触れてしまった」


動揺しながら、赤い髪が少し燃え上がるのがとても可愛らしかった。公爵様の底しれない魔力は、彼の気持ちとともに連動する。だからこそ、城で壁に拳をぶつけた時にも髪が燃えた。

素直な気持ちがよくわかってしまうからこそ、私はもう心に決めた。


「私のほうが頼りないでしょうが、妻としてくれるならよろしくお願いします。精一杯、ケルベロス公爵様をお支えできるよう頑張ります」


「あ、いや、君は何もしなくても」


ますます赤くなる彼の髪は、魔法で作った炎よりも燃え上がっていた。最恐と名高い彼が、ここまで動揺するのはなぜか。

その金色の目が私の胸元を見ているのに気づくには、遅くなかった。

彼はつまり、女性の体に免疫がないようだ。


「ふふふっ。あれほど抱きしめてきましたのに、そんなに照れるものなのですか」


「いや…あれは、城のときは嬉しくてついしたことで」


「毎朝、抱きしめてくるのに?」


「…俺が、君を?」


昨日の朝から今日の朝。していたことは、無自覚に出ていたもののようだった。そのことを話すと、公爵様はますます赤い髪を燃え上がらせて動揺をあらわにする。

怖い怖いと言われ、恐れられているのに。

全く怖くない。

それどころか、すごく可愛らしいものを見てしまった気がする。


「ふっふふふふ」


「わ、笑わないでくれ。恐れられることは慣れているが、笑われることは」


「すみません。ですが、笑いがこらえきれなくて」


意地悪に微笑んでしまうのは少し許してほしい。最恐の彼は、実はとても可愛いと気づいてしまったから。

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