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お義兄様がいつ、魔物のように現れるのかわからない。それはすごく怖いことで、私達の精神を蝕んでくるようだ。
「レイ様、本当にこのような事態になったこと…すみません」
隣に座るレイ様に小声で謝りつつも、これから対面する人に内心すごく緊張はしている。
公爵邸から離れた、領地の田舎にある別荘地。そこにいらっしゃるのは、ご隠居している彼の父母だ。
「いや〜、待たせて悪いな」
少し長いくせっ毛な赤金色の髪を後ろで緩く結わえ、無精髭を生やした男。
その目付きの悪い金色の目に、ほりの深い顔。照れ笑えば可愛らしいに違いない大男は、レイ様にそっくりだ。
「待たせて悪いといいながら、あなたは急ぐ努力をしませんから」
「あはは…すまんすまん」
その男の腰をヒジでつつくのは、湖の女神のように肌の透き通った女性。流れるような金髪に、青い湖の目。たおやかな仕草一つ一つが、彼女の気品の良さを知らせる。
「ルシエルちゃん、噂には聞いてましたよ。私の息子と結婚してくれてありがとう。そして遠路はるばる、ようこそ来てくれましたね」
レイ様のお母様である、アマリリス・ケルベロス婦人が朗らかに微笑む。見ているだけでこちらも食い入ってしまいそうなほどの細身で美しい女性は、隠居する年齢にはまだ見えない。
隣に並ぶ彼女の夫、フライト・ケルベロス前公爵は、頬をかいた。
「とりあえず、手紙で息子から聞いたぞ。お嬢さんと、と聞いた時は驚いた。まさかレイと結婚してくれるとは」
「そうねぇ、うふふ。レイは優しいけど勘違いされるほど体格がいいものね。ルシエルちゃん、よろしくしてあげてね」
「は、はい!」
レイ様の両親はとてもご丁寧だからありがたい。
だけど今回はこういう和やかな雰囲気すらぶち壊しに来るような危険な事態なのだ。
レイ様が話を急かすように、自己紹介すらままならないまま話を進めていく。
公爵邸に忽然として現れた、あの魔物になりかけた化け物のこと。
私がお義兄様から聞いた話を彼には伝えてある。
どこかの魔女と、それもレイ様の魔力を越える者と契約したこと。それから、人が魔物化しているという信じられないことについて。
今回、ここには疎開しにきたようなものだ。お義兄様の手から少しでも身を守るために。レイ様がご両親と相談したうえでの決定であった。
「厄介なことだなぁ。お嬢さんの家はとっても複雑そうだ」
「彼女の親族は嫌なヤツばかりで嫌いだ。噛み殺してやりたい」
「ガハハハ!それはいいなレイ。私と共に地獄の死火を見せにでもいくか!」
ケルベロスの血が騒ぐのか、彼らは共に赤金の髪を黒く燃やしながらボキボキと手の骨を鳴らす。元騎士団長と、現騎士団長の二人が言うと、奈落の底まで追い回される気分になるのでむしろ心強い。
地獄の番犬が二匹そろえば、向かうところ敵なしと言えるだろう。そんな暴力的な二人を止めるのは、穏やかそうなアマリリス様だった。
湖畔のような青い目を細めて、緩やかに笑う。その笑みの後ろには二人に対しては静かすぎる怒りがあった。
「そんなものじゃ足りませんよ。肉体的にも、精神的にもゴリゴリ削ぎ落とすのが上手いやり方です。うふふ、たっぷり可愛がってあげましょう」
「リリーが本気になると、社会的に潰されるからな。気をつけたほうが良いぞお嬢さん」
社会的に潰されるとはつまり、貴族界での品位を下げるものなのだろう。それ以外にも、伯爵家から身分剥奪された彼らのことをこれ以上苦しめるならば。おそらく、奴隷落ちも彼女の視野に入っているのではないだろうか。
考えただけで背筋が寒くなってきた。奴隷落ちとはつまり、民の権利すら得られずに一生をタダ働きでこき使われて…
「ルシエル?」
「いいえ、ちょっと寒気がしただけですの」
彼の袖をひっつかむ。
ケルベロス家、なんて頼もしすぎる家族なのだろうか。
「ぶっ、ハハハハ!お前は相変わらずだな。まだ初恋相手には慣れないのか」
「父さん…そのことに関しては」
「あなた知らなかったのです?レイはずっと、ルシエルちゃんのことを考えるだけで魔力が収まりませんの。もうこれは、一種の不治の病ですから」
隣のレイ様の炎が爆発しそうなほどに真っ赤に燃えるのを、向かい側の両親がクスクス笑って見ていた。彼がからかわれるのに照れてしまうのは、もしかしたら両親の影響なのかもしれない。
二人共が優しくレイ様のことをからかってしまうから。
「と、とにかくだ。俺が魔物を狩る間にヤツが来ても彼女を守ってほしい」
「了解した。地獄の炎に誓って」
「地獄の炎に誓って」
レイ様とフライト様が右手の拳をつきあわせて誓いを立てる。その瞬間、彼らの赤金色の髪が黒く燃えて、互いの手首に鎖の文様が浮き上がる。それは一種の契約の魔法だった。
「これがある限り、私とレイは互いに連絡は取り合える。どちらかが攻撃を受けていれば、これが知らせてくれるからな」
「黒炎の誓いを使うのなんて何年ぶりなのでしょうね」
「う〜ん、こんな緊急事態以外にあまり使わなかったからな」
魔法というのは使うだけでも大変なことだ。人々の中に魔力は存在するものの、それは魔法を使えない程度にしか備わっていない。
レイ様がバンバン守ってくれるために使うから魔法が身近に感じるけど。
一度使うと、何を使ったかきちんと説明したものを紙に書いて城へ使者を使わせなければならない。それぐらい厳重に管理されている理由は、魔法はとても危ないものだから。
正当な理由なしに使えることはない。それは法律が禁止している。
「久しぶりに血がたぎるな。そいつが頑丈なやつならいいんだが」
「先に獲物を横取りせずに、待っていてくれ。俺がかたをつけたい」
「ガハハハ!最低限は務めるが、お嬢さんに怪我があっては大変だからな。守りを優先する。その場合は冥府に連れて行くことになっても許してくれよ」
レイ様のご両親に挨拶を済ませた後、私達は早めの夕食をすることになった。
公爵邸でどのように暮らしているか、不自由はないかと質問攻めにされるものの、その後はレイ様のエピソードで彩られる。彼が幼い頃、どんなに可愛らしい子供だったか話されて羨ましさで声がうわずりかけたほどだ。
「レイったら、ルシエルちゃんのことを考えるだけでフニャっと子犬みたいな顔になるのよ」
「普段は無表情で落ち着いた子供なのにな。お嬢さんの顔を浮かべるときだけは楽しそうだった」
ご両親が懐かしそうに続ける。
「剣の稽古にまでそれを持ち出された時は大変だったなぁ。髪が根本から焦げそうになるほど、真っ赤になっていたし」
「レイ様は幼い頃から、そんなにも私のことを……?」
「そうよ。私の息子はあなたのことをずっと心から欲しがってた。だからありがとう、レイの望みを叶えてくれて」
小鳥のようなアマリリス様が笑うと、花も歌うようだ。
レイ様が私のことを片思いしてたって言っていたけど、そんなにも願ってくれていたのだろうか。
彼は目を背けるばかりだったけど、素直に炎だけは赤かった。
「でしたらもっと、私はレイ様の妻として相応しいようになりたいです。お義兄様のことなどでこれ以上ご迷惑をかけないようにも」
「それは寂しいことね。レイはあなたを思うがあまりに強くなったのよ。だから守らせてあげなさい。あなたは守られていていいのよ」
アマリリス様の言葉が胸に染み込む。
そこにレイ様が最恐と呼ばれるようになった理由が隠されていそうだった。
夕食の席は最後に、レイ様と彼のお父様のちょっとしたお酒飲みで締めをくくる。まだあの魔物を打ち倒すことができていないので、飲み直しは討伐後らしいけど。
寝台でレイ様と眠る中で、また声が聞こえてくる気がした。
『ふふっ。大変ね』
小さな蝶が肩に止まっていた。触れれば壊れてしまいそうなほどの、細かな鱗粉でできた黄金の蝶は笑う。
『あの魔物は強いわ。番犬二匹でも、果たして勝てるかしらね』
どういうこと?
レイ様とそのお父様でも、勝てないということなの?
国を守る地獄の番犬二匹がかりですら守りきれないほど強いなら。お義兄様を誰が打ち倒せるというのだろうか。すでにそこまで手遅れだというのなら。
『ふふふ、遺書でも書くつもりなの?』
それしか方法はない。
私を守る彼を守り抜くなら。この温かいケルベロス公爵家を守るためなら。




