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兄につられて後ろに飛ばされそうになる私を、レイ様は片腕で抱き寄せた。その黒い炎の手で、私の腰を抱きとめる。

廊下になぶり倒された義兄は、口から血をまとめて吐き飛ばすと立ち上がった。フラフラとした意識も朦朧としているはずなのに、彼はどうにも平気そうだ。


「言ったでしょ。僕はさ、お前という醜い化け物から取り戻すなら何にでもなる」


「…お前、魔物になりかけてるな」


「ご名答。番犬の脳ミソは意外と悪くないね」


魔物とは得体のしれない生き物だ。物理攻撃は全く効かず、魔法をまとわせた武器でしか倒すことはできない。発生する数も強さも時期もバラバラで、まだ研究は進んでいない。それをレイ様が一発の拳で見破ったのは、普段から魔物を相手にしているからだろう。


「魔力の淀みが魔物だ。お前の体内に流れてるソレは、随分と汚い」


「そうかもね。でもね、この魔力をきれいにする方法ならあるんだよ。白雪の血を使って、ルシエルに僕の魔力を吸い上げてもらうんだ」


この義兄はとんでもないことを企てていた。私の白雪の血筋を使って、その魔力を吐き出そうとしているのだ。そうすれば私は死ぬだろう。淀んだ魔力はまさしく、ドロドロの血液を輸血するようなもの。


「吸い取ってもらえたら、君は永遠に僕のものになる。その番犬に食われずして済むんだ」


「胸クソ野郎」


「ははは!嫌だなあ、気持ち悪いのはそっちでしょ。番犬の発情期に僕の妹がつきあわされなくちゃいけないんだからさ」


レイ様の顔は酷く冷たい顔をしていた。黙って牙を向く猛犬は、蛇のように執着気質な義兄に噛みつこうとしている。


私には義兄の魔力が気味悪く感じられた。ドロドロ、ドブのように淀んだ魔力は義兄の体を巡っている。痩せこけて、レイ様のストレートパンチをもろに受けようと立ち上がる。体内の醜い魔力が傷をふさぎ、さらに魔物への道を歩んでいた。

あの肉体はすでに人間とならざるものの狭間のような存在になっている。


「奥様!大丈夫ですか!」


レヴィアが廊下の向こう側から走ってくる。彼女はレイ様と同じように拳をつくり、お義兄様へ飛びかかろうとするもののそれは宙をかいた。お義兄様は灰のように黒いチリになって姿を消したのだ。


「また来るよ。今度は番犬がいない、魔物討伐のときにね」


耳元で最後、ささやかれた言葉が背筋を凍らせた。

今度来る時は、レイ様も助けに来れない日かもしれない。魔物討伐に忙しい彼は、三日や五日も家を空ける時がある。その時を見計らって来られては、私は今度こそ…


「レイ様っ…」


涙が止まらないままに、彼の袖をつかんだ。こうしてないと、またお義兄様が来て襲われそうだから。


「っ……すまん」


彼はぎこちなく頭を撫でてくれる。遠慮がちな手付きは、彼を怖いと言ってしまった私のせいだ。

そのことを謝りたくて、誤解を解こうとすると喉が苦しくて言葉が出ない。


「大丈夫。君は俺が守る」


それだけ言って離れようとするレイ様。後ろに身を引こうとする彼は、お義兄様に言われたことを気にしていた。


番犬の発情期。


夢で見たあの炎のケルベロスが似たようなことを話していた気がする。


思いを抑えられない。


もしこれが自分の思い上がりでないのなら。レイ様が本気で私のことを欲しながらも。その衝動を自ら抑えているのなら。

どれだけ彼は私のことを大切にしてくれているのだろうか。

お義兄様のような独りよがりの考えでなくて、相手を尊重して。レイ様の手を、私はひっつかんだ。


「っ!?何をしてる!」


黒い炎をまだまとった大きな手を、先程お義兄様に触れられた胸へと置いた。汚れたところを、その黒い炎で浄化してもらうように。


「レイ様っ……ごめんなさいっ………」


「あ、謝らなくていい。あの化け物が悪い。というか、無理をするな」


彼の手がぎこちなく後ろに引くのを、私は力強くつかんで押し付けた。

高鳴ってやまない鼓動が届くほどまでに、彼の手を引き寄せる。


「無理なんかではっ、ありませんっ…。レイ様っ……触ってください」


「っっっっ!!」


その炎が盛んになり、レイ様は歯を食いしばった。彼の体内に巡る血筋に、その猛犬は宿っている。魔力を授けた冥府の番犬の力。夢で言っていた、活を入れてやるということ。


「レイ様こそ、無理しないでください。私は貴方様にだけなら手酷くされても構いません」


「俺はそんなこと、君にしたくない」


「分かっております。優しい貴方様のことですから、私のことを酷く痛めつけるようなことはしないとは、重々承知していること」


涙を拭って、鼻をすすりながら満月を見た。レイ様の金色の双眸は、どうにも私の露出した肌から離せないようだ。

それでもその目はお義兄様とは明らかに違う。魔力の高ぶりに狩られながらも、大切にしたいという優しい思いで抑え込んでいる。


「ねえレイ様。私は思うのです。身も心も、貴方様に全て捧げたいと」


「何を言って」


「愛しておりますレイ様。この前、怖いと言ってしまったのは単に驚いて出てしまった言葉なのです」


「それが本音ではないのか」


「違います。私は貴方様のことこれっぽちも怖くありません」


最恐ではない。

私にとって、その異名はあまりに滑稽に思える。それほどに、私は彼を別の角度から見ている。

レイ様は優しくて、誰にでも手を差し伸べてしまう。だから魔物討伐という誰もがやりたくない仕事すら受け入れる。幼い頃からその命運をかせられ、それを真っ当にこなす姿はとても輝いて見える。


「ですからレイ様。もしまた貴方様が私を求めるなら、答えたいのです。貴方様に身をゆだね、尽くしたい。心からそう思っております」


この胸にある内を全てを見せれたらどれだけ良かろうか。

レイ様への愛に詰まっているこの優しい思いを、彼に伝えたい。


言葉では足りないから。


その時だった。金色の粉が舞い上がるのは。蝶が乱舞するように、私の背中からは羽が生える。優しげに一度羽ばたくと、鱗粉をまとわせレイ様の周りを囲んだ。


何度も何度も、彼を求め受け入れるように。

その金の粉はレイ様の体だけを包みこんで、彼の髪の炎の勢いとともに流れていく。それは蝶の舞のように。

そのまま彼へと強く抱きついた。擦り寄せる額を、レイ様は手を出さずに受け入れて突っ立っている。


「触れても良いのですよ。貴方様にだけなら、いくらだって捧げます」


怖がられることの多い彼は、大好きだからこそ私に怯えられることが一番怖いのだろう。


怖がることはない。彼を怖いと思ったのは、最初の時だけだ。城で彼が炎を上げて壁に拳をぶつけたときだけ。それ以外は、優しい彼しか心を埋め尽くしていない。


「こんなに抱きつくのは久しぶりです。迷惑だとは分かっております。ですが今だけは、今だけは甘えさせてください」


母さんに甘えることは許されなかった。

甘えては誰かが我慢しなければならないと心の内では分かっている。理解しながら、今日だけはどうしても許してほしい。レイ様に抱きついていたくて仕方ないのだ。


高鳴る鼓動を知ってほしい。あなたを見るだけで、側に感じるだけで、こんなにもどうしようもない気持ちになるのだ。


「レイ様、大好きです」


「っっっ…もう、もう、いい」


「何度でも言います。大好きです」


「もう、やめてくれ」


レイ様が私の肩をそっと掴んで離した。顔を背けて、その炎ばかりが目立つ、梅の花のようなピンクの色になる。冷たかったはずの顔は口元が溶けて、リンゴのように赤くなっていた。


可愛らしいレイ様。


その衝動を抑えていようとも、彼は実のところとてもウブなのだ。まだこういうことに本当は慣れていなくて、私から攻められることには慣れていない。


「君は気持ち悪くないのか。俺の欲が」


「何も気持ち悪くありません。だって、精一杯抑えようとしてくれていますもの。それに、貴方様はお優しいから」


「優しくなんかないぞ俺は。この心には野犬が住んでいる」


信じられないのなら何度でも言葉にしよう。言葉にする以上に、何度でも彼の心に響くように伝えよう。

抱きつく力を強めて、レイ様の胸元でささやく。


「大好きですレイ様。大好きです」


「わ、わかったから。それ以上はからかうな。本当に、俺の理性が」


「からかってなどおりません。今は本気です」


あなたの心の扉にノックできるように。ピンポンダッシュなからかいではないことを示したくて。

ギュッと、もう風の隙間すら入らないほど歩み寄った。

こんな力強い抱擁を、私からしたのは何年ぶりだろう。幼い頃に忘れてしまった力の入りようは、とても不器用かもしれないけれど。


伝わってほしい。この込み上げてしまう思いを。



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