28
スキュイの家族が無事保護されたとの連絡が、朝早くに伝令で使わされた。先輩使用人であるレヴィアはそのことを聞くと黙ってスキュイのことを抱きしめ上げた時は、使用人たちも泣いて拍手すら贈った。
経歴も曖昧なまま雇い、私の命に危険が迫ったことをレヴィアは何度となく謝罪してきたけど、苦笑いで返すしかなかった。
「奥様は甘いです。私に、何か言うことはないのですか」
「そうです!奥様、私は奥様を騙して毒を…」
「もう二人共、これでは私のほうが拷問を受けてるわよ。いいこと、謝罪するぐらいなら感謝を言いなさい」
レイ様のように怒ると、彼女たちは互いに見つめ合った後にすぐ感謝を述べる。
今後とも公爵家で働いて欲しい二人のことだから、もちろんクビになんてするわけもなかった。
レヴィアは忠実な世話係で、スキュイは未来が楽しみなほど器用な子だ。
二人共の頭を撫でていると、部屋にクマのように大きい影が現れる。
「君は最近、人の頭を撫でるのが好きなのか」
唇をとがらせて、ムスッとするレイ様。本当は昨晩の頭ナデナデが物足りないのかもしれない。
夜のうちに、またしてあげようと思いつつ私の手元にある手紙のことだけがまた気にかかっていた。
❲夜会のパーティーを楽しみにしているわ❳
一見すると、脅しの手紙ではないだろう。でもこの封筒の裏には文様が入っていた。
プシューケーの家紋。
金色の蝶がオレンジのベゴニアという花の上にとまる家紋。
これは義母が嫌がらせに送った一枚なのだろう。近頃にまた開かれる城でのパーティーで。彼女はまた何かを用意している。
「ルシエル、なにか隠してるだろう」
「え?」
「とぼけても無駄でございますよ奥様。このレヴィアが、旦那様にチクりますよ?」
「旦那様、怒ったらとっても怖いってお聞きしましたし」
二人がギラギラした目で詰め寄ってくる。ここは私の自室なのに、いつの間にか入っている人が多くて人口密度がやけに高くなっている気がしなくもない。
なぜなら、開け放たれた扉の向こうで複数人の使用人たちがウンウン頷いているからだ。
「奥様、旦那様をお頼りください」
「僕たちお二方の絡み合い、好物なので」
「甘えちゃってください奥様。絶対におもし……いいですから!」
レイ様と二人そろうと、面白がって見に来る使用人たちはやけに多い。加えて、レヴィアとスキュイがもはやレイ様に告発しているようなものだから言い逃れはできない。
渋々に、黒い封筒をレイ様へ手渡すと彼は受け取り中身を読んだ。
「これは嫌な書かれ方だな。ルシエル、これを一人で対処しようとするなど君は」
「元々は!ちゃんと、貴方様に相談するつもりでした…」
語気に力がなくなりつつも、ちゃんと彼には相談するつもりではあったことを主張する。あの夜会のときのように、また窓を壊されるほど怒られてはひとたまりもない。
反省しつつも、このような臭わせな手紙は言う必要もないと思っていたけど。
「どんな些細なことでも、危険だと思ったものは必ず報告して欲しい。一人で対処する必要はない」
「ですが、このようなことに気を使うより、魔物討伐とか、もっと大変なことはあるでしょう?」
レイ様は忙しい人なのだ。城からは絶大な信頼を寄せられ魔物討伐を引き受けている。加えて、彼は公爵家当主だ。領地の収穫も見届けなければいけない。
私が最近は仕事を少しずつ覚え始めているから負担を減らせてはいそうだけど。
「午前は城か屋敷で仕事。午後は鍛錬や、見回り。貴方様のお手をわずらわせるには」
「何度も言っている。君は俺の妻だ。夫を頼らないのは、不孝者だぞ?」
レイ様はそっと手紙を机に置くなり、私の隣へと歩んできた。その大きな手が私の頭へとのせられて、ポンポン軽く押し付けるように撫でてくる。
その手つきは猫を触る時のようなもので。
キュン、と胸がしめてくる。
頼っても良い。頼りにしてくれ。
そう言われていることが、未熟な私でも大切にしてくれているということな気がして。
嬉しくて、私は照れ笑った。
「頑張り過ぎだ。君は一人で抱え込もうとするけど、俺が側にいるんだからな」
「ちょっとお待ち下さい。奥様のそばにいるのは、このレヴィアでもございますが」
「そ、そうです!旦那様ばかりズルいです。奥様にはスキュイもいます!」
二人が割り込むように言うから、またクスクスと肩を揺らして笑ってしまう。なんて頼もしい人達だと思いながら、部屋の外にいる使用人すら賛同する。
屋敷の中はいつだって安心できる鳥の巣だ。
温かい空間も、優しさで満たされる心も、どんなものより代えがたい。
きっとこれも全部、当主であるレイ様の心が、写し鏡になっているからだ。
「頼もしいですね。私はレイ様の妻になれて、本当に幸せとしか言いようがありません」
彼の手を取り、そっと手の甲へと口づけを施す。
手の甲への口づけは、敬愛の印。
レイ様の顔はみるみる赤くなり、その髪は反対に青く染まって焦げていく。
「き、君はっ……不意をつくのがうまい…」
「それは当たり前のことです。私は貴方様が油断なさる時をいつでも見ておりますから」
「それって、旦那様のことずっと見てるってことじゃ」
「スキュイ、この夫妻はそういう人達よ。私め使用人たちはただひたすら見守るしかないの」
青い炎が吹き荒れる様は、荒波のようだ。スキュイがなぜかとても悲しそうな顔をしていたけど、レヴィアが先輩面をしてなだめているのすら頼もしいと感じる。
それから、私はまた舞踏会のためにドレスを着飾ることにした。今度も紺色を基調としながら、彼との共通点でもある赤いものをアクセントにして。
その夜は待たずしてすぐに訪れてしまう。
馬車に乗り込むさなか、髪に止められた飾りに喜んだ。
金の蝶を模した髪飾りは、赤く美しい造形をした炎の髪飾りに置き換わっている。彼から贈られた初めての物は、胸に灯火をつけていた。
会場へ付けば、貴族たちはもうそこに集まっていた。今回は名を叫ぶ係の使用人はなしに、自由に出入りができる。そのぐらい、軽いパーティーなのだ。
「ルシエル様は、本当は妾の子なんですってね」
「騎士団長を体でたぶらかしたとか」
「まあ!なんて小賢しい真似を」
ザワつく会場。今度その好奇の目で見られるのは私だった。
伯爵家が流した噂が出回り、貴族たちの話題として持ちきりになっていた。
隣りにいる彼に、私は顔向けできなかった。
自分はたしかに、娼婦の娘で非嫡出子。その出生は、あまりにもレイ様とは釣り合わない。
拾われなければ貧民街で暮らすぐらいの、下級市民。
身分違いの婚約だった。
「お前らっ」
「レイ様」
拳を握り始める彼の腕を掴んだ。
貴族たちの噂話はやまない。それはカラスの大群のように、鳴り止まない。
娼婦の娘、愛人の子。
いやらしい身分。汚れた血筋。
そう呟かれるたびに、私の手はどんどんレイ様の耳へと伸びていた。
「ルシエル?」
「……かないで」
彼の隣に相応しい妻でありたいから。
彼の耳を両手で覆い、塞いでしまう。
「聞かないでください」
優しくて強くて。勘違いさえなければレイ様は魔物から国を守る英雄だ。
この先、たくさんの縁談が来るかもしれない。
娼婦の私なんかふさわしくないと、周りからたくさん言われて。
それは嫌だ。
たとえこの婚約が、恋が、身分違いでも。彼の一番側にいて支えたい。
彼の大きな手で守られていたい。
「泣いているのか?」
「お願いですっ。私を嫌いにならないでください」
周りからは何て釣り合いの取れた夫婦かと言われたい。
英雄のレイ様と、私がお似合いの夫婦だと。
そのぐらい、私は背伸びして彼の隣にいたい。
これが義母の仕組んたことだ。何て辛いものなのだろう。
非難されては、私は彼の隣にいれない。
どうか私の悪評を聞かないで欲しい。もし全て聞いてしまったら、レイ様が私を嫌いになるかもしれないから。
「…お願いです……嫌いに…ならないでっ」
その時、腰に強い力が加わった。ギュッと体は引っ張られて、体の輪郭が鮮明になる。森の爽やかな匂いが鼻をくすぐった。
低い声が耳元で囁かれる。
「俺が君を嫌いになるわけがないだろう?」
優しい海底の声。
レイ様の太い腕が私の体を覆うように回されていた。
「レイ様」
「だいたい、恐れられている俺のことでも、すぐに受け入れてくれたのは君の方だ。それは周りからどう言われていようと、君自身が俺を信じてくれたから」
その優しい赤い炎を、私は好きになった。
体調を崩したあの夜に、私は最恐と恐れられる彼の本当の姿を知ったあの日から。
レイ様をずっとずっと好きでいる。
赤い夕焼け色に染まるレイ様の炎はずっと優しい色。
「ありがとう。俺の妻でいてくれることを、受け入れてくれて」
何て温かい言葉だろうか。
何て、言葉以上に優しい抱擁だろうか。
たとえ私が周りから何と言われようと、レイ様は私を嫌いにならないでくれる。
それが嬉しくて、嬉しくて。
心は弾けた。
「!?ルシエル、背中から金粉が」
お父様から受けて、ずっと残っていた背中の傷。その一つ一つがぼんやりと、温かくなっていく。
彼のことを私も包みたい。
優しい香りと、温かい思いで。
羽根を伸ばし合い、守り合う鳥の番のように。
ほのかに温かくなり始めた背中の傷から、ドレスの布を透過する金粉の魔力が溢れ出る。
それは羽化する蝶のように。
一粒一粒が、形をなしていく。
黒い髪はのびやかに。
赤い目を朗らかに細めて、彼へと笑いかけた。
「蝶の羽…?」
「あれは、伝説のプシューケーの羽じゃないか!」
その伯爵家の家紋の由来を、貴族たちは思い出していた。
生と死と、復活の象徴。
蝶は幼虫としてこの世界に生を受け、一度はサナギとして死んだように固まる。
雨も風も、たくさんの災いに身をうたれながらも、サナギはやがて準備を終える。
それはしぼみ、縮みきった羽根を伸ばすための、次に進む期間。
羽化する蝶は、惨めに固まっていた過去を越え、新たな生を迎えて、再生を繰り返す。
「せ、背中から蝶の羽が生えてるぞ」




