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門扉をガンガンと飛んでくる石が叩いていく。今日で何日目だろうか。

窓からその様子を見る。

公爵家の屋敷に向かって、わざわざその門を飛び越えてやってくる侵入者。手に握られた石を、公爵邸の扉に投げる。


「娼婦の公爵夫人♪」


「恩知らずの公爵夫人♪」


「出てこないなら、ムチうつぞ♪」


伯爵家に雇われたであろう子供が、ふざけるように歌を歌って石をぶつけている。困り果てる使用人たちは、昼間にくるこの訪問をうっとおしそうに追い払う。

父様と兄様の攻撃は本当にみみっちいこと。そうかもしれないけれど、確実に精神をすり減らしてくる。

また、彼らが来たらレイ様にどんな顔をして謝ればいいだろうか。

朝の鍛錬を終え、昼間の書類仕事も片付いたレイ様が、私をお茶に誘う。


「すみません。庭園でゆっくりお茶をできないのも、私の責任です」 


日雇いの子どもたちの攻撃が危ないからと、私達は屋内で食べる他なかった。

外の薔薇が咲き乱れる今の時期が見どころだというのに。

レイ様のマカロンを食べる手が止まった。


「屋内か屋外かなんて、気にしなくても大丈夫だ。それより、君は無理してないか?毎日あんなクソみたいなことを言われて」


“クソ”というあまりにも下品な言葉を使うので、思わず苦笑いしてしまう。

レイ様の心遣いはやはりお優しい。


「あれぐらい、どうってことありません。私はレイ様をこのようなことに巻き込んだことの方が、よっぽど悔やんでいます」


私が彼の妻でなければ、別の人であったなら。

レイ様はこのような誹謗中傷の汚い言葉を聞かずに済んだ。


娼婦の娘、恩知らずの令嬢。


血筋が中途半端でも伯爵に拾われた私は、確かに恩知らずだ。だからといって、彼らのために何かをしたいとはもう思えない。

小さい頃は王妃教育も務めたけれど、ムチの跡が背中に残るたびにその感情から離れていった。

あの方たちのためなどとは、私は思わない。

むしろ、目の前にいるレイ様にだけ尽くしたかった。


「迷惑をかけてすみません」


「そんなに謝るな。俺は謝罪じゃなく、感謝の言葉なら受け取るが」


罪悪感に(さいな)まれかける私を、彼は慰めようとしてくれる。あのように屋敷へと石を投げられて、彼も疲れているのに。


「では、ありがとうございます。私を守ってくださって」


言葉にすると、胸がきゅっと結ばった。

謝るよりもずっと、お礼を述べることのほうが心が温まる。


「ありがとうございます」


「君はいくらでも礼を述べそうだな」


「もちろんです。レイ様には感謝してもしきれないくらい、私はあなたにとても良くしてもらっていますから」


「その笑顔は反則だ…」


ボボボ、と燃え上がっていく赤い炎。マッチに火がついたかのごとく、それは一度つくとなかなか消えない。

からかいがいのあるレイ様を見ているのは、感謝してもしきれないことの一つだ。

侍女のレヴィアが紅茶を変えてくれるのを横目で見ながら、もっともっと言ってみる。


「レイ様の赤い炎が好きです。優しくて温かくて、私まで穏やかになってしまいます。レイ様の大きな手も、私のことをいつも守ってくださる。レイ様の照れてるところは、特に可愛らしくて。朝に弱いところも…全部」


「もういい、止めてくれ。これ以上言われたら」


もっともっと赤い髪が燃え上がるのに、時間はかからなかった。

彼は意外と褒められることに慣れていない。英雄とまで言われる彼は、最恐と恐れられるためか人一倍頑張ってるのにあまり称賛がないようだ。


そんな彼を、私は人よりも何倍と褒めてあげたい。


「良く頑張ってますもの。魔物討伐も、公爵領の管理も、剣の鍛錬も。何もかも、あなたはよく」


ボーボー

照れを隠すように彼は手に口元を埋めて、目をそらす。まともに吹き上がる赤い髪がとてもおかしくて可愛い。


「ふふふふっ」


「る、ルシエル」


「もう本当、あなたってすごく可愛い人ですね」


赤色が黄色にみるみるグラデーションがかり、変化していく。金粉がたくさん混ざっていき、彼はますます恥ずかしそうにした。

黙ってなんて見ていられない。

それから何度も色んな面を褒めてあげていると、レヴィアが咳払いをした。


「奥様、旦那様をいじめなさるのはもうおやめください。魔力切れを起こしてしまいます」


「あらレヴィア、それはごめんなさい」


「ぷふっ…良いですよ。旦那様がこんなになる姿、私めも初めてですから」


周りに控えている使用人まで、肩を震わせていた。ここにいる人達は皆、とても寛容的で温かい。


「この使用人たちの温かさも、レイ様のおかげなのですね」


「も、もう、いい」


彼が止めようとするものの、使用人たちは一様に頷いた。


「物を壊しても、怪我をしなかったかと第一に心配してくださったり」


「書類仕事は自ら、すぐに行ってくださいますし」


「何より、奥様のこと大事にしてる姿が、いつも美味しいです」


使用人たちも、各々が言うようにレイ様のことが大好きなのだ。

良かった、彼がたとえ恐れられていても、孤独ではなかったのだ。

外の評価ではなく、内の評価が高いことに少しだけ安心した。

と、レイ様の方を見ると彼は完全に耳まで真っ赤なゆでダコ状態になっている。

燃え上がる炎は、彼の体内にある魔力が軽く暴走しているために引き起こるものだ。魔力が外にだだ漏れているのと同じなので、彼は今すごく動揺しているのと同時に疲れているはずだ。


「まあ、皆さん。私のレイ様をいじめなさらないで。私だけのものですから」


冗談に言うと、とうとう彼は立ち上がった。

顔を真赤にしたまま、耐えきれないと言うように、執務室へ歩いていく。


「やりすぎたかしら」


「大丈夫です。奥様、旦那様をめちゃめちゃに甘やかしてあげてください」


「そうですよ。大体、旦那様は外では酷評ですから。内の中でぐらい、ああやって褒めて上げていたほうが丁度いいんです」


「奥様と旦那様の様子が、使用人一同、一番のメシですから」


立ち並んでいた使用人たちが、胸の前で手を合わせて


ごちそうさまです


と言うものだから、ものすごく笑ってしまった。悪魔的な笑いに、思わず自分を(いまし)めなくてはと慌てる。彼の赤くなる顔も、燃え上がる髪も。

全てが愛おしい。

外に出ては英雄と言うよりも、化け物と言われ恐れられる彼。あんな顔になるぐらい、褒めて褒めまくっても神様は怒らないはずだ。


「奥様、客人だそうです」


「今行くわ」


「気をつけてください。あの伯爵様です」


レヴィアの一言に、足が止まった。

先程まで賑やかに、和ましい雰囲気だったのが冷水をかけられたように冷めていく。ひんやりとしてきた背筋を、何とか誤魔化しながら玄関へと向かう。赤いカーペットを踏みしめながら、その扉を開けた。


「っ!?」


扉を開けた瞬間に、私の手首をそれが掴んでいく。皮膚に食い込むほど強い力で、細い手が外の馬車へと強引に引き寄せていく。


「っ…お父様、離してください」


「誰が離すか。お前を逃がすつもりはないと言ったはずだ」


口の端を不気味に上げながら、お父様が私の腕を引っ張り上げる。このまま押し問答していては、肩が外れそうだった。


「奥様の手を離してください!」


お父様の指を一本ずつはがそうと、レヴィアが努めてくれる。


「薄汚い侍女がっ。気安く私に触るなっ」


「きゃっ」


「レヴィア!」


蹴り飛ばされたレヴィアが、壁に打ち付けられて尻餅をついた。

女の子の腹を蹴り、汚い言葉を平気に使うお父様。これが実の父親など、考えたくもない。


お母さんはどうして、こんな人との間に私を産んでしまったのだろう。


「さあ行くぞルシエル。ここでは金ももらえないようだしな」


「いやです!」


「娼婦の娘が、大体、買いかぶり過ぎなんだ。お前が公爵の妻?体目的なんじゃないのかあ?」


父親までも、私の体をそういう目で見てきた。背筋が凍るほど、気持ちが悪くなって何としてでもこの汚い手をどかしたい。


「こんな半端なドブネズミを、好きになるなど趣味が悪い。アフレイド殿は見る目がないな。恐れられすぎて、感覚が鈍ったか」 


「言わないで……レイ様を悪く言わないでっ」


彼の悪口など、一番聞きたくなかった。

お父様の怒鳴る声よりもそれに怯えているのに気づいたのか、お父様はさらに言葉を続けた。


「あの冷徹な公爵めが。感情がないのは、もはや病気だろう?なあ、どうなんだ。あいつは一体、怪物なのか?魔物を一人で倒すなんて、化け物しかいないだろう」


「レイ様は化け物なんかじゃないわ!あの人はっ、すごく優しい人よ」


「そんなこと、聞いとらんわっ」


お父様の手が上がった時だった。

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