第九十九回 倉八権右衛門は婚姻を策に組み込む
有川駿河からの寝返りの誘いを蹴った臼井次郎左衛門が、秋月に赴いて「皆の衆もご注意なされよ」と警戒を促した。
この事件によって、秋月から勘解由が脱出する方法として、水路の利用を思い浮かべる者たちが脱出側にも現れた。
脱出側が水路を利用するのならば、古処山の西の八丁越を抜けた後に、臼井次郎左衛門の知行地(上臼井村)を通る千手川に舟を流す。
千手川・犀川・遠賀川を通って北に進めば、倉八の知行地(鞍手)まで移動できる。
舟に勘解由を寝かせて運べば外から確認困難である。脱出側の目線で考えると、隠密性という点が水路の利用の魅力であった。
鞍手まで着けば前田波止場まで夜中に馬を一息で走らせることができる。
しかし、その可能性を想像したのはが少数にとどまった。
普通ならば、勘解由が大名になる者として江戸の将軍に会うつもりならば大人数の行列をそろえて出発するはずであり、それならば水路の利用はありえない。
数えで十四歳か十五歳の勘解由少年が、わずか数人の供まわりで脱出行を敢行する決意を固めていると想像するのは困難であった。
* *
常識を超えて水路の利用の可能性を想像できた点は、有川駿河という男には専門の軍学では相当以上の能力があったことを示す。
同時に、その能力を活用しきれなかったのは、常識が欠けていたからだ。
有川駿河は、臼井次郎左衛門に内応の誘いを断られた後に、さらに下流を回った。
一人で。
大胆と言うよりも、あまりにも無礼。その態度が気に食わないという者が現れる。
倉八権右衛門の鞍手の知行地の南側の若宮に大音六左衛門の知行地があった。
大音家は鉄砲衆で三百石であり、倉八家は鉄砲頭で四百石であった。姻戚関係として、大音六左衞門の妹の幸が倉八長之助の母親にあたる。
そういう姻戚関係があったので、大音家の代官である真柄陣内が、幸に挨拶するべく、倉八の屋敷にやってくるようなこともあった。
陣内は言う。
「無断で一人で他人の知行地に入ってくれば斬られても仕方ないというのに、あの有川駿河というのは馬鹿なのか?」
権右衛門は、
「きっと育ちのよいのさ」
と言っておいた。
はっきり馬鹿と言ってしまえば角が立つ。
* *
陣内が帰った後、屋敷において、権右衛門は春之助と話し合った。
春之介は悩んだ。
「千手川・犀川・遠賀川の水路を使いたいのですが、そこに知行地をお持ちの方々を、どのように説き伏せればよいのやら?」
水路。
勘解由が秋月を抜けて鞍手に辿り着くために水路を利用する。
春之助の案は悪くないと権右衛門は思う。
多くの者たちが、分国賛成派に対しても、分国反対派に対しても、どちらか一方に極端に肩入れする姿勢を見せることを嫌がっている。
今の政治状況からすると、水路の利用は方法次第では実現可能かもしれない。
その方法とは?
権右衛門は言う。
「祝言だな」
「え?」
と、春之助。
「次郎佐衛門殿には、お秀という娘がいる。倉八の家から縁談を持ちかけよう」
権右衛門は次郎佐衛門の家に娘がいることを知っていた。
これは驚くことではない。
長之介が倉八家四百石の跡取りの座を妾腹の異母兄の権右衛門に譲るという異常事態が生じたとき、権右衛門のところに近隣から多数の縁談話が殺到した。
春之助は、
「お秀の気持ちを確かめねば」
と困惑する。
かまうものか、と権右衛門は言った。
「お秀も臼井の家の娘よ。この件は、臼井の家の浮沈がかかることよ。嫌とは言うまい。
悪目立しちすぎた次郎佐衛門殿は、勘解由さまが独立なさらなければ、大変なことになる。勘解由さまの独立につながる話に手を貸すであろう。
お前とお秀との縁談が破談になってもかまわない。
つまるところ、次郎佐衛門殿からの丸木舟が千手川から遠賀川の鞍手まで下りてきてもおかしくないかたちをつくりたい。
黒崎の漁民に前田波止場近くに家を用意してもらうために、こちらが丸木船をくれてやるという約束があったな?
お前とお秀が結婚するということで、両家の友誼のために、山に近い臼井の家で丸木船をつくってもらって川下の倉八の家に流してもらおう。
川筋の他の家の者たちとも前もって話をしっかりつけておく。
何度も丸木舟を流す。勘解由さまが本当に脱出をなさられるときも『またか』という話になれば、いちいち誰も調べない」
* *
倉八権右衛門。
長之助にとって五歳年長の異母兄であり、春之助にとっても従兄にあたる。
秋月藩と東蓮寺藩の独立後に、権右衛門は東蓮寺藩の藩士になるが、長之助の求めに応じて福岡藩に移籍する。
それを長之助の身贔屓と批難する声もあったというが、権右衛門は実務能力が高く、仕置家老になった異母弟の長之助の下で活躍した。
明治の廃藩置県時まで、黒田家で相当な格式の家として、権右衛門の血筋の倉八家は残った。




