第九十一回 隙間数えの風丸は若さを見込まれる
隙間数えの風丸。
現実に何をやろうと思えば沢山のことを試さなければならない。
無駄に終わることがある。
勘解由の脱出経路の候補が絞られていくことによって、多くの作成した地図は無駄になっていく運命であった。
まだ、風丸は幸運だった。
┅┅勘解由にどうやって八丁越の街道を無事に抜けさせるか?
そんな問題を考える仕事を与えられた。
勘解由が八丁越の街道を通ることはすでに決まっている以上、この仕事は絶対に無駄にならない。
その仕事によって、勘解由の秋月藩が成立すれば、歴史を創ったと言える。
大役であった。
* *
豊前の隠れ里に呼び出された風丸は問うた。
「なぜ、私に?」
「お前が若いからさ」
そう根津甚八は言った。
どうしようもないと思っていた世界の理をおのれの意思でまげて、明日からの世界を変えることができたと思えた時に、人は初めて自分のことを世界の法の奴隷としての一部ではなく、世界の法の主体としての一部として見ることができるようになる。
自らが立法者の自覚を持つことで、はじめて、世界に対する盲目的な憎しみを捨てることができる。
できるだけ若い者にそういう話を後世に語り継いでもらいたい、と根津甚八は願っていた。
彼の気持ちは風丸にもわかる気がした。
ぼんやりとだが。
しかし、
「私のような若い者に手が余る大役です」
と言った。
すると、根津甚八は、
「俺がお前ぐらいの年頃には」
と言いかけてやめた。
真田十勇士の祢津甚八郎貞盛が若い頃からどれだけ異常な活躍をしたかという伝説を周囲の大人たちから聞かされて風丸は育っている。
根津甚八が自分の昔話を語ったところで、「すべて根津甚八さまだからできたこと」と風丸は聞き流すだけであっただろう。
そこで、根津甚八は、
「四郎(阿修羅丸)も、春之助も若いぜ」
と言い直した。
七草四郎も、青柳春之助も、風丸にとって同世代の男たちの名前であった。
それで、風丸の心に火がついた。
「やりましょう」
と返事をした。
根津甚八は満足そうな顔を見せた。
「本当にできない愚図と思うのならば、お前に任せたりしない。阿修羅丸一家での盗賊ごっこで、お前も、俺のやり方を十分に学んでいる」
* *
博多で知られた大盗・阿修羅丸一家の隙間数えの風丸よ。
他人の家に忍び込む技術は高い。
忍者の子として育った・
風丸は夜間に掘平右衛門の屋敷にあがりこんで平右衛門の寝室に忍び込んだ。
そして、
「根津甚八の使いの者でございます」
とやった。
平右衛門はあきれ顔で笑った。
「真田の忍びは、玄関から普通に入ってくるということを知らんのか?」
「いえ」
風丸は首を横に振った。
そして、
「根津甚八の手の者と平右衛門さまに信じていただくには、これが一番に手っ取り早いであろうか、と思いました」
と言った。
ふん、と平右衛門は鼻を鳴らして睨んだ。
「若いな」
風丸は耐えた。
阿修羅丸一家の仕事でそれなりの修羅場を潜ってきた。
人を殺したことも何度かある。
へらへら笑顔。
「まず疑われないことが、忍びの仕事のようなもので。私のような若僧がこの度のような大役を任されるとは思わないでしょう?」
「言いよるな」
「根津の仕込みでございます」
「ふむ」
「勘解由さまに八丁越の街道を密かにお抜けいただくのでしたら、同じぐらいの背格好の私が考えるのが丁度よいのではないか、と存じます」
「わかった」
と平右衛門はうなずいた。
そして、
「根津甚八の指図なら間違いないな。貴様にまかせるわ」
と言ってのけた。
あっさりしたものであった。
根津甚八という男に賭けた以上、そいつが信じた男を信じる。
馬鹿馬鹿しいぐらい単純な理屈で、黒田二十四騎の堀平右衛門は決めた。
* *
風丸は考えてみた。
新しい秋月藩において、勘解由は藩主になり、平右衛門は筆頭家老になることを定められている。
秋月から八丁越を抜けた嘉麻の堀平右衛門の屋敷に、勘解由が公式に招待されて多数の護衛とともら向かうというのが、一番に安全ではある。
しかし、嘉麻の屋敷から、平右衛門と勘解由をまとめて前田波止場に送る手立てが風丸には思い浮かばない。
勘解由が八丁越えの街道を抜けようとしている予定が分国反対派に伝わった時点で、分国反対派は非常事態と考えて警備を固めるであろう。
何としても、密かに、勘解由に八丁越の街道を抜けさせたい。
出会った者を皆殺しにすることを前提に夜間の強行突破も検討してみた。
しかし、誰かが決められた時間通りに帰ってこないという時点で、分国反対派は警戒を要すると考えるかもしれない。
平右衛門の知行地の村の助郷役として、平右衛門の村の年少者が秋月に頻繁に向かうようにして、その帰りの中に勘解由を混ぜることも考えた。
馬鹿馬鹿しい。
新しい特別な変わったことを始めたと敵に思われた時点で駄目だ。
警戒されたら次につなげられない。
普通にやっても失敗するだけだが、表向きには普通に見えなければいけない。
色々と考えた挙句、世情不穏を理由にして、たまに予告なしに八丁越の街道の夜間通行を禁じる日を設けることにした。
長政の遺言に従って勘解由(黒田長興)の独立が認められるかどうか、栗山大膳を中心とする分国反対派ともめている時期である。
それぐらいの規制は普通のこと。
寛永元年に、半日も待てず移動しなければならなくなる急用が生じるというのは、怪しむべき理由があると言える。
年の暮れまで時間をかけて、八丁越の街道に対する支配能力を増していけば、誰にも知られず勘解由に八丁越の街道を抜けさせる方法も見えてくるはず。




