第八十三回 老い先の短い男は汚れ仕事を進んで行ふ
小倉の玄海屋の店で奉公人になった元スリ師の老人、勝烏の黒八。
裏の顏は盗賊団・阿修羅丸一家の幹部である。
料理屋の座敷で阿修羅丸から愚痴られた。
「うまく言えねえけれども、勝つ為には準備や工夫がいる。そいつはわかるぜ。
でも、お互いに土俵にあがる前から、色々と細かく仕掛けるというのは違うような気がするんだよ」
「なるほど」
と、黒八。
根津甚八が阿修羅丸に説教したことの意味も何となくわかる。
知りたいことがあれば、それを見るだけではなく、それを生みだすものにも目を向けなければならない。
深く見るため、それ自体から目を離す。
そういう物の見方ができるようになることを、根津甚八は阿修羅丸に求めている。
阿修羅丸は溜め息をついた。
「俺は俺らしく俺として勝ちたい。そうでなければ、俺が勝ったことにならない」
黒八は言った。
「いや、まだ、阿修羅丸さまはお若い。いったい何が阿修羅丸さまらしさなのでしょうかね?」
阿修羅丸は苦笑した。
「そんなの、俺の方が知りてえよ。わかんねえな。俺は俺なりにやってる」
「いいと 思いますな」
「かね?」
「別に早く決める必要はないですよ」
黒八は、その長い人生経験から、根津甚八のような生き方に欠けているものがあることを知っている。
人間は強制力による安定と欲望充足による幸福の対立を調整しなければならない。
そのために自分の視点を持つ。
山に向かうか。
海に向かうか。
今日は山に行こう。海は明日にしよう。
そういう調整ができるようになるには、今日も明日も同じ自分が必要になる。
根津甚八は自分にこだわる。
忘れたくないものを見ることができたのかもしれない。
過去に捨てることのできない何かを背負いこんでしまったのかもしれない。
行動に自分の理由をつける。
根津甚八の周りには信義を守る好漢たちが集う。
しかし、根津甚八もわかっているだろうが、彼とその仲間たちは、夢想に生きようとする者に救いの手を差し伸べたりしない。
ほとんどの者たちは理由を考えるような難しいことを嫌う。
甘い夢想しか見えない者は、実行すれば多くの犠牲を出すろくでもない甘い夢想を見せてやることでしか救えないことがある。
救っていればきりがなくなる。
自分をしっかり持って自分の限界を弁えているのが根津甚八だ。
根津甚八と違って阿修羅丸は若い。
自分の限界を考えて甘い夢想を捨てるという年頃ではないだろう。
甘い夢想は周囲を残酷に傷つける。
しかし、甘い夢想の中には可能性がある。今は甘い夢想でも将来は違うようになるかもしれない。
若い阿修羅丸には簡単にあきらめてほしくない。
黒八は言った。
「かちあげを伊達五郎の鼻っ柱なぶつけたかったら、居合いの周伯先生に相談なすったら、どうでしょう?」
遠藤周伯。
今は博多の町で医者をやっている根津甚八の紀州時代からの部下。
田宮流の居合術を遣う。
あの人間離れした技術のエッセンスを阿修羅丸が取り入れて初撃を叩き込み、あの巨体で押し込めば、伊達五郎も気づいたときには土俵を割っているというようなことも起こり得るだろう。
ほう、と阿修羅丸は声をあげた。
「周伯先生か」
* *
博多の町に黒八は玄海屋の奉公人として船で出かけて遠藤周伯を呼びに行った。
周伯は、
「こちらも町医者として忙しいけれども、そいつは引き受けた」
と言って快諾した。
そして、
「鷲羽屋のじいさん、ばあさんを殺した安川兄弟には俺も腹を立てている。まるで理由がないじゃないか?」
と言った。
最初の原因は黒八かもしれない。
「俺が例の掛け軸を掘り出し物だと先に見つけて、前金を置いて店を出たのが事の始まり」
周伯の意見。
「別に黒八は悪くない。
家族に相談しても掛け軸を買えなかった安川太兵衛が腹立ちまぎれに切腹したというのがおかしいのだ。
お家断絶をおそれた安川三之丞と安川半助が、すべて鷲羽屋のじいさんとばあさんが悪口を言ったからだと言う話にして、何の罪もない鷲羽屋のじいさんとばあさんの家に押し掛けて、刀で切り殺した。頭のおかしい奴の子どもたちも頭がイカレていた」
黒八は言った。
「阿修羅丸さまが伊達五郎を転がして、例の掛け軸が安川兄弟の手元に入らないというようなことがあれば、ちょっと痛快でしょう? 何とか阿修羅丸さまには勝ってもらいたいのです」
「そいつはそうだ」
「どうにか先生の伝手をたどって、安川兄弟の野郎たちを暮れの猿田彦大神の相撲勝負の場に呼びつけることができませんかね?」
なるほど、と周伯は言った。
「目の前で伊達五郎が負けるところを見せて、吠え面をかかせてやるという趣向か?」
「へえ」
「四郎(阿修羅丸)が勝たなければ、どうしようもない」
「ですから、周伯先生にもこの件には一口どころか何口でも噛んでほしいのです。
安川兄弟の野郎たちを相撲勝負の場に来れば、伊達五郎だって金主の前でいいところを見せなければいけないってことで思うはず」
即座に周伯は理解した。
「かっこよく買ってみせなければいけなくなるな、伊達五郎の奴は、藩のお抱え力士として。少なくとも、いじましい小技で勝つということはできなくなる。勝負の詰めが甘くなる」
「わしもそう思います」
* *
将来のある若者たちには甘い夢を追ってもらいたい。
汚れ仕事は先の見えた年寄り連中が引き受けるべきだと烏丸の黒八は考えた。それは若者に夢想を押しつける大人の仕事だ。




