第八十二回 拍子の読み合いにこだわるべからず
化け猫と土蜘蛛の間では連絡用の遠話が通じる。
今回の勘解由脱出行の計画の全体指揮者になった根津甚八のもとに、化け猫の金花奴が置かれることになった。
猫はゆっくり動いても早い。
こちらが予想できない身体の使い方を猫はするから、人間が次の動きを予想しようとした途端に見えなくなる。
金花奴の様子を見ながら、根津甚八は考えた。
呟く。
「四郎(阿修羅丸)に、勝つ算段をつけてやるか」
* *
隠れ里で根津甚八は阿修羅丸は会話した。
曰く。
「伊達五郎は相撲の本職の力士だ。色々な技がある。予想できない身体の使い方をする相手と、お前は、どう勝負する」
阿修羅丸は答えた。
「相手よりも先に自分の形に入る」
「どうやって?」
「間合い、技」
一発あてて動きを止められると向こうが思いこむ。
けれども、特殊な技で相手に対応できる。
そういう間合い(位置)をとる。
巧みに位取りして後の先の技で仕留める。
位の剣。
相撲で言えば横綱相撲だ。基本にして奥義とも言われる。。
根津甚八は言った。
「間合いや技に夢中になっても、気勢に呑まれれば無意味」
気勢の剣。
一対多数の状況におかれて最も効率よく多くの敵を殺すことができる。
阿修羅丸は言った。
「俺は気勢に呑まれたりしない」
気勢の剣は、ある程度の気力の持ち主の相手になると効果は薄い。
ああ、と根津甚八はうなずいた。
「こちらに聞いている話だと、伊達五郎は心の拍子を読むのがうまいらしい」
拍子の剣。
心の拍子を奪われてしまえば、眠っているところを襲われるのと同じ。
三笠山伊達五郎という男は、力士に似合わぬ役者のようにも見える好男子である。
それなのに強いと言う。
拍子を読むのがうまいのだ。
阿修羅丸は溜め息をついた。
「厄介だ」
根津甚八は言った。
「奴を仕留めるために俺なりに考えた策を教えてやる」
「え?」
戸惑う阿修羅に、根津甚八は言った。
「ちょっと稽古だ。思いっきり、ぶつかってこい」
飛び込んでくる阿修羅丸の顔面に左前腕を叩きつけた。
かちあげ。
一撃で止め切るのではなく、阿修羅丸の鼻っ柱が自分の左肩にぶつかるように調整した。
むしろ、それが狙い。
腰を残したまま根津甚八は身体を岩のように固める。
突進してくる相手の顔面に左肩をぶつける。
さらに、面食らった相手の右肘を跳ね上げながら右脇に入り込み胸を使って相手の状態を押し上げてバランスを崩したところを両手で突き飛ばした。
「今のは何だよ?」
唖然とする阿修羅丸に向かって根津甚八は話した。
それは技の話ではない。
「今、お前はぶつかってこいと言われて、何も考えず、言われるまま、ぶつかってきた。だから、そいつに俺は手を打てた」
「それはマエストロ根津の言うことだから」
と、阿修羅丸。
そこだよ、と根津甚八は言った。
「お前は俺に言われたから何も考えずに飛び込んでしまった。
心の拍子を読んでくる奴は強い。しかし、その場の相手の心を読もうとするから色々と見えなくなる。
心を大切にしすぎるから忘れる。
ひとの心は自分の心でも思い通りにならないのさ。普段に重ねてきた思いに縛られる。そこを突けば心の読み合いの意味は消える」
これは語るべきだろうか?
知れば大きく得るものはあるが大きく失うものもあるだろう。
迷う。
俺みたいな男を師匠と呼ぶようになったのも、こいつの運命だ。
根津甚八は伝えたかった。
語る。
「たとえ、心の読み合いは相手が上だったしても、だ。
相手の普段から、こいつを出せば、相手の心が動くというものを見つけて、それを手元に握り込めるのならば、心の読み合いもへったくれもなくなる」
阿修羅丸は馬鹿ではない。唇を噛んだ。気がついた。
「汚ねえな」
臨機応変の剣。
あるものを全て利用して心の読み合いの技術を無効にしてしまう。
わかりやすい例をあげれば、人質や毒。
かまわず根津甚八は続けた。
「三笠山伊達五郎は、土俵の中では強いが、普段に隙が多い男だぞ」
* *
伊達五郎は土俵の外で色々とやらかしている。
今回も安川兄弟の味方をして、鷲羽屋お手討ち事件のきっかけになった掛け軸を手に入れるために、伊達五郎は動いている。
鷲羽屋夫婦は阿修羅丸一家のおかげで手に入れた千両をきちんと博多の貧しい者たちに配っていた。
安川兄弟の味方をしている伊達五郎にを博多の多くの貧しい者が腹を立てている。
工作する材料は事欠かない。
伊達五郎をまともな精神状態で土俵に立たせない。
土俵に立ってから伊達五郎の心を乱すような事故が起きるように、いくつもの罠を前もって仕込んでやることもできる。




