第七十九回 あの人たちも寂しいのやもしれぬと思ふ
洞海湾の東側にある戸畑の牧山の浜で騒ぎを起こす。
東側の警護は、まず船を出させないことを第一にするだろうが、東側の警護を全長が五丈から六丈(約十五メートルから二十メートル)の土蜘蛛が妨害する。
突然に巨大な蜘蛛妖が出現して荒れ狂う。
初動で東側の警護を麻痺させる。
その場に居合わせてしまえば、大多数の者たちは思考が停止する。
パニック状態に陥った群衆に指示を与えて、牧山の浜や前田波止場から大量の船を短時間に西側に送りつける。
西側の警護はやってくる船の検問だけで手一杯にさせる。
その混乱の時を逃さず、洞海湾内の葛島の東側の影から、勘解由たちを載せた無灯の釣り舟が飛び出す。
土蜘蛛という手札を活用する根津甚八の計略。
成功させるためには、当日に牧山の浜あたりに多数の人々を集めねばなるまい。
そのためには、西国一とも言われる力士の三笠山伊達五郎の知名度・集客力を根津甚八は使いたかった。
* *
阿修羅丸一家の一員にして、現在に玄海屋で奉公人の身分になっているお燐。
大蛇川の燐太夫。
お燐は隠れ里に呼ばれて、根津甚八から直々の指令を受けた。
根津甚八は言う。
「例の正月の三笠山と阿修羅丸との相撲勝負、場所と日取りはこちらが決める。
暮れに、吉田斎が権禰宜をつとめる猿田彦大神の相撲大会に三笠山が来るように、向こうに伝えろ」
お燐は首をひねった。
「向こうに伝えても、向こうは応じるでしょうか?」
応じるさ、と根津甚八は言った。
「例の安川平兵衛の切腹のきっかけになった掛け軸、その子どもの安川兄弟は意地でも欲しがっているさ。
安川平兵衛は福岡藩の大目付の星野宗右衛門の従兄弟よ。
星野宗衛門に伊達五郎はエサをもらっている。
それで、伊達五郎は掛け軸を手に入れるために動いている。
掛け軸は俺らの手元に今ある。
来なければ逃げたと言いふらしてやる。伊達五郎の星野宗右衛門に対する顔も潰れる。そう言ってやれ」
そして、
「お燐は愛らしく振る舞いながら、意地悪く伊達五郎のことを棚卸しをして、向こうの心を逆なでにしてやれ」
と付け加えた。
半陰半陽の身体に生まれながらも、お燐は、振袖姿になれば小倉で小町娘と呼ばれる評判を取るだけの器量よし。
* *
真田十勇士の根津甚八。
小さな子どもの頃から、まわりの大人たちは根津甚八という男に夢中だった。
お燐のまわりの大人たちときたら、みんなそろって、大坂の陣で敗れた根津甚八を守って筑前に落ちてきた連中だったのだから。
密かにお燐が心に抱く疑問。
いったい根津甚八のどこがよいのだろう?
根津甚八は自分の考えていることを言葉と行動で示していく。
自分の想いをそれが伝わる誰かの心に刻むためだろう。
いつも自分で何を考えていて、それをどのように相手に伝えているかを根津甚八は常に意識している。
伝わる何かを自分は持っていると信じている。
寂しいのかもしれない。
根津甚八も。
彼のことを大将として担ぐ男たちも。
そんな気がした。




