第七十六回 山鹿屋敷の豊田安右衛門が漁民を呼ぶ
遠賀川の河口近くに存在する黒田勘解由の山鹿屋敷は、長政の遺言によれば、本来に勘解由の秋月藩の領土から外れる。
ところが、寛永元年には、栗山大膳が勘解由の独立の国内的な手続を進めないため、勘解由の手元に前藩主の黒田長政の三男として与えられた別荘としての山鹿屋敷がずるずるとに残っていた。
山鹿屋敷の在番の豊田安右衛門は東の洞海湾の漁民の三人を呼んだ。
「善九郎、佐吉、伝七よ」
「はい」
漁民たちはおそれいって頭を下げる。
豊田右衛門は、
「その方に少し頼みたいことがある」
と言った。
そばの若者を示す。
役者かと思うような美男であった。
豊田安右衛門は言う。
「この者は倉八春之助という。今、右衛門佐さま(黒田忠之)が随分とお引き立てなさっておられるという評判の倉八長之助殿の弟御よ。来年になれば、勘解由さま(黒田長興)の御近習になるという話が内々に進んでおる」
なぜ、そのような話をされるのか見当もつかず、漁民たちは困惑する。
「それは」
「おめでとうございます」
「へえ」
豊田安右衛門は言葉を続けた。
「実は、倉八家で新しく雇い入れた浪五郎という家人が、牧山の岸辺の猿田彦明神の権禰宜と顔馴染みだそうだ。その権禰宜の名前は吉田斎じゃ、知っておるか?」
吉田斎のことは漁民たちは知っていた。
「はい」
「釣りが大層にお好きな方で」
「昔は紀州にいたとか」
その男だ、と豊田安右衛門は言った。
「来年には春之助も御役目につくことができる。そこで、しばらく吉田斎のすすめに従って。洞海湾での釣りを楽しむというのじゃ。
その間に、春之助とその三人ぐらい供が住む空き家を前田波止場の近くに探すのを手伝ってやってくれぬか」
春之助は頭をさげる。
「よろしく頼む」
そして、言った。
「拙者も何もなしで頼もうとは思っておらん。年末まで拙者どもが使う釣り船を二艘は用意する。この年が明けたら、その船をそなたたちに下げ渡す。いや、そなたたちは三人いるから、一人一艘ずつに下げ渡せるように三艘用意しよう」
破格の条件である。
漁民たちは目を白黒とさせた。
「そいつはどうも」
「ありがたいお話で」
「いいんですかい?」
かまわんさ、と豊田安右衛門は言った。
「倉八の家の知行は四百石。家禄だけでも相当なものだ。
家禄のみならず、倉八の家の三人はみんなお役目につき、職禄もかなり入ることになる。釣り舟の三艘ぐらいは何とでもなる」
福岡藩では、六百石以上が大組と呼ばれ、四百石の倉八の家は無足組であった。
一万石以上の知行を持つ家から出た栗山大膳からみれば、倉八の四百石の家は恥じるべき家柄であった。
後に倉八長之助が藩政改革に乗り出したとき、栗山大膳は長之助の失敗を一切に見つけられないまま、「あの侫奸邪智の長之助は身分の低い家柄」と様々な嫌がらせを実行する。
そのため、講談『栗山大膳』では、倉八の家が貧民同然と語られることもある。
しかし、福岡藩の武士の知行地は五十石程度が最も人数的に多かったというのだから、四百石はその八倍にあたる。
公平に見て、鉄砲頭の倉八の四百石の家は平均よりも裕福である。
* *
黒田勘解由を江戸に参府させる計画の地元協力者として、洞海湾の三人の漁民が選ばれた。
これによって洞海湾の前田波止場に自由に使える三艘の釣り船をつけることができるようになった。
ただの釣り舟。
洞海湾から下関の彦島までは三里(十キロ)程度であり、紀州海賊の強者がそろう阿修羅丸一家であれば夜中に釣り舟でも押し渡ることができる。




