第七十四回 黒田二十四騎の堀平右衛門は直感す
福岡潘の前藩主であった黒田長政は三男の勘解由に確実に独立をさせてやろうと、勘解由に一人の男をつけた。
黒田二十四騎の一人である堀平右衛門定則。
もともとの名前は、明石久七。
弘治三年(一五五七年)の生まれというから、寛永元年(一六二四年)であれば、年齢は数えで七十歳に近い。
平右衛門は、戦国の世で、武将としての功績は何もない。
個人の武勇だけで、黒田二十四騎の一人に数えられるまでの出世を果たした。
三十代半ばに、平右衛門は、文禄の役に従卒として参加し、戦功ををあげて初めて百石取りの直参になる。第二次晋州城攻防戦で後藤又兵衛と一番乗り争いをして五百石に加増された。
四十代半ばに、関ヶ原の戦いの前哨戦である木曽川・合渡川の戦いに参加し、劣勢の中で泥田に落ちた主君である黒田長政を救出した。戦後に黒田氏が筑前に入国した後は二千六百石を拝領する。
圧力に屈することなく、理不尽な要求を跳ね返す。
その剛強な性格を買われて、黒田長政から勘解由付き家老として指名を受け、五千石に加増された。
* *
後に、堀平右衛門の屋敷に、倉八権右衛門がやってきた。
倉八権右衛門。
後に、東蓮地藩の領地に含まれる鞍手に知行地を持つ。
勘解由(秋月藩)の独立が失敗すれば、萬吉(東蓮地藩)の独立も見込めない。
そうなると、勘解由付きの家臣も萬吉付きの家臣も大名の家臣としての地位を失って陪臣とされてしまう。
同病相憐れむ。
そういった理由で、この時期には堀平右衛門のような勘解由付きの家臣と倉八権右衛門のような萬吉付きの家臣の間で意見の交換がなされることがあった。
地理的な話をすると、倉八の知行地のある鞍手郡と堀の知行地がある嘉麻郡が隣接していたのである。
この日の権右衛門は妙な話を持ち込んできた。
近年に博多を騒がせる盗賊である阿修羅丸一家の手を借りて、勘解由を筑前から脱け出させるという奇策であった。
権右衛門は懸命に説いた。
「阿修羅丸一家の頭目は、真田にその人ありと言われれたあの根津甚八です。祢津甚八郎貞盛殿ですぞ」
祢津甚八郎貞盛ならば平右衛門も聞いたことがある。
真田の侍でありながら、九鬼水軍の調査を命じられ、根来衆や根来忍者を部下に取り込んで紀州海賊の頂点になった男。
あの根津甚八が大坂の陣で死にそびれていたというのなら、面白い。
噂通りであれば、常人の及ばない働きを見せるのではないか?
平右衛門も夢想してしまう。
しかし、
「もしも根津甚八に話があるのならば、わしの屋敷に直に来いと言っておけ」
と嘲笑した。
その時にふと思った。
┅┅真田の根津甚八ならば、それぐらいの真似はやってのけるだろう。
* *
その夜、自分の屋敷の寝間で寝入っていたところを、平右衛門は不意に身体を揺さぶられて目を覚ました。
枕元には一人の男が座っていた。
男は、
「俺が根津甚八だ。あんたが『直に来い』と俺のことを名指しで言ったそうだから、来てやった」
と言った。
強い。
こいつはあからさまに強い。
自らを根津甚八と名乗る男は、屈強な肉体から歴戦の強者の空気を漂わせていた。
気圧されるものを感じたが、平右衛門も黒田二十四騎に数えられたほどの強者であった。
動揺をおくびにも出さない。
まさか、その日のうちに来るとは思いもよらなかったにせよ、ひょっとしたら来るかもしれないと夢想した分、驚きを抑えることができた。
確かに、『話があるのならば、わしの屋敷に直に来い』と言ったのは、平右衛門である。
平然とした顔で、
「よくぞ参られた。お呼び立てして申し訳なし」
と礼を述べた。
そんな平右衛門の態度に根津甚八も感じるものがあった様子。
「さすが、黒田二十四騎の中に数えられた堀平右衛門定則殿。度胸がいい。気に入った」
漢がしびれる笑顔だった。
━━度胸がいい━━
そう言われて、平右衛門は心地よかった。
「いやいや、お主のような男に度胸がいいと褒められるとは、わしも嬉しいわい」
当時の平右衛門の知行は五千石。
屋敷の警備は家の格式にふさわしく相当なものである。
それを根津甚八は、名指しで呼ばれたからという理由だけで、たった一人で突破してやってきたのだ。
まるで近所の家をたずねるような気軽さ。
これが噂に聞いた真田十勇士の一人の根津甚八なのか?
噂に違わぬ豪傑よ。侍としても、忍者としても、海賊としても、軍師としても優れているという。本当のことだろう。
平右衛門は言った。
「わしもお主のことを気に入ったぞ、祢津甚八郎貞盛」
いい男に出会えた。
こういう大胆不敵な奴に出会えるから、世の中は面白い。
それが素直な気持ちであった。
「まずは一杯どうじゃ? 酒でも飲みながら話そう」
と、平右衛門は誘った。
こいつならば、勘解由さまの道を開くことができるかもしれない、と平右衛門は直観した。
* *
平右衛門の人物評価の基準は偏っていた。
何よりも胆力を評価する。
というか、胆力以外に基準がない。
寛永三年に秋月藩が成立した後のこと、筆頭家老になった平右衛門は、胆力があるだけで実務能力の低い者を推挙したり、実務能力があっても胆力のない者を切腹させようとしたりして、十代で藩主になった勘解由少年を「うちの筆頭家老は何なんだ?」と悩ませることになる。
それはそれ。
平右衛門の人物評価の基準に合わせ、根津甚八は平右衛門の屋敷に単身で乗り込み、おのれの胆力を見せる手に出た。
豪胆という点では、根津甚八も異常である。
たちまち男として最上級という評価を、堀平右衛門から受けた。




