第七十三回 敵は福岡藩の筆頭家老の栗山大膳なり
筑前の遠賀川の流域の鞍手郡に知行地をもつ福岡藩士の倉八権右衛門。
三年程前に亡くなった彼の父親は、四百石の鉄砲頭の倉八六右衛門である。
筑前五十二万石の大藩である福岡藩でも、四百石の鉄砲頭の倉八の家はかなりのものである。鉄砲衆という専門職の扱いで家格こそ無足組であった知行地を与えられていた。
倉八六右衛門は、まず、青柳彦三郎という浪人者の娘である華という女と結婚した。
浪人者の青柳の家と四百石取りの藩士の倉八の家の格が違ったので、華は正室になることが許されなかった。
六右衛門と華の間に生まれた子どもが倉八権右衛門である。
権右衛門が生まれてから三年ほどして、華が病で死んだ。
後添いとして、六右衛門は幸という娘を迎えた。
幸の父親は、三百石の鉄砲衆の大音彦左衛門である。家格的につりあう。幸は倉八の正室になった。
さらに、継母になった幸は、権右衛門の実母である華と姿かたちがそっくりであり、権右衛門のことを実の子のように可愛がってくれた。
そして、権右衛門の五歳年下の異母弟の長之助が生まれた。
正室の子である長之助は、倉八の跡取りの座を権右衛門に譲ってくれた。
その結果として、権右衛門は、父親である六右衛門が死ぬと、福岡藩の正式な藩士となった。
正室の子が、妾腹の子の兄に家督を譲る。
珍しい話。
長之助が寛永三年の末に千石の知行を受けて新しい自分の家を立てるまで、権右衛門の奇妙な居心地の悪さは続いた。
権右衛門の実の母である華には蓮という双子の姉がいた。
青柳の家は、官丁礼という中国人の武術家を蓮の婿として迎え、青柳網三郎と名乗らせた。
近江屋の用心棒を仕事にした網三郎が六年前に海賊との争いで死んだ後に、青柳の家の生活は一気に苦しくなった。
権右衛門にとって母方の祖父にあたる彦三郎は、倉八の家に援助を求めるようになったのである。
そして、蓮とその子供の春之助が博多の倉八の屋敷に足しげく出入りするようになった。
権右衛門からすれば、「身分の低い母(華)の実家の青柳の者たちが迷惑をかけて」と思い、当初はいたたまれない気持ちであった。
しかし、権右衛門の継母である幸は本当にできた女であり、周囲の反対があったのにかかわらず、自分の夫の妾の親族である彦三郎と蓮と春之助を大切に扱った。
今では、倉八権右衛門も青柳春之助のことをもう長之助とは別の一人の弟のように大事に思っている。
* *
萬吉(黒田高政)が東蓮寺藩の藩主として福岡藩から独立する際には、倉八権右衛門は東蓮寺藩の藩士になることに決まっている。
福岡藩士でなくなることが予定される倉八権右衛門は、福岡藩の博多の城下町から知行地の鞍手の屋敷に移った。
鞍手の屋敷に青柳春之助が訪れた。
春之助がいつもの深網傘をかぶっていない。
自分の顔を隠していない。
何かあったらしいということは権右衛門も感じた。
春之助は言う。
「勘解由さま(黒田長興)の秋月が立藩できぬ先例ができてしまえば、萬吉さま(黒田高政)の東蓮寺も立藩を許されますまい。
萬吉さま(黒田高政)が右衛門佐さま(黒田忠之)の御家来となれば、萬吉さまの家臣として指名されていている者はことごとく陪臣にされてしまいますぞ」
その件については、権右衛門も気づいている。
「俺も陪臣ということにされてしまう」
「然り」
と、春之助。
倉八の家にとって危機であった。
どうにか避けたいと倉八の当主である権右衛門は思うけれども、よい方法が思い浮かばなかった。
敵は福岡藩の筆頭家老の栗山大膳。
藩主の黒田忠之が江戸にいる間には、大膳は福岡藩の最高権力を持つ者として振る舞っていた。
春之助は言う。
「長政さまのご遺言通り、萬吉さまの東蓮寺が無事に立藩するためには、まず勘解由さまの秋月の立藩の先例をつくることが肝要か、と。
勘解由さまが江戸にご参府できるように拙者はお手伝いしたい。どうか、拙者にも倉八の家名を使えるようにお取り計らいくだされ」
意外な申し出に権右衛門は驚いた。
「倉八の家名を?」
「はい」
こっくり春之助はうなずいた。
権右衛門はたずねる
「どうするつもりだ?」
すると、春之助は答えた。
「いま拙者が加わっておる企てに、倉八の家名を使いたい」
企て。
その言葉に権右衛門は驚いた。
「春之助よ、お前は何かの企てに加わっておるのか?」
「勘解由さまは柳生の門下です」
「知っておる」
「先日博多の評判になった白縫さまは、噂通りの柳生の者です。勘解由さまの苦境を知って、是非にも勘解由さまをお助けしたいとのこと。拙者が加わっておるのは、白縫さまの企て」
春之助の話を権右衛門はさえぎった。
「白縫さまの狙いは?」
すらすら春之助は語る。
「例の朝廷の陰陽師の家柄である 従五位下を極位とする定村の名跡の復活。定村の名跡が復活すれば、定村の妾腹の子の白縫さまが定村となって、その名跡を継ぐ。それが白縫さまのお望みであるとのこと。
白縫さまは母方から柳生の血をひいております。そして、今の朝廷の陰陽頭は幸徳井友景さまは、柳生石舟斎さまの甥御。
今の白縫さまの立場からすれば、勘解由さまをお助けして柳生に利を与えることで、友景さまに馳走したいそうです」
━━柳生に利━━
九州の外様である福岡藩筑前五十二万石の中に柳生に恩義を感じる秋月五万石ができれば、幕府からの隠密活動を請け負う柳生の利になる。
そういう事情なら、と権右衛門は了解した。
「白縫さまのお考えはわかった」
続けて、
「しかし、白縫さまはどれほどの用意をなさっておられる?」
と問う。
春之助は語る。
「白縫さまは柳生の幻術遣いシラヌイと呼ばれた姫岡真龍斎の血を引く者、配下に柳生の忍者を集めておられます」
「他に」
「博多の大盗として知られる阿修羅丸一家」
「阿修羅丸一家だと?」
「先日の花形の明鏡の騒ぎで、白縫さまは阿修羅丸一家とつながりを持ちました。
御存じのように、阿修羅丸一家は筑前黒田の博多の警護を破り続けております。
白縫さまは今回の企てのために阿修羅丸一家をご自身の配下に加えております。阿修羅丸一家を使えば、勘解由さまの江戸へのご参府の道を必ず開けましょう」
* *
講談『栗山大膳』において、栗山大膳は筆頭家老の権威を傘に着て、忠之の目の届かないところで、下の者に命令して多くの邪魔者を処刑する。
本編のヒロインである風見も、講談『栗山大膳』の筋に従えば、大膳に命じられた男達に夜中に御殿から拉致されて杉林の中で二人がかりで嬲り殺される。
藩主が江戸に行ってしまうことの多い当時において、国元の筆頭家老という立場は相当なものであった。




