第七十二回 よくわからないものは気持ち悪し
大坂の玄海屋では貴族の姫君として至れり尽くせりのもてなしをうけ、定村風見は楽しい日々を過ごしていた。
正直に言えば、自分そっくりの姿に化ける土蜘蛛の小女郎は、(生活能力の一切ない自分を助けてもらっていることを感謝はすれども)気持ち悪かった。
錦ヶ嶽の小女郎。
人の姿になれるとはいえ、どこまでいっても、おぞましい地這いの蜘蛛の妖怪である。
小女郎が奈良の柳生の里から連れてきた下賤な二人組の男たちも好きになれなかった。その
朝廷にも認められた高位の陰陽師の定村の家の血筋のなせる業か、話している相手の考えていることが時折に勝手に否応なしに風見の頭に流れ込んでくることがある。
狐顔の紺九郎。
この青年は、早く侍の身分になりたくてたまらない。そのためであれば、今の主人であるはずの風見の希望を踏みにじることも躊躇しない。黒田勘解由を助けて秋月藩を創設できれば、秋月藩に仕官するということを彼は考えている。
猿眼の虚呂平。
この猿みたいな小僧は、卑しい出自をわきまえることもなく、従五位下を極位とする定村の家の姫である風見に対して、厭らしい不埒な目を向けることがある。
風見のわかりやすい美しさは、熱いマグマのような生命の増殖への本能的な欲望の流れを止めるトゲになるものがない。
また、上昇志向の強い虚呂平の猿眼には、京の貴族の姫君の身体は特別なものに映っていた。
下賤の者から欲望の眼差しを受けることは、自分がいかにきらびやかな世界に属しているのかを風見に実感させてくれる。
虚呂平に汚されることを想像して自慰する。
それはそれとして、現実に虚呂平に近くに寄られると鳥肌が立つ。
風見からすれば、小女郎や紺九郎や虚呂平のような胡乱な者たちは現実に近くにいない方が心地よかった。
* *
玄海屋にいる風見のもとに一人の男がやってきた。
、冬岡雪次郎。
かつて風見を大屯岩太郎の魔の手から救い出してくれた三人の男たちの一人であった。
雪次郎は別に風見に会いに玄海屋に来たと言うわけではなく、お目当ては青柳長之助だったと言う。
曰く。
「この玄海屋に移ったという青柳春之助殿に力を貸してもらおうと思ったのですが、春之助殿は筑前に向かわれたそうで、会えなくて残念です」
「長之助さまに」
「右衛門佐さま(黒田忠之)は、上方に黒田の新しい屋敷をつくり、上方の商人とのつきあいを深めたいとお考えです。春之助殿に会えば、色々と知恵を貸してもらえるとかと思ったのですが」
「商人とのつきあい?」
風見自身も商人である玄海屋に今は世話になっている身ではあるが、商人と進んで交際を求めるのは見栄えが良くないと思ってしまう。
雪次郎は付け加える。
「いや、殿と言うよりも、春之助殿の従兄の倉八長之助殿が言い出したことだという噂です。長之助殿は今ずいぶん右衛門佐さまのお気に入りのご様子ですから」
* *
様々なバージョンがある講談『栗山大膳』は倉八長之助をとんでもない邪悪として描く。
それでも、まず、長之助は武芸に長けていたので、黒田忠之から引き立てられたのだと説明する。
燃え盛る船に飛び乗って海賊の首領を討ち取ったと語る例もある。
近習同士の木槍試合で圧倒的な強さを見せたと語る例もある。
長之助か武芸に長けていたと語られる理由は、まず、栗山大膳の敵役だったからかもしれない。
戦後平和主義の一流文化人だった栗山大膳は、腰抜けのお花畑と思われる存在であった。
おそらく、講談『栗山大膳』で敵役とされる二人、毛屋主水と野口左助は、黒田二十四騎の中でも、特に栗山大膳のことを馬鹿にした態度を見せていたのであろう。
武辺者たちから嫌われた栗山大膳の敵役とされたがため、倉八長之助は武辺者に設定されたという可能性はある。
長之助か武芸に長けていたと語られる理由として、別の見方もある。
元和八年(一六二二年)の大膳の忠之に対する諫書には、
「第一、かりそめにも理非をよくよく御分別し、理につかせられ候ようにご分別を専一に候の(まず、ちょっとでも理非をよくよく考えて、理のある側つくことだけをお考え下さい)」
とある。
また、
「弓兵法お馬などもご自身ばかり召し候はずとも、小姓衆などにも申しつけられ、御覧になられ候(弓兵法お馬などは自分で練習ばかりするのではなく、下の者たちにも練習させて、その成果をご覧ください)」
とも記されている。
福岡藩の新藩主の黒田忠之は、若い頃、小理屈が嫌いで武芸に熱心であった。
当時の忠之の目に留まるには、個人的な武芸を見せる以外の方法は、無足組の倉八の家柄からすれば、少し考えにくい(大身の家柄の者ならぱ、当人の資質が何もなくても、忠之も気を配る)。
実際に、倉八長之助は相当な武芸の達者であった可能性がある。
* *
倉八長之助は、春之助の見立て通りに将来性があり、福岡藩の政治に中枢に食い込み始めている様子。
風見は感心した。
「長之助さまという方は大した方ですね」
ええ、と冬次郎はうなずく。
「春之助殿は、長之助殿ことを人中の竜と言いますが、本当に上に駆け登っていくのかも」
しかし、と風見は言った。
「いくら長之助さまが偉い方でも、長之助さまに遠慮して、長之助さまとそっくりだというお顏を春之助さまがいつも深編笠で隠しておられる春之助さまは、どうも」
気持ち悪い。
風見にとってよくわからないことをやる者は、気持ち悪い。
わかろうと思わない。
気持ち悪いものをわかろうとする者は、風見にとって、よくわからないことをやる者であり、気持ち悪い。
そんな気持ち悪い者になりたいとは風見は思わない。
普段に顏を隠したがる青柳春之助という若者は、倉八長之助の父親である倉八六右衛門の妾の子どもだという。
もちろん、妾腹の子というものは、風見の感覚からすれば、蔑まれるべき対象である。




