第六十八回 大坂の陣の負け犬たちが吠え騒ぐ
投げ炬火の火平太。
かつては根来寺の僧侶だった根来衆独特のザンバラ髪の男である。
大坂の陣では、火龍隊の七人の隊長の最後の生き残りの一人になった根津甚八を戦場から救い出したのは、投げ炬火の火平太と稻妻鍵六と石ノ火打介の三人組。
彼らは思うに、根津甚八を大坂の陣で生き残ったのは、死なせることを天が惜しんだのだ。
ならば、その技量を存分に存分に振るう機会を天は必ず与えるはずだった。
国盗り。
白縫数真が阿修羅丸一家に持ち込んできた話を、火平太も鍵六も打介は燃えた。
┅┅七年も待たされた。
┅┅ようやく来るべきときが来たな。
┅┅何も起きないのかと心配しておった。
┅┅最後のいくさが大坂の負けいくさでは業腹というもの。
┅┅この度の戦は必ず勝つ。
彼らに限らず、根津甚八配下だった大坂の陣の生き残りたちのには、期するものがあった。
* *
白縫が待つという玄海屋の屋敷に向かう面子。
選ばれたのは、阿修羅丸、隠れ里の根津五郎(根津甚八)、投げ炬火の火平太、隙間数えの風丸、音頭ヶ瀬戸の浪五郎の五名であった。
それぞれの席の座布団の前には、折敷が置かれ、酒や刺身が置かれていた。
通された座敷には、鯖虎縞の猫を膝に抱いた玄海屋が変わっていた。
阿修羅丸が、
「白縫さまはどうした?」
とたずねると、玄海屋に抱かれている猫が口を動かし、
「まだ支度中である。しばし待たれよ」
と言った。
これには火平太も阿修羅丸一家の面々も啞然とした。
いや、一人だけ例外がいた。
少年の根来忍者の風丸である。
馬鹿にした顔で、
「どうせ腹話術の類であろう」
と述べた。
人語をしゃべる猫の方は、
「そこの折敷の上に置かれている、そこのカンパチの刺身を一切れくれたら、ちょっと触らせてやるぞ」
と言った。
それを聞いた風丸は、
「この刺身に何か仕掛けがあるのかい?」
と言いながら、刺身が何か確かめようとして口の中に放り込んだ。
すると、
「シャアアアッ」
と猫はうなったかと思うと、みるみる間に猫は牛のような大きさになり、左の鍵爪を振った。
容赦のない一撃。
普通ならばかわせるはずもない。
それを無理やりかわすのが根来忍者の隙間数えの風丸。
後方に飛びさがり、壁を蹴って天井に駆け上がろうとした。
しかし、
「うおっ」
と驚きの悲鳴をあげて、風丸は上から落ちてくる。
人間離れした反射神経で、飛びつくようにして、それをキャッチしたのが、阿修羅丸であった。
「おいおい、危ねえな」
なぜ、忍びが足を踏み外したのか?
天井を見上げて、阿修羅丸一家の者たちは唖然とする。
そこには人間よりも大きな妖の土蜘蛛がペタリと貼りついていた。
猫は明るい声で言う。
「錦ヶ嶽の小女郎。あれがこちらの土蜘蛛。あいつは妖の姿のままでは人の言葉が話せないので、少し引っ込んでもらいましょう」
その言葉を聞いた土蜘蛛はあっという間に小さくなって、天井板の隙間に潜り込んで姿を消した。
化け猫の自己紹介。
「あたしは筑前金山の金花奴と申す化け猫である。
本日はお日柄もよく。
皆さんとご一緒に、黒田の勘解由さまに秋月から江戸に逃がすように、さっきの土蜘蛛と一心同体の白縫さんから頼まれた。
この豊前中津に来てから、猫極楽の寒八と呼ばれるようになった。カンパチという魚は本当にうまいな」
横から玄海屋か付け加える。
「お猫さまの寒八さんは、そのカンパチという魚が好きなんですよ。一切れあげたら毛皮をさわらせてくれますよ」
寒八は言う。
「さすがにロハというわけには行かないヨ」
若い阿修羅丸が喜んだ。
「俺のカンパチの刺身を全部くれてやろう」
すると、寒八は、
「そいつをあたしが食べ終わるまで、あんたはあたしの背中に乗っていいヨ」
と上機嫌で言った。
「お言葉に甘えて」
阿修羅丸は牛のような大きさの猫の背中にまたがり飛び乗って、毛皮に顔をうずめた。
「こいつはすげえ」
と言いながら、阿修羅丸は目を細めた。
その様子を見ていた根津甚八は、
「なるほど、そういう理由で、カンパチの刺身が用意されているのか?」
と言う。
玄海屋が言うには、
「ご覧になられておわかりのように、あの猫は豊前に来てカンパチの味を覚えたということで、カンパチの刺身をやると機嫌がよくなるのです」
「そいつは見ればわかる」
と、根津甚八。
そこで、口を挟んだのが音頭ヶ瀬戸の浪五郎である。
「俺は明石の鯛の刺身だね。鯛は肉が固いから包丁で切るのが難しいが、いい包丁人にあたると本当にうまくなる」
その意見を聞いて、根津甚八は言った。
「言いたいことはわかる。鯛の刺身は本当に当たり外れが大きいな」
寒八は興味を持ったという様子。
「そうなの?」
浪五郎は言う。
「鯛みたいな身の固い魚の刺身はさばく包丁人の腕次第みたいなところがあって、鯛の刺身が嫌いという奴がいても俺は不思議に思わねえ」
魚を食べるのが好きな巨大な化け猫が部屋にいた。
化け猫に怯えるのは癪だということで、阿修羅丸一家の者たちは自分の好きな魚料理の話を始める。
火平太は言った。
「俺は紀州の鮎の塩焼きだな。紀州の鮎はうまいぞ。鮎は香魚と呼ばれるとおり、スイカのような甘い香りがする。
鮎は繊細な身をしているので、適当に焼いてしまうと、思った以上に水っぽくなったり、逆にパサパサになってしまう。
自分の吊った鮎に、粒の細かい塩をまぶして、焼き色を見ながら火の加減をいじって、じっくり中まで焼き上げる」
根津甚八は笑った。
「そう言われてみれば、紀州でお前が焼いてくれた鮎の塩焼きはうまかったな」
覚えてくれていたのか。
火平太は無性にうれしかった。




