第五十八回 大熊手の欲蔵は掛け軸を無料で返す
筑前で鷲羽屋夫婦か安川兄弟に斬り捨てられた騒ぎの余波は、隣国の豊前にまで及ぶことになった。
豊前小倉の玄海屋には、小倉小町と呼ばれる美しい娘の奉公人がいた。
いや、娘と言うべきか。
彼/彼女は 男でも女でもない半陰半陽の身体をしていた。不自然と言われても、時たまにそういう体の持ち主が自然と生まれる。
その名は、お燐と言った。
根津甚八とともに博多に逃れた根来忍者である肘森背九郎の子。
お燐自は、博多に逃れてきた当初の頃は、その珍しい身体を利用して見世物小屋に出たり、根来忍術の修行を活かして芸人として軽業や手妻を披露したりした。
大蛇川の燐太夫。
根津甚八とつながった玄海屋(阿修羅丸一家では竺蔵の沖松と呼ばれる男)の店に奉公することになった。
「毎度ありがとうございます。これからも御贔屓に」
お燐は愛嬌と媚びたっぷりに、例の掛け軸を豊前の力士である大熊手の欲造に良い値で売り払った。黒八が買い付けてきた値段の倍で買ってもらった。
* *
ところが、一ヶ月もたたない間に、大熊手がその掛け軸を、
「無料でいいから引き取ってくれ」
と持ってきた。
お燐はびっくりして、
「いったい、何があったのですか?」
と話を聞く。
すると、大熊手が言う。
「筑前の三笠山伊達五郎という力士がその掛け軸を賭けてあいつと勝負しろと言いやがるんだよ。来年の正月、博多の相撲に持ってこい、と」
賭け。
わけがわからなくてお燐はたずねた。
「その、賭けって、大熊手さんが勝ったら何をもらえるのですか?」
ケッと大熊手は吐き捨てた。
「西国一の三笠山伊達五郎と取り組みを組んでもらえるだけでもありがたく思えというお話さ。あいつは自分が負けるだなんて、ちっとも思っていないんだよ。
この掛け軸を持ってこないで会場に来たら、取り組みで俺のことを殺すって脅してきやがった」
お燐はあきれ返った。
「そんな無茶苦茶な話がありますか?」
「伊達五郎という奴は、相撲は文句なしに強いが、イカレていやがる」
と、大熊手。
イカレた逸話の紹介。
「伊達五郎の奴の妹である白梅というのが、山鹿玄之丞さまという侍と結婚したんだが、白梅というのは三笠山の奴と違って病弱だった。
それで、玄之丞さまは他の翠さんという博多の西淵屋という大店のお嬢さんとつきあうために白梅を殺してしまった。すると、一か月後には玄之丞さまが何者かに殴り殺された。そいつが去年の話だ」
「それが、伊達五郎の仕業と?」
お燐がたずねると、ああ、と大熊手はうなずいた。
「玄之丞さまが殴り殺されたというのは、それなりに理屈が通る気がするんだがね、後で翠さんまでさらわれて乱暴されたあげく裸で柱に縛りつけられて金槌みたいなもので可愛い顔をグチャグチャに潰されて殺された。
ひどいもんだよ。玄之丞さまは白梅を殺した悪い奴かもしれんが、翠さんは別に何も悪いことをしていねえのに」
聞いていて、お燐は背筋に寒いものが走った。
大熊手は続ける。
「伊達五郎は、玄之丞さまと翠さんを殺したのは自分の妹である白梅の幽霊だと言って譲らない。そいつは、まあ、白梅からすれば、玄之丞よりも翠さんの方が憎いと思うかもしれんが、女の幽霊ならば翠さんのことを裸に引んむいて乱暴したりしないだろ?」
きっと伊達五郎の仕業であろう。
伊達五郎のような男のことを妹想いの優しい兄と評価するような者たちは、いつの時代にもいるだろう。
この時代にはそういう者たちも相当に多かった
尋常ではない事件だ。
お燐はたずねた。
「なぜ、黒田のご家中は三笠山を捕まえないのですか?」
大熊手は答える。
「去年は筑前の前の殿様である黒田長政さまがお亡くなりで大変だったし、三笠山は長政さまの頃からの福岡藩のお抱え力士だ。そして、黒田家の大目付である星野宗右衛門のお気に入り。
玄之丞さまは、言っては何だが、死んで当然の悪だったし、翠さんは、西淵屋が大店といっても、しょせんは町人の娘だ。
色々なことが伊達五郎にとって都合のいいように重なって、これは白梅の幽霊の仕業だろう、と事件はろくに調べられないで終わってしまった」
「幽霊の仕業だろうって・・・」
「本当に、伊達五郎は筑前ではやりたい放題だ。筑前の国であいつとの取り組みが組まれるようなことは、俺は御免だ。
俺はこの掛け軸を燐ちゃんのところに戻すよ。あいつからの使いがきたら、せいぜい高く売りつけてやってくれ。この掛け軸があいつの手元に転がり込めば、あいつも俺のことを睨むまい」
まだ、お燐にはわからないことがあった。
「どうして、伊達五郎はこの掛け軸をそんなに欲しがるのですか?」
大熊手が説明する。
「そいつは、その掛け軸が先日の筑前の鷲羽屋殺しに関わっているからサ。
その掛け軸が手に入らないからといって、安川平兵衛さまは切腹なさい、そのお子様たちが鷲羽屋夫婦に仇討ちなさった。
安川の家としては、その掛け軸をどうにか手に入れて平兵衛さまのご霊前に供えたいらしい。
その平兵衛さまが大目付の星野宗右衛門さまの従兄弟さまで、星野宗右衛門さまからは去年の事件のもみ消しとか色々と伊達五郎も恩を受けているはず」
話を聞いていて、お燐は頭が痛くなってきた。
「わかったような、わからないような、わかりたくないような・・・」




