第五十六回 姫岡真龍斎は土蜘蛛を幻術の師と仰ぐ
ここは奈良の柳生の里。
猿眼の虚呂平は、祖父である姫岡真龍斎から、
「すぐ来い」
と呼び出された。
姫岡真龍斎は炎の光や音を利用した術を得意とする忍者である。
もう七十歳を超える。
かつて幻術を遣う柳生のシラヌイと呼ばれたのは、この老人であった。
戦国の時代の功績を買われて、いったん柳生の禄をはむことができた。
しかし、その後に養子にした弟子が幻術を悪用した性犯罪を引き起こして国外逃亡した。すごい男であった。その弟子が虚呂平の父親である。
つまらない不祥事によって姫岡家は改易処分をうけ、虚呂平は母が実家の古川家に戻る時につれられて古川家の者となり、真龍斎も古川家に居候の身分となった。
古川家は戦国の時代に一つも功をあげず、ついに農民になった家である。
ただし、庄屋として名字帯刀は許されている。
虚呂平について言えば、猿眼の虚呂平の二つ名のとおり、猿に似た目ざとい顔をしている。今年に数えで二十歳を迎える。小さな猿のように身軽で小柄である。
* *
真龍斎の部屋に入って、虚呂平はギョッとした。
「じいさん、後ろ」
人間よりも大きな蜘蛛が真龍斎の背後に鎮座していた。
「おい、失礼な口を利くな、虚呂平。
この方は、わしの幻術の師匠の錦ヶ嶽の土蜘蛛さまだ。
いつも貴様にも話してやっておるだろう。
大昔にわしは九州まで武者修行に出て、錦ヶ嶽の土蜘蛛さまに柳生の兵法をお教えして代わりに土蜘蛛さまから幻術を教わった、と」
虚呂平としては『そんなの、じいさんの法螺話にしか思わねえ』と言いたいところだった。
しかし、その言葉をグッと虚呂平は呑み込んだ。
目の前に本物の土蜘蛛がいるのだ。
自慢顔の真龍斎。
「何十年ぶりにあっても、お師匠さまは見間違いようがない」
「それはそうだ」
と、虚呂平。
人間よりも大きな身体の蜘蛛が世の中にそういてたまるものか。
さて、と真龍斎は言った。
「本日はお師匠さまからわしらに頼み事があるそうだ」
「頼み事ですか?」
話の流れが虚呂平には読めない。
正直に言えば、読みたくなかった。
同じ部屋にいる土蜘蛛はまがまがしい空気を漂わせている。
真龍斎は言葉を続けた。
「昨年に京都で定村さまという官位持ちの陰陽師が殺されたじゃろう?
お師匠さまは縁があって、定村の娘と知り合い、筑前でその仇討ちを助け、定村の家宝の鏡を取り戻した」
親の仇討ち。
それはこの時代のこの国の人間にとっては最大級の善行である。
虚呂平としても、
「めでたい」
と言わざるを得ない。
何の、と真龍斎は言う。
「まだまだ話は終わりではないわい。定村の家の名跡の復活を朝廷に認めてもらわなければいけない、とお師匠様は言うのだ。
もともと定村の家は従五位下にまでのぼることができる名門ぞ。このまま絶えさせるのは惜しい」
「はいはい」
「今の朝廷の陰陽頭の幸徳井友景さまは石舟斎の甥御さまよ。柳生の縁を使うと道が開けそうな気がする。
そこで、お師匠さまは、わしの武者修行時代につくった娘と殺された定村種清さまとの間の隠し子であると称して定村の家の名跡の復活のために動いておられる」
「隠し子って・・・ そのお師匠さまは、どう見ても、まず人間に見えないのですが」
「その点は案ずるな。お師匠さまは人間の姿に化けることができる」
「はあ・・・」
「定村種清さまには跡継ぎになる男子がおらん。
そこで、お師匠さまが定村の隠し子の男子として定村の名跡を復活させた後に、定村の娘である風見さまに婿をとって家督をお譲りなさるそうだ。
定村の娘を助けるというのならば、定村の名跡の復活までやらなければ助けたことにならん、というのがお師匠さまのお考え」
「それで、オイラは何をするんですか?」
「お前には白縫数真を名乗るお師匠さまにつき従って定村の名跡の復活を手伝ってもらう。
本物の柳生の里の者であるお前がそばにおれば、柳生の里の者である姫岡真龍斎、わしの血を白縫数真さまが引いているという話も他の者に信じてもらいやすくなる。
うまく定村の名跡が復活すれば、お前も定村の家に仕える青侍になることができよう。虚呂平よ、お前も百姓で終わりたくはあるまい」
青侍とは、貴族・公家の家政機関に勤仕する侍のこと。
従五位下にまでなれる定村家は下級貴族であり、虚呂平を青侍に取り立てることができる。
「そりゃあ、まあ」
虚呂平だって、真龍斎と父親から忍術と剣術を仕込まれて育ってきた身だ。一生に一度ぐらいは実戦に使ってみたかった。
ポン、と真龍斎は手を打った。
「決まりじゃな。虚呂平、これからはお師匠さまのことを白縫さまと呼びなさい」
「えー」
虚呂平は複雑な気持ちになった。
これからお仕えすることになる主君というのが、どう見ても巨大な土蜘蛛。
人間の姿にも化けられるというが、まだ見ていない間には、本当に人間の姿に化けられるのかどうか、虚呂平は不安に思った。
* *
虚呂平の心配は杞憂であり、錦ヶ嶽の土蜘蛛は、白縫数真という美貌の少年陰陽師の姿に化けた。
白縫数真に付き従って定村の名跡の復活を助け、それが成功すれば、下級貴族に仕える青侍の身分になることができるという。
その話を聞きつけて、古川家の次男坊の紺九郎という男が、
「俺も自分の腕を試したく」
と言い出した。
父親の不祥事以来に虚呂平は母親の実家の古川家の世話になっている。紺九郎は虚呂平にとって年長の従兄にあたる。
また、虚呂平が思うに、紺九郎だって武士になりたいのだ。戦国の頃の親の功績だけで全てを決められてたまるか、と。
虚呂平も頼んだ。
「いや、紺九郎さんの剣の腕はすごいですよ」
白縫数真はうなずいた。
「わかった」
虚呂平と紺九郎という二人の柳生者が白縫数真に従うことになった。




