第五十五回 細川忠利は隣国の友人に加勢したし
福岡藩の筆頭家老である栗山大膳が、黒田二十四騎の野口左助(野口一也)と毛屋武蔵(毛屋武久)を叱りつけた。
その話は筑前の隣国にまで届いた。
┅┅筆頭家老になったといっても、親父の備後殿が偉かっただけではないのか?
┅┅一度の斬り合いもしたこともないくせにキーキー鳴くだけ。
┅┅いや、大膳の勉強熱心はすごく、その学問ぶりは幕府の政治に影響を与えることができる偉い学者たちにも評価されている。
┅┅学問を好む江戸の偉い者たちとも若い頃から親しく交わり続けておることは、これからの泰平の世において大きな武器になるぞ。
豊前の国の者たちも面白がって好き勝手に論評した。
もともと豊前小倉藩細川家と筑前福岡藩黒田家は不仲である。
ことの始まりは、慶長五年(一六〇〇年)関ヶ原の戦いの後で黒田家が豊前から筑前に移る時に、非常識な年貢の早取りを行い、後から来る細川家のためにその年の年貢を一切に残さなかったからだ。
それに怒った細川家の側は、黒田家の側からの人返しの取り決めの申し込みを断っている。
互いの国から逃げてくる者を追い返すという人返しの取り決めは筑前と豊前の間には存在しない。
結果として、小国の豊前側が年貢を安く抑えていると、年貢の高い筑前の農民が豊前に逃げてくる。
更に、豊前の者が西国一の港町の筑前博多においていかなる犯罪を行おうと、豊前に戻れば何のお咎めなし。
元和六年(一六二〇年)から藩主になった細川忠利は、分封問題で揺れる黒田家の三男坊である勘解由少年に好意を寄せた。
細川忠利。
天正十四年(一五八六年)生まれ。
黒田勘解由。
慶長十五年(一六一〇年)生まれ。
年齢は離れているが、どちらも共に柳生宗矩の剣の弟子である。特に、忠利は沢庵の識語の載った白紙印可状まで与えられている。
どちらもともに、生まれつき病弱な身体ゆえに剣技に熱心となった。
相手の心を先読みして打つスタイル。
忠利も勘解由も、余計な対立を前もって防いでみせることを得意とし、「気遣いがある」「律儀だ」と評判になった。
共に大名の家の三男坊に生まれ、兄たちの不評や失敗のために、大名になる機会に恵まれることになった。
二人は色々な点で似ている。
柳生の同門として共に剣の腕を磨く間に、家同士が対立しているのにかかわらず、忠利と勘解由は意気投合してしまった。
* *
この日の忠利は、玄海屋という自国の商人を呼び出した。
玄海屋はよく筑前博多に行き来している。
忠利が筑前の勘解由に連絡を取るのにうってつけの存在であった。
玄海屋が博多で盗品も仕入れているらしいことは忠利も知っていたが、とやかく言わなかった。海外貿易も行われていた混乱期のこと、それぐらい誰でもやっている。十年ぐらい前には、もっと酷く、商人と海賊が兼ねているようなこともごく普通だった。
何よりも、豊前と筑前の間で、人返しの取り決めがないので、西日本一の港町である筑前博多で犯罪を行っても、豊前に逃げてしまえば全てお咎めなし(そういう理由で、阿修羅丸一家の隠れ里も豊前の国の海の小島に設けられていた)。
忠利は溜め息をつく。
「また、平右衛門に断られてしまった」
そして、
「勘解由のことを助けるために、わしも手を貸してやりたいのだが」
と言った。
史実において、忠利は勘解由に対する加勢を勘解由付き家老である堀平右衛門に二回申し出ている。
いずれも、細川家と黒田家の不仲を理由に平右衛門から断られている。
なお、『長興公御代史記』によれば、忠利の提案は、勘解由を江戸に参府させるために豊前の船を十隻以上も筑前に侵入させるという無茶なものであった。
戦争でもしたかった?
この件について、忠利の援助の申し出を平右衛門が断ったのは、平右衛門の狭量と単純に評価するべきではないように思う。
玄海屋は言う。
「細川さまと黒田さまのお家同士の年来の不仲を思えば、平右衛門さまだってなかなか応じるわけにはいきますまい。術やりたいと思う。勘解由は年齢は幼いが本当に人間がよく練れておる。あいつならば立派な藩主になれるだろう」
玄海屋は考えこんだ。
しばし無言。
では、と口を開いて言った。
「柳生の力を借りるのはいかがなものでしょうか?」
「柳生?」
予想外の言葉に思わず忠利が聞き返すと、玄海屋は説明する。
「本来に柳生の剣術・忍術は奈良の柳生の地から始まりました。
もちろん、将軍様の兵法指南役になった当主の宗矩さまと一緒に江戸に向かった者たちや、尾張様の兵法指南役になった兵庫さまと一緒に尾張に行った者たちもおります。
しかしながら、奈良の柳生の里にはそれ以外の多くの柳生者たちがおります。彼らの力を借りれば案外に事を上手に運べるやもしれません」
「とうやって?」
「戦乱の世において活躍した柳生の剣士・忍びたち全てが柳生に仕官できたというわけではございません。
先日に殿にお話しいたしました定村さまの血を引くという白縫さまも、柳生に仕官できておられませんでした。
たまたまですが、私は白縫さまとの伝手があります。白縫さまを通じてはぐれ柳生を集めることはできましょう」




