第五十四回 時として戦後平和主義も正義なり
栗山大膳と左助たちの争い。
┅┅野蛮な戦乱の世は終わった。これからは泰平の世ぞ。小さなことで文句を言い、上と下の区別を壊そうとすれば、また、戦乱の世に逆戻りぞ。
┅┅意気地なしどもは少し危なくなれば逃げ出してしまう。いかに泰平の世でも、人と人との約束そのものが失われれば、国そのものが滅びるよ。まずは意地を張る心意気こそ大切である。
法哲学では、法秩序の形成に、妨害者を排除する強制力や人々の欲望を刺激するインセンティブの他に、法に従う人々の遵法精神を必要であるとする見解がある。
主権論では、上と下の区別が必要であるとしても、その基準の最高決定権は誰の意思によるか、主権に意思的要素が必要か論じられる。
政治学では、分断統治は平時に有効であるが、状況が不穏になると大量の裏切りが生じて破滅する危険が指摘される。
多くの学問が、用語だけを変えて、同じ一つの問題を基本的な問題として論じる。
秩序の形成維持のために、個人間のコミュニケーションに基づくヨコの信頼関係は、必要ないし有用なのか?
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黒田勘解由。
慶長十五年(一六一〇年)に生まれ、寛永元年(一六二四年)の時点では、数えで十五歳。
勘解由の兄である黒田忠之は、幼少時代には、並外れて元気で乱暴者であり、多くのトラブルを巻き起こしていたらしい。
そんな兄の姿を横目に見ながら、幼い日の勘解由は育った。
秩序をつくるために区別をつくることも必要であるけれども、それだけでは余計な軋轢を生みだす。
かえって通るはずの要求も通らなくなることも多い。
不要な対立を回避のために、事前の根回し調整も大切。
個人間のコミュニケーション重視。
子どもの頃から勘解由は、身分の下の者たちの話もよく聞いた。
周囲からの評判も上々であり、忠之と勘解由の父親である長政も勘解由を跡取りにすることを真剣に考えたとも伝えられる。
勇猛果敢の忠之か。
対話重視の勘解由か。
父親である長政は、忠之を正式な藩主とし、勘解由には筑前五十二万石のうちの秋月五万国を与えて独立させることを遺言した。
「大国は、少々の失敗に耐えられるので、勇猛果敢に引っ張る忠之のような男の方が国をまとめる君主として向いている。むしろ小国でこそ、話し合いを大切にする勘解由の才を活かせる」
その話を長政の死後に聞いた勘解由少年本人は、
「まあ、そんなものでしょうね」
と納得した。
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勘解由が大名として公認されるためには、江戸に出て将軍に拝謁し、所領安堵の御朱印を拝領することが必要であった。
福岡藩筆頭家老である栗山大膳は、勘解由の独立に反対した。
江戸参府をしないように求める手紙を大膳は勘解由の側に送りつけ、さらに、勘解由の出国を防ぐ厳しい監視体制を敷いた。
これが寛永の福岡藩の分封問題である。
秋月藩側の残している史料『長興公御代始記』によれば、元和九年(一六二三年)の時点で閏八月二十三日の日付の書付で、黒田忠之は勘解由の独立を承認している。
書付の翌年にあた寛永元年(一六二四年)における、福岡藩による勘解由の独立に対する妨害活動は、藩主である黒田忠之が江戸参府していた筑前留守中のこと。
筑前を脱出して江戸に入った勘解由は、当の忠之本人が住居している福岡藩の桜田屋敷に駆け込んでいる。
勘解由が処罰されていない。
忠之と勘解由が同じ桜田屋敷に住んで、福岡藩士たちが勘解由が将軍に拝謁できるようにする運動に従事している。
もしも、本当に忠之自身の命令で勘解由の出国を禁じていたというのならば、勘解由が桜田屋敷に来た時点で、無断出国を処罰するべきであろう。
忠之は勘解由を処罰するどころか、分封問題に絡んで、むしろ大膳ら分国反対派を処罰している。
こんな話がある。
寛永十四年の島原の乱で忠之(福岡藩藩主)と勘解由(秋月藩藩主)とその弟の萬吉(東蓮寺藩藩主)が出陣したとき、黒田二十四騎の野口左助が陣中見舞いに駆けつけた。
八十歳を超えた野口左助の足元が危ういことに驚いて、兄弟そろって野口左助の左右の手をとって扶けたという。
兄弟仲は別に悪くなかったのではないか?
寛永の福岡藩の分封問題は、筆頭家老の栗山大膳の専横の結果だったようにも思われる。
秋月藩の独立とそれに引き続く東蓮寺藩の独立を断念させれば、大膳の支持者だった毛利左近の知行地の移転を阻止できる公算が高かった。
そう考えれば、『磐井物語』に記録される大膳の諫諍書に記された【罪疑惟軽、功疑惟重】の項目の意味が見えてくる。
┅┅昔の偉い人の書いた『尚書』にも罪状が疑わしいときはなるべく罪を軽くしろとあるのに、毛利左近も手前(栗山大膳)も遂にご穿鑿を受けて知行を召し上げられました。
二十代前半で新藩主のなりたての忠之が、いきなり大譜代の毛利左近の一万七千石から七千石の知行地を没収している。
普通ならば大暴挙である。
しかしながら、毛利左近の知行の大幅召し上げについて黒田家中で反発の声が全く起きていない。
合理的推論として、罪があまりにもに明白のように思われ、厳しく処罰されてもやむなしと家中が納得したのではないだろうか?
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秋月藩および東蓮寺藩の独立を阻止しようとした分国反対派の活動には、当時の世情を前提にすれば、一つの正義が認められた。
問答無用に現在の秩序を大切にする。
ヨコの信頼関係を重視しない組織文化の下では、新しい秩序を形成するためのコミュニケーションに上位者が時間をかけてはいけない。
上位者が強圧と速度感を示し続けなければ、下位者の不安を招き、タテの命令関係でしか成立していない現在の秩序が一瞬に瓦解することがある。
戦後平和主義。
憲法凍結論。
長い戦乱の後にようやく新しい秩序が生まれて、それが脆く今にも壊れそうな社会においては、「誰も現行の憲法(国体)を疑ってはならない」という思想は、多くの弱き怯える者たちにとって(苦難が自分たちの身に直接に降りかからないかぎり)社会的合意のある正義になる。
その社会的合意が崩れれば、形式論理上の矛盾を覆い隠す言葉を用意することは不可能で、コミュニケーションを拒絶して理不尽な暴力を振るい続けるだけの怪物になり果てるにしても。
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