第五十回 また逢ひたしと言の葉のみぞ伝えられたり
博多の小さな古道具屋、鷲羽屋の老夫婦が、花形の明鏡を回収したということで、白縫から謝礼金としての千両を得た。
そのうち、三百両ぐらいが、博多で仁医として名高い遠藤周伯から「こいつらは貧しすぎて金が取れない」と嘆かせる者たちに五両ずつ速やかに配られた。
鷲羽屋の老夫婦が言うには、本当に花形の明鏡を回収したのは盗賊団の阿修羅丸一家である。
残った金も、阿修羅丸一家からの指示どおり、気前よく博多八ヶ町の貧しい者たちに配る予定であるという。
博多八ヶ町の貧しい者たちの間で、阿修羅丸一家は義賊であるとされ、その人気は沸騰した。
一家の中でも特に評判になったのは、間津田の連九郎である。
間津田の連九郎。
白縫大尽の宿泊する亀屋の前で、役人たちに囲まれながらも激しく抵抗し、ついに捕らえられて、即座に斬首された。
連九郎に手傷を負わされた役人たち、鷲津六郎と鷲津七郎は、何を血迷ったのか、獄門台に晒されている連九郎の首に斬りかかろうとした。
そこに止めに入った女が一人。
「女が何も持たず、両手を広げて、刀の前に飛び出した」
「普通にできることではない」
「連九郎の女だったのでは?」
「とんでもなく度胸があって弁が立つ女だったヨ」
「すごく綺麗だった」
「そいつは阿修羅丸一家の京女郎の岩八に違いない」
「ならば、連九郎というのも、阿修羅丸一家の中の相当の男だったはず」
「京女郎の岩八の情夫なら」
「岩八は黒田に騙し討ちで滅ぼされた城井の血を引く亡国の姫」
「城井の元の家臣の子孫だったよ、連九郎は」
「連九郎と斬り合ったという蔭澤夏之丞も相当の手練れ」
「京で白縫大尽の妹姫を賊たちの手から救い出したのは、本当は蔭澤夏之丞だったらしい」
「手柄を博多奉行の甥御に譲ったそうな」
実体など気にしない。
気にすることはない。
持たざる者たちの夢想が野放図に膨らんでいった。
クルリクルリ手のひら返し。
去年の夏之丞の不覚に対する非難の声は、少なくとも表面上には完全に消えた。
どうして、多くの人の心がそんな簡単に変わるのか?
夏之丞にはわからない。
わかるのは、ようやく呼吸がしやすくなったというだけ。
* *
その日、代官付の近習である夏之丞が家に帰ってくると、珍しい客が来ていた。
虎石力松。
夏之丞にとって母の妹の養子に当たる。
容姿は昔話の桃太郎の如し。無邪気で明るく強い子どもで、何の躊躇いもなく敵を殺す。
泰平の世はまだ始まったばかり。山中鹿之助が六歳で盗賊を斬り殺して絶賛された戦国時代の空気がまだ残っていた。そういう時代の子供であった。
力松は言う。
「お待ちしていました」
子供だな。
夏之丞は苦笑した。
「すまないな。本日には私にも代官所の御役目があった。ようやく、今、帰ってきた」
ペコリと力松は頭をさげる。
「ご苦労さまです」
いや、と夏之丞は言った。
「私も連九郎の一件があって以来、非番の日が減ったのだ」
蔭澤家の切扶持は二十石。
虎石家の切扶持は十五石二人扶持。
この程度の禄高であれば。役につけるかつけないかで暮らし向きが大きく変わる。
夏之丞はたずねた。
「いったい今日はどうした?」
力松は首を傾げた。
「どこから、お話すればよいのか・・・ つい、今日まで例の白縫さまが亀屋に御逗留なさられておりました」
「大金をもった白縫さまが亀屋にいるということで、亀屋のあたりを私も見回っていたよ。いや、今日までとはいうことは、今日、お帰りか?」
「花形の明鏡を無事に取り戻せたということで、白縫さまは京にお戻りに。それで、尾張屋が送別会を昨夜に行ったのです」
「ほう」
「僕は多門之助さまから警護の役目を命じられました」
多門之助さま。
虎石力松は商人である亀屋に対して敬語を使う。
亀屋多門之助。
もとは、亀谷多門之助光行という名前の甲賀忍者で、武士としての身分も持っていた。
黒田家の栗山備後利安(卜庵老人(に私淑する子飼いの忍者として、武士の身分を捨てて商人になった。
亀屋の鉄砲の助けがなければ、夏之丞の生命は先日の斬り合いで消えていた。
「警護の役目?」
力松は恥ずかしそうに言う。
「僕の顏と名を広く売る機会だ、と」
思わず夏之丞は笑ってしまう。
「そいつはよかった。がんばってきたか? いや、力松はそこまで焦らなくてもよいと思う」
「はい」
神妙な表情で力松はうなずいた。
そして、
「昨夜に僕が警護についた方をどなただと思われますか?」
と尋ねてきた。
「さあ?」
夏之丞は首を傾げた。
すると、力松は目を輝かせて言う。
「白縫さまの妹君である定村の姫の風見さまです。京では、夏之丞兄さんにも世話をよく受けたとおっしゃっておられでした」
「風見さまが?」
びっくりして夏之丞は大きな声をあげてしまう。
力松の説明。
「そもそも白縫さまは岩太牢が消えてから一ヶ月のみ博多で花形の明鏡をお探しになられるというお話でした。
そろそろ一ヶ月になるということで、風見さまが兄君である白縫さまのことを京からお迎えに博多にいらっしゃったのです」
夏之丞の疑問。
「風見さまの兄君であらせられる白縫さまという御方。京では、私は風見さまからそのような兄君がおられるという話を聞かなかった」
うーん、と力松は困った顔を浮かべた。
「実は、白縫さまは妾腹の子で、柳生の女を母に持っておられるとのこと。
生まれてすぐに白縫さまは柳生の里に出されたご様子で、それで、嫡子である風見さまは長く隠し子の白縫さまのことをご存じなかった、とのこと」
「そういう事情か・・・」
と、夏之丞。
あっさり力松は言う。
「風見さまがおっしゃるには、夏之丞兄さんのことも懐かしいので、できれば京にお戻りになられる前にお話をしてみたいとのことでした。
ひょっとしたら間に合うやもと思ったので、僕は昼前から夏之丞兄さんにお報せに参ったのです。
今日の昼に港から船で白縫さまとご一緒に京へお発ちになれたはずなので、もう間に合わないでしょうが」
第一部終了。
全体のストーリーラインは、あらすじにあるように「すれ違い」なのです。




