第五回 向陽上人は筑前の国の安養寺に向かふ
浄林寺における定村種春の葬儀の日に、蔭澤夏之丞は言った。
「風見さま、名残り惜しいのですが、私も筑前に戻らねばなりません」
「え?」
いつか来ると風見もわかっていた。
別れの時。
夏之丞は主持ちの身である。
「冬次郎さまが国元への伝令を承ったので、それに付き従って私も筑前に戻ります」
未練がましいと思いつつ、風見はたずねずにいられなかった。
「いつ、夏之丞さまは京にお戻りになられますか?」
さみしそうに夏之丞は言う。
「多分、私が京に戻ることはないでしょう」
「どうしてでしょう?」
頑是無い小さな子どものような風見の問いに、夏之丞は真面目に答えてくれた。
「私は冬次郎さまの従者として京に参っております。
先日に冬次郎さまが盗賊たちを二人斬り捨て、京の都で黒田家の武勇を示したご褒美として、若い冬次郎さまにも特別に名誉のお役目がまわってきました。
国元への伝令を一回果たせば、伝令のお役目を再び冬次郎さまが申しつけられるようなことはありますまい。
何と申しましても、冬次郎さまはお若い。
名誉のお役目を冬次郎さまが一人だけ数をこなすようなことがあれば、他の方々がお妬みになられます。
おそらく、いや、きっと、冬次郎さまも私も京に戻るようなことはありません。大変に名残惜しく思いますが、これで、お別れです」
そして、
「短い間でしたが、風見さまのような身分の高い姫君とお目通りして言の葉を交わせる機会を得られたことを、夏之丞は筑前に戻っても一生の語り草といたします」
と憧憬の眼差しを向けてくる。
「身分の高い」
しょせん陰陽師の娘ではないかと風見は困惑した。
とはいえ、従五位下の官位を持つ者の孫娘であると言えば、手の届きようのない高嶺の花の姫君と庶人は思えるであろう。
はい、と夏之丞は頷いた。
「この度は種春さまがお亡くなりになられて、風見さまもお力落としかと存じますが、これからの風見さまの未来に幸あることを祈らせていただきます」
* *
夏之丞が筑前に旅立ってしまった。
福岡藩の役人たちや検非違使たちからの聴き取りが終わると、残された風見は近江屋を出されることになってしまった。
風見の姿はいと清らか。
その噂を聞いて、彼処の郷士から「嫁に貰いたい」と、此処の富豪より「妻にしたい」という申し込みも多かった。
そこまで容貌の優れた娘を並の者に与えることは惜しい。父親の定村種春は、伝手を求めて大名高家に風見を側妾として贈ることを企てていた。
縁談を持ち込む親戚も友人も手厳しく断って、種春は娘を秘蔵していた。
ゆえに、風見の信用できる大人は少なかった。
近江屋を出された後に風見が頼りにしたのは、浄林寺の向陽上人という老僧であった。
向陽上人は、風見の祖父である定村種時とは持ちつ持たれつの古い友人であった。
大和法隆寺の勅大僧正の経歴と法印の官位を有する。
戦乱の時代も過ぎ、朝廷からの官位を持った僧が、各地を行脚して、無住大破した寺を再興するという名目で、善男善女から寄付を集めるとい手口が流行していた。
浄林寺を再興したのも向陽上人である。
次はどのボロ寺を再興するか?
筑前の国の安養寺が宜しかろう。
博多の商人たちの間にも向陽上人のことを名僧と崇める信者たちがいる。
すぐ金が集まる。
そのように向陽上人は思案していた。
風見は泣きついた。
「あたしには上人さましか頼れる相手はいません」
ふむ、と向陽上人は腕組みをする。
「これから、わしは筑前の安養寺の再興に向かわなければならん。前から博多の者たちと約束しておるからのう」
筑前国。
蔭澤夏之丞の住む国である。
これも天の導きやもしれない、と風見は思った。
「是非にも筑前まで上人さまの御供をさせてください。どうか、お願い致します」