第四十六回 台本師の吉弘桑楡軒はご都合主義を愛す
この時期の博多に、根津甚八が以前にいた家に、吉弘桑楡軒という男が熊本からたずねてきた。
しかし、隙間数えの風丸にしか会えなかった。
「あなたは我々の主と、どのようなご関りの方なのですかね?」
と問われて、
「おいおい、風丸、俺のことを覚えていないのか? 西村三左衛門だ。俺はお前のことを覚えている。大坂の夏の陣で甚八の横にいたな?」
と答える。
台本師の吉弘桑楡軒。
その正体は、森宗意軒であった。
島原の乱という歴史に残る大事件の台本を書きあげるのは、十二年後の寛永十四年のことである。
九年前の慶長二十年、大阪の夏の陣においては、森宗意軒(西村三左衛門)は、真田幸村の軍について戦っていた。
森宗意軒は、朝鮮出兵の際に小西行長の荷物を運ぶ船宰領(船頭)を担い、その途中で難破して南蛮船に助けられ、オランダや中国に渡った。
火術・外科治療の法・火攻めの方法など多くの技術をまとめ、大阪の陣でも島原の乱でも森宗意軒は華々しく活躍した。
風間は狼狽した。
「三左衛門さま・・・ 今、思い出しました。大変に申しわけありませんでした。お懐かしうございます」
「こちらも突然に来たのだ。大した用事はない。会えればよし。会えなくてもよし。また、甚八によろしく伝えておいてくれ」
風丸と別れた後、台本師の桑楡軒は、この時期の博多における阿修羅丸一家による花形の明鏡の返還騒ぎを聞いて面白がった。
事件を題材にして、桑楡軒は『筑前白星鏡』という一本の台本を仕上げる。
あらすじは以下のようなもの。
* *
従五位下という朝廷の高位の貴人の血を引く百海大尽(白縫大尽ではない)は、京から、父親の仇である小瀧恨太郎(大屯岩太牢ではない)を追って筑前までやってきた。
恨太郎を見事に討ち果たしたものの、盗まれた家宝の草花の明鏡(花形の明鏡ではない)を取り戻すことができず。
百海大尽は、千両の謝礼でもって、博多の町で雨屋(亀屋ではない)に滞在して明鏡を探し求めた。
実は、草花の明鏡は、恨太郎を使って様々な悪事を働いていた葦津兄弟(鷲津兄弟ではない)の屋敷に隠されていた。
その話は、名高い盗賊団・白星丸一家(阿修羅丸ではない)の女幹部である京女郎の岩八の知るところになった。
博多の柳町一の遊女でもあった岩八は、寝物語にて、一家の小頭である世志広の恋九郎(間津田の連九郎ではない)に教える。
以前から恋九郎は、岩八のことを身請けして自由にしてやりたいと願っており、厳しい白星丸一家の掟を破って、単独行動で、葦津の屋敷に忍び込んで草花の明鏡を奪取する。
そして、花形の明鏡を金に換えようと雨屋に恋九郎が向かう途中で、待ち構えていた葦津兄弟たちとぶつかり、乱闘になる。
十人を相手に奮闘したが、最後には恋九郎も力尽きて取り押さえられてしまう。
ただちに斬刑。
取り押さえる前に恋九郎から殴り倒されて逃げた葦津兄弟は、獄門に晒された恋九郎の首に、憂さ晴らしのために刀を抜いて斬りかかろうとする。
そこに身体を張って割って入ったのが、天女のような美しさの岩八。
人の情を説く。
葦津兄弟には通ぜず。
しかし、つまらない騒ぎを起こすと、葦津家が改易されるかもしれないという一言が効いて、葦津兄弟はすごすご退散する。
獄門台の前の騒ぎを聞きつけ、ついに白星丸一家が動く。
白星丸一家は葦津の屋敷に押し入って、圧倒的な強さで抵抗を制圧し、草花の明鏡を奪い返す。
そして、一家の頭目の白星丸は、古道具屋に化けて、百海大尽に直接に逢って話して、千両の謝礼を見事に受け取る。
千両の金の使い道だが、白星丸は、まず、死んだ恋九郎の意を汲んで、岩八を身請けし、尼となって恋九郎の菩提を弔うように命じた。残りの金は博多の貧しい者たちにばらまかれることになった。
博多の町では、葦津兄弟の旧悪の噂が広まり、代官所も葦津兄弟を取り調べた。
葦津兄弟は切腹も許されず斬刑になり、その首はかつての波九郎の首が晒された獄門と同じ獄門に晒されることになった。
* *
勧善懲悪。
敵役である葦津兄弟のことを救いようのない悪として書く。
ご都合主義のオンパレード。
そういう台本こそ、多くの者の心に響く、と桑楡軒は信じていた。




