第四十四回 勝烏の黒八は生きた証を残したく思ふ
阿修羅丸は、一家の小頭である勘六の手下の親戚という小さな古道具屋を襲った。
夜の商家には老夫婦しかいなかった。
そこに、阿修羅丸と黒八、勘六たちの組、計七人で押し掛けた。屋号を鷲羽屋と言った。
たちまち老夫婦を縛り上げ、店の中のわずかな現金を巻き上げた。
老夫婦たちは怯えた。
「どうして、うちのような小さな店に?」
「生命だけは、どうか」
阿修羅丸は言う。
「やいのやいの、うるさい。今夜は盗みに来たのではなく、押し売りに来た」
「押し売り?」
手足を縛られて転がされている老夫婦の前に、黒八は、花形の明鏡の入った箱を丁寧に置いた。
阿修羅丸の説明。
「こいつは白縫大尽さまが探しているという花形の明鏡だ。本日にお前らから貰った金で、これを売ってやる。この鏡を亀屋に持っていけば千両の謝礼がもらえるゾ」
「もしも、それが本当だとしたら、あなた達がご自分たちで行けばよろしいのではないでしょうか?」
「俺たちは盗賊だ。まともに行けば、捕まってしまう。
お前らはまともな古道具屋だ。見知らぬ客から押し売りされたといって、こいつを亀屋にもっていって金に換えてこい。
きちんと金が手に入ったら、『実は、その見知らぬ客とは、阿修羅丸さまだった』と明らかにして騒げ」
そして、
「お前ら夫婦に千両の金を遣いきれないだろうから、他の貧しい奴らにも配ってやれ。
この街には、飯も食えなくて追い詰められている者たちもウヨウヨいる。そいつらを助けてやれ。
ちゃんと言うとおりにやらなければ、次に来るとき、阿修羅丸一家は人殺しもうまい怖い盗賊としてこの店にやってくるぞ」
と啖呵を切った。
後のことは小頭である勘六にまかせて、阿修羅丸と黒八は一足早く隠れ里への帰路についた。
* *
勝烏の黒八。
この老人は元スリの親玉である。
気配を消すことについては、尋常でない。そして、博多の小路の隅々まで知り尽くしている。
阿修羅丸のための退路を確保する役割。
「今回のことがうまく行けば、みんながあっと驚くでしょうな。阿修羅丸さま、阿修羅丸さま、それにしても、なぜ、このようなことを?」
黒八の問いに阿修羅丸は答える。
「別に俺たちに金はいらねえ、今回の件についてはな。
そもそも巨亀と連九郎を使った当初の目的は、『亀屋にいる噂の白縫が大金を抱えているようだが亀屋に手を出すのは厳しい』と下の者たちを納得させることだった。
いるのは阿修羅丸一家の面子だけよ。
今回の件で、俺たちはあの道具屋夫婦を通じて、阿修羅丸一家の名前で、千両の金を博多の街の貧しい者たちにバラまければ俺たちの勝ちサ。十分に阿修羅丸一家の顔が立つゼ」
「しかし、亀屋に対する仕返しになりますかね、相手が欲しがっているものを渡して、相手が約束通りの謝礼を出すだけでは?」
「盗賊である俺たちの名前をあげるための金を向こうが吐き出さなければいけない形をつくるだけで、俺たちの勝ちサ。
この件で金がもらえた貧しい者たちは、文句なしに阿修羅丸一家が亀屋に勝ったと周りに触れて回るさ、きっと。
こういうことの勝った負けたを決めるものはな、どうしたって、世の人の声の大きさだよ」
なるほど、と黒八はうなずいた。
「そいつは違いねえや」
七十才を過ぎた勝烏の黒八にとって、阿修羅丸は孫ほどの年齢である。
阿修羅丸に出会わなければ、おのれの人生は本当に何の意味もないものに終わっていたと思う。
そろそろお迎えが近い年齢。
地獄に落ちる前に、この世に自分は何かをやったという爪痕を残してやりたい。
* *
四年前のこと。
元和六年(一六二〇年)の秋、当時の地元のスリの元締めだった黒八は、流れのスリの集団と、お互いの指定しあった標的の財布をとる勝負を受けた。
相手が指定した標的は阿修羅丸だった。
青い目をした図体の大きい若僧。
黒八の目から見て、決して財布を抜き取れない相手ではなかった。
確かに抜き取ることができた。
それでも、だ。
抜き取った瞬間に黒八はその右手を阿修羅丸に捕まえられた。
「ちょっと待て。じいさん、何を勝手に人の財布に手を出しているんだよ、お前?」
黒八は阿修羅丸の隙を突くことができた。
隙があるふりの罠に引っ掛かったから反応されたと言うわけではない。本当に隙があった。その隙を突くことができた。
けれども、財布を抜いた瞬間に気づかれて、超反応されてしまった。
理由がわからない。
「すみません」
黒八は土下座した。正直に洗いざらいの事情を話すことにした。
「よそから流れてきたスリたちと、もともとの地元のスリたちであるわしらとの間で争いが起きておりまして、そいつをスリの勝負で決めようということになったのです。
向こうが標的にしろとわしらに示したのが、あなた様でございました。それで、わしはあなたの財布を抜かなければいけないことに相成りました」
阿修羅丸は目を丸くした。
「スリ同士の争い?」
黒八にも言い分があった。
「いや、同じスリだと言っても、向こうの流れ者たちは、相手を大勢で囲んだり、刃物を使ったり、殴りつけたりしながら、財布を抜くスキをつくるといった随分に乱暴なことをやります。
わしらは気づかれないように近づいて指先でチョイチョイと抜くだけの穏やかなものです。わしらが勝った方が堅気衆にとっても少しは良いのではないかと思います」
「そうか」
阿修羅丸は自分の懐から小さな巾着袋を取り出した。中身を出す。空っぽになった巾着袋を投げてよこした。
黒八は目を白黒とさせた。
「こいつは?」
「持っていけ、財布だけでいいんだろ? 中身は渡さない」
と、阿修羅丸。
中身を渡さないといっても、銅銭が数枚のみしか入っていなかった。
あきれながらも黒八は言った。
「わしはスリとして、あなた様の財布を抜かなければいけないのです」
茶目っ気のある笑顔を阿修羅丸は見せた。
「向こうが殴りつけながら財布を抜くようなこともスリの手口の一つだと言い張るのならば、じいさんが泣き落としで俺から財布をもらうのもスリの手口の一つだと思うゼ」
奇妙な感動を黒八は覚えた。
大切なことを自分は忘れていたのだと思った。
それが何かと問われれば、うまく言葉にできない。
将来の夢か、未来の希望か。
そういうものに振り回されていれば、おそろしく不自由で、なかなか安定して生きていけない。
だから、捨てたのだ。
結果として、一つの型にはまり、まったく型の外のことがわからなくなる。
世の中がわけのわからない化け物ばかりになる。
なぜ、自分が生きていたいのか、忘れてしまう。
今、手に入れなければならないものが何かわかった気がした。
まだ生きていたいと思う理由だ。
阿修羅丸のそばにいれば、そいつを見つけられるような気がした。
それから、勝烏の黒八は阿修羅丸に付き従うようになった。




