第四十一回 半玉の綾機は無理を通してしまふ
亀屋の向かいの隣の家の二階。
独鈷屋の芸子見習いの綾ちゃんこと綾機は、陰陽師の血筋の白縫に悪霊払いをしてもらうという名目で、滞在していた。
そこに、通い妻よろしく亀屋からやってくる白縫(実は、錦ヶ嶽の小女郎)と綾織は仲睦まじくやっていた。
綾織がお駒という名前だった小さな子どもの頃に飼っていた猫は、金花奴という人の言葉を話す化け猫であった。
化け猫から『あらゆる猫の手本となる明るく楽しい猫暮らし』という怪しげな教えを受けて育ったという綾機は、人並外れて色々なことを前向きに楽しめる性格をしていた。
本日は、人間よりも大きな土蜘蛛の姿に戻った白縫を枕にして、綾機はぬくぬくお昼寝。
一階から呼ぶ声がした。
「白縫さま、亀屋さんから使いの者が参っております。何やら、お急ぎのことで、今すぐ店に来てほしいとのことです」
* *
人間の姿になった白縫と一緒に綾機も亀屋に向かった。
奥の座敷に通されると、亀屋や小文治の他に、綾機が見知った顔があった。
「あ、お多福屋の文十郎さん」
思わず声をあげてしまう。
文十郎はきょとんとした顔。
「お前さんは?」
綾機は答える。
「独鈷屋の芸子の定家のおつきをしている半玉で、綾機と申します。二、三度、お多福屋の御座敷の隅っこの方をうろちょろさせていただいたことがあります」
「ああ、定家の」
わかった、と文十郎はうなずく。
彼の馴染みの遊女である柳町の小梅は、定家と仲がよい。遊郭内の自分の客の宴席に芸子として定家を呼ぶことを勧めてくれる。
実は、綾機は、柳町における文十郎の御座敷にも一度だけ顔を出していた。
そこで聞いたのは、小梅と定家の内緒話。
お多福屋の文十郎さん店の金を遣いこんでいるのではないか、と。
亀屋が遮った。
「いや、まあ、文十郎さんが独鈷屋のお客さんだということはわかるけれどもね。今はちょっと、そんな話をしている場合じゃありません」
そして、
「白縫さま、本日はこの人が礼の花形の明鏡を返してくれるという話だったのですが、途中で若い者たちの喧嘩に巻き込まれて、肝心の鏡を置き引きされたという話なのですよ。
それでもって、白縫さまがお出しになられた手付の二百両を今すぐには返せないという話なので、いかがしたらよろしいでしょうか? 金をお出しになられたのは白縫さまですから、私たちが決められる話ではなし」
と言った。
白縫はあっけにとられたというような表情。
「置き引き」
横から小文治が口を挟む。
「そういうことがあっても別におかしくはないのですが、どうも、何か引っかかります。よりによってという感じで。誰かが絵図を描いたのでは?」
亀屋は注意する。
「そいつは後で考えればいいサ。今、考えるべきことは、白縫さまが文十郎さんにお支払いなさった手付金の二百両のことだよ」
文十郎は言う。
「いや、私もやられてしまった側なので、二百両まるまる返せというのはご勘弁いただきたく」
確かに、文十郎はかなり痛めつけられたらしく、服も汚れて乱れており、顔にも手足にも多くの青あざが残っていた。
かわいそうだと綾機は同情した。
「白縫さま、二百両、笑ってあげられない?」
「笑う?」
「支払いなしであきらめること」
みんな、ぎょっとした表情を浮かべる。
「え?」
「そんな無茶苦茶な」
「二百両ですよ」
もはやお機も後に退けない。
「文十郎さんは、あたしがおつきをしている定家姐さんのお友達の小梅さまの想い人だ。
定家姐さんとの義理のしがらみで、この場面に綾機が居合わせたとなれば、この綾織は文十郎さんのことをかばわなきゃ」
そいつは、と亀屋は苦笑した。
「定家が後でうるさいことになるかもしれないネ」
小文治は言う。
「二百両を勘弁しろというのは、さすがに無理だ」
無理が通れば道理は引っ込む。
ならば通す。
綾機は言う。
「無理かどうかは白縫さまがお決めになられること」
こっくり白縫はうなずいた。
「いいよ」
文十郎は大喜び。
「本当ですか? ありがとうございます。よかっよかった。どうやら、小梅のおかげで私の生命もつながった」
亀屋があわてる。
「ちょっと待ってください。二百両を笑うというのは、いくら何でもそれはあんまりです」
白縫は言う。
「いや、二百両ぐらいの穴は埋められます」
「そう言っていただけると助かります」
文十郎の顔が明るくなる。
だとしてもですよ、と亀屋は不満顔。
「物の道理にあいません。何もなしに二百両を笑うなんて」
すると、白縫は言い返した。
「何もなしというわけではありません」
「え?」
驚く亀屋たちに向かって白縫が説明した。
「文十郎さんが盗まれた花形の明鏡は、私が博多にいる間に、すぐ出てくるでしょう、盗んだ者が金に換えたければ。
それは、もう、文十郎さんが花形の明鏡をお多福屋さんの店の外に出すことを決めてくれたからですよ、どういう形であれ」
なるほど、と亀屋はうなった。
「無理やり止められていたコトの流れが、やっと動き出すことになる、と」




