第四回 青柳春之助が顔を隠す理由を明かす
倉八長之助。
その名が風見の唇からこぼれた時、夏之丞は驚いた。
「本当でございましょうか?」
福岡藩の無足組の鉄砲頭、倉八六右衛門治勝の次男である倉八長之助。
倉八長之助は代官付の小姓であった頃に博多の密貿易の海賊退治において大功を立て、福岡藩の若君である黒田忠之の近習に取り立てられた。
無足組の家柄の者が次期藩主の若君のお側仕えになったのは異例である。
夏之丞は問う。
「なぜ、倉八長之助さまのことを風見さまがご存じなのですか?」
定村風見は微笑んだ。
「先に申し上げたとおり、定村の血筋のせいか、あたしには時折に人の考えていることがすっと頭に見えることがあるのです。先日に青柳さまとお会いしたときに、そんなことがあたしの頭の中に入ってきました」
「な、何と・・・」
うまく言葉が夏之丞の口から出たこない。
信じてはいただけないものか、と風見は不安げな様子。
「お疑いでしょうか?」
「いや」
「あと少し申し上げれば、青柳春之助さまは、倉八長之助さまの母違いの兄君である倉八権右衛門正盈さまの御母堂の弟君の御子」
「はあ」
あまりにも続柄が複雑で夏之丞の理解がすぐには追いつかなかった。
風見は言い換える。
「血のつながりのない従兄弟です。青柳春之助さまは倉八長之助さまの姻戚。シュンノスケとチョウノスケ。御名の響きも似ております」
「はい」
と、夏之丞はうなずいた。
とにもかくにも青柳春之助は家中で評判の倉八長之助の姻戚だと言う。
風見は言葉を続けた。
「このような話は本来にあたしが知るはずもないことでございましょう。青柳さまとお話しした時に、ふっと、青柳さまの心の中が見えたのです。定村の血筋には、そういう霊力があります」
神秘の念に打たれて夏之丞は頭を垂れた。
気弱そうな瞳で上目遣いに見つめてくる姫君は、鬼や妖も集う古えの都で聖らかな月の霊光を浴びて育った幻の花。
┅┅この気高い美しさを己の如き卑賎の身のものにしたいなどとは夢にも思ってはならない。
夏之丞は心の中で自分に言い聞かせた。
* *
とりもなおさず、風見の父親である定村種春の葬式を出すことになった。
定村種春は法隆寺の末寺である浄林寺の檀家であり、ささやかながら仏式で葬式をあげるという。
その手配をしながら夏之丞はしっくりこなかった。
「陰陽師の葬式を仏式であげるものなのでしょうかね?」
京の案内人である春之助は笑う。
「古来から法隆寺は陰陽道と結びつきが強く、寺に何人も陰陽師を抱えています。定村が法隆寺の末寺である浄林寺の檀家なことは別におかしくありません」
青柳春之助なる若者。
商家の用心棒の浪人という触れ込みであるが、天蓋の深編笠で顔を隠しながら、剣を巧みに使い、妙に博識である。
いささか夏之丞は好奇心に駆られた。
「ところで、春之助殿、貴殿が私たちの国で評判の倉八長之助さまの縁者と聞きました」
「それはどこで?」
あからさまに驚きの声を春之助はあげた。
その反応で風見から聞いた話は間違っていなかったと夏之丞は確信した。
話の出所をごまかす。
「あなたのことを知る方が京屋敷におりまして、聞き及びました」
「お恥ずかしい」
「もしや長之助さまの縁者であることが恥ずかしいとでも?」
「いいえ」
と、春之助は首を横に振った。
倉八長之助には、妾腹の異母兄として、倉八権右衛門という男がいる。
鉄砲頭をつとめる倉八家は、無足組でありながら鞍手に四百石の知行地を有し、あと少しで六百石以上の大組に手が届く。
権右衛門の母は貧しい浪人の娘。
ゆえに、本来ならば、権右衛門は、正妻の子である長之助を押しのけて、倉八家の四百石の家督を継ぐことができないはずだった。
しかし、長之助は、先年に忠之付きの近習に取り立てられたとき、自分は独力で家名を立てると宣言して、倉八家の跡取りの座を権右衛門に譲った。
おかげで、権右衛門の母方である青柳家にも相当の援助が行くようになった。
春之助は言った。
「そのような経緯があるので、青柳家の者として、拙者は長之助さまのご栄達を願っております」
「なるほど」
夏之丞は納得した。
四百石の家督を妾腹の異母兄に譲るなど、並大抵の決断ではない。
独力で新しい家を立てるという長之介は、心の優しいだけではなく、余程に己の能力に自負があったのだろう。
この時、わずか数年の内に長之助が一万石を超える知行を与えられて家老の地位につくことなど誰も予想することはできなかった。
青柳家が感激したのは当然だ。
「実を言いますと、拙者は長之助さまと同じ年の生まれで、姿形も相当に似ているのですよ、血がつながっていないのに。
もっとも、中身は雲泥の差です。長之助さまは人中の竜。すでに黒田の若殿さまからの信頼も並々ならぬと聞き及びます。
人に比べられると恥ずかしい。
拙者のような遊び人が身内にいることが長之助さまの足を引っ張るようなことがあっては困ります。ですから、拙者は普段から己の顔を隠すように心がけております」
言葉に自嘲の響きがあった。
春之助の心中にも複雑な想いがあるのだろう、と夏之丞は思った。
* *
夏之丞は嫡子の長男であり、蔭澤家の跡目を継ぐ将来を約束されている。
二十石の扶持米取りは福岡藩の無足組の中では平均的なもの。
下を見れば、いくらでも下はいる。
むしろ、家中では恵まれている方とも言える。
己の値打ちに合わない高望みをすべきではない、と風見から言われた。
しかし、長之助は大志を抱いている。
鉄砲頭である倉八家は、大組の六百石には満たないが四百石の知行を有していた。
もしも、二十石の扶持米取りの家柄であれば、いくら長之助が優秀でも、異例の抜擢はなかったのではないだろうか?