第三十五回 京女郎の岩八は淋しき時代の夢想なるべし
蔭澤夏之丞に捕らえられた間津田の連九郎という男は、阿修羅丸一家の小頭として多くの盗みに加わっていた。博多代官所の与力の鷲津七郎の足を短刀で刺した。
怯えた兄の鷲津六郎は震えてしゃがみこんだ。おのれの産んだ子どもたちの醜態に恥じたのか、周囲からの批難に耐えきれなかったのか、鷲津兄弟の母親である真柴が首を吊って死んだ。
あわてた代官所は、大急ぎで連九郎の首を刎ねた。
どうせ連九郎は死罪。
阿修羅丸一家の情報を採ることを断念。
真柴の死に対して人々の同情が集まる状況では、連九郎を長く生かしておくと、『代官である明石四郎兵衛は阿修羅丸一家に対して弱腰』と批判されかねない。
悪即斬。
正義にわかりやすい強さと速さばかり求める愚かな民の上に立つのならば、強硬策を採らざるを得なくなる。
* *
午後の澄み渡った青空の下、獄門台に晒された連九郎の首の前で一人の女が立ち尽くしていた。
石女うまずめの七。
またの名を、暗闇のお石。
夫婦別姓の村では、男の子を産むまで嫁を家族の正式構成員として認めないといったこともあった。
子どもを産むことができなかったので婚家から叩き出されて、石七は色を売る私娼になった。
私娼相手に支払いを踏み倒そうとする客もいる。
そんな場合の後ろ盾を、間津田の連九郎とその手下たちは格安の代金で引き受けてくれていた。
連九郎とその手下たちは、盗賊だった。
彼らの世話になる私娼たちは進んで客の情報を彼らに流した。
罪悪感はなかった。
誠を期待されるほどの金を客からもらっていないし、客も期待していないだろう、といった上等な理屈も持ち合わせてはいない。
生きていくために必要なものを贖うため手元にある全てを吐き出す。情報が使えるのならば情報も吐き出す。
それが石七にとって当たり前だった。
「晒し首・・・」
連九郎の顔を石七はよく覚えていない。夏之丞の一刀で顎が割られている。覚えていてもわからなかったかもしれない。
はっきりわかったのは、【あちら側】は【こちら側】を嫌っていること。
憎んでいること。
理由なんて石七は考えない。
すぐ泣き、すぐ笑い、すぐ怒り、すぐ忘れる。
欲しいものは取りにいき、手に入らなければあきらめる。
何となく好きになり、何となく嫌いになり、何となく憎む。
彼女はそうしていた。
他の者たちもそうしていると思っていた。
「どけどけ」
「邪魔だ」
他の見物衆をかき分けて、身なりのよい二人の若侍が連九郎の首に近づいていく。二人の姿形がよく似ている。一人は足を引きずって杖を突いている
「何だ?」
「鷲津さまのご兄弟さまだ」
「いったい何しに?」
おそろしい目をした鷲津六郎と七郎の兄弟は刀を引き抜いて、
「こいつさえいなければ」
と斬りかかろうとした。
生前の連九郎にあっさり転がされた鷲津兄弟は、斬刑に処せられて首だけになった連九郎に意趣返しをしようというのだ。
首だけになった連九郎は、文字通りと手も足も出ない。
ふだんの石七という女、他人のために身を捨てるようなことは真っ平御免。
だが、この時ばかりは身体が動いた。
「おやめください」
石七は鷲津兄弟の前に立ちふさがった。
もしも、鷲津兄弟が憎んでいたのが連九郎だけならば石七は動かなかっただろう。
石七が動いたのは、彼らの憎しみが【あちら側】の憎しみであり、連九郎も石七も含めた【こちら側】の全てに向けられていたからだった。
鷲津兄弟は言う。
「ひょっとして、お前は連九郎の女か?」
「俺たちは連九郎に恥をかかされ、母上は首を吊った」
「母上の無念を晴らす」
「連九郎の女であれば、許すまじ」
しまった、このままだとこいつらに殺されてしまう、と石七は怯えた。
その時に、鷲津兄弟の身体が唐突に空中に浮きあがった。
「うわぁ」
「放せ」
一人の悪相の大男が左右の手で鷲津兄弟の腰の帯をそれぞれ捕まえて二人とも頭上高くに持ち上げて、
「鷲津さまの御兄弟ですな?」
と言った。
六郎と七郎は喚く。
「く、くそっ、何をする?」
「名を名乗れ、貴様」
大男は言う。
「亀屋の用心棒、瀧川小文治」
「小文治や、鷲津さまの御兄弟を地面におろしてあげなさい」
商人風の男がゆっくり姿を現す。
地面に下ろされた鷲津兄弟は、あっ、と声をあげる。
「亀屋さん・・・」
「亀谷多門之助光行殿・・・」
礼儀正しい笑いを顔に亀屋は貼り付けていた。
「先日は、どうも。
鷲津六郎正時さま、鷲津七郎正良さま、おやめください。
あなた達が騒ぎを起こして、鷲津のお家が改易になれば、それこそ、母上さまも残念に思われますよ」
改易。
その言葉は鷲津の兄弟たちに覿面に効いた。
「お家大事」
「母上も喜ばぬ」
今にも石七のことを斬り捨てかねない勢いだった二人がすっかり大人しくなった。
たったの一言。
横からのたったの一言でやめてしまう程度のことで、人が人を傷つける。傷つけられる。殺す。殺される。
人の生命は軽い、と石七は厭いとわしく感じた。
ぼんやりと。
目に見える世界はどこまでも気まぐれで虚で冷たかった。
* *
権力を嘲笑するように自由に振る舞う阿修羅丸に対して、盗みに役立つ情報を多くの社会の下層に押し込められた女たちがすすんで提供した。
もしも、そんな女たちの中に、阿修羅丸とその直属の配下の超人的な男たちと対等の仲間として活躍できる美しく賢い女が誰か一人でもいたら、彼女たちの心はどんなに慰められただろう!
京女郎の岩八。
その正体は淋しい時代の夢想であった。




