第三十回 鷲津六郎と鷲津七郎の母の真柴は自害す
絵草子『白縫物語』における亀谷多門之助光行の白木ヶ淵の巨亀退治。
蔭澤夏之丞は、博多の代官である明石四郎兵衛付の近習である。
近習とは要人警護である。
この頃、阿修羅丸なる盗賊が亀屋の屋敷を狙っているという噂がある。夏之丞は亀屋の屋敷の向かいの家に詰めるように命じられた。
亀屋は筆頭家老の栗山家の出入りの商人。博多で評判の白縫大尽の世話をしているという。白縫はあの定田村風見の妾腹の異母兄だという。
┅┅白縫さまとお会いできたら、風見さまが今どうなさっておられるかお聞きしたいだ。
そんなのんきなことも考えていた。
* *
事件は深夜になって起きた。
相役(同僚)の鷲津六郎正時と鷲津七郎正良の兄弟とともに、夏之丞が見回りのために家の外に出たところ、怪しい二人組の人影が見えた。
「おい、こら、貴様、何をしておる?」
「その方たちは何者だ!」
六郎と七郎の鷲津兄弟が誰何すると、
二人組のうちの一人がこちらを振り向いた。
月光に照らされた顔を見て、
┅┅あッ!
夏之丞は声を上げそうになった。
それは、先日に手配書で見た顔。
阿修羅丸の配下の一人、白木ヶ淵の巨亀という男であった。
無防備に巨亀に近づいていった七郎が殴り倒された。起きあがろうとしたところを巨亀の連れに短刀で足を刺された。
苦悶の声をあげて七郎は地面に倒れたままもがき苦しんだ。
短刀で七郎を刺したのは、これもまた、阿修羅丸の配下の一人、間津田の連九郎。
六郎、恐怖のあまり、固まった。
夏之丞と言えば、刀を抜くことができた。大屯岩太牢らと京でやりあった件のとき、刀を抜けなかった。つい先ほども、鷲津兄弟からも笑いのタネにされていた。同じあやまちを繰り返さない。
動けない六郎に向かって、短刀を振り上げて、連九郎が走った。その背中に夏之丞は刃を振った。
悲鳴をあげながら、連九郎は振り向いた。
無我夢中。
飛び込んで夏之丞は刀を振り下ろした。相手の顎の骨に届いた。痛みに耐えきれず、連九郎は引っ繰り返る。
そこに、巨亀が刀を持って飛び込んでくる。夏之丞は刀で受けた。鍔迫り合い。
巨亀という男、亀のような体躯。低い姿勢でぐいぐい押し込んでくる。
ドンと夏之丞の身体は梨の木に叩きつけられた。
飛び下がって巨亀は崩れた姿勢の夏之丞を斬ろうとする。
┅┅殺される。
そう夏之丞が思った瞬間、鉄砲の音が響いた。頭の上半分を失って巨亀は引っ繰り返った。
* *
後でわかったことであるが、鉄砲を撃ったのは亀屋の主人である亀屋多門之助。
二階から撃ったという。
もとは武士。
栗山卜庵の家来である亀谷多門之助光行。
商人となったが、用心鉄砲としての鉄砲所持の許しを受けていた。
昨年から腰抜けと藩内で笑い者であった夏之丞は、この度は刀を抜いて、間津田の連九郎の顎を割って捕らえた。
問題とされたのは、鷲津兄弟。
人々から「鷲津の兄弟は蔭澤夏之丞にすら劣る」と言われ、その母親の真柴は恥ずかしさのあまり縊首した。




