第十四回 虎石力松が小柄を投げて乱心者を斃す
気を失っていた大屯岩太牢が突如に跳ね起きた。
岩太牢の存在をみんな忘れていた。
福岡藩の重鎮と言うべき栗山卜庵が、突如として姿を示し、鳥山秋千代と定村かなめを闘わせたからであった。
鳥山秋千代と定村かなめの試合の邪魔にならないように、雑に境内の隅の木陰に運ばれたまま、岩太牢は放置されていた。
起きあがったばかりの岩太牢は狂っていた。
絶対に勝てるだろうと踏んでいた試合に負けたことで心が壊れたのやもしれない。
おのれの心を現実につなぐために確実に勝てる弱い者を傷つけるしか手段方法を見出せないという者は相当に多い。
「馬鹿にするな」
とか、
「俺はえらい」
とか、
「殺す」
とか、言いながら、岩太牢は我を忘れて周囲に拳を振るった。
殴りつけられた者たちがバタバタ吹き飛んでいく。
見物衆たちは口々に救いを求めた。
「お助け」
「倒れた奴が息しておらぬ」
「医者を」
* *
卜庵老人が連れてきた子飼いの忍者たちの中で、いち早く動いたのが力松だった。
虎石力松。
齢はまだ十を超えたばかり。
秋千代よりも年少。
かなめとの木刀試合には周囲の年長者に遠慮して手を挙げなかった。
しかし、秋千代が福岡忍者の矜持と執念で格上の敵を相手に食い下がる姿を見せられて、力松の幼い心も燃えた。
自分にも機会があれば、と。
力松は逃げまどう人込みをすり抜けて近づいて小柄を投げた。
狙い過たず命中。
小柄は大屯岩太牢の喉笛に見事に突き刺さった。
* *
この時代の普通の武家の常識として、力松は褒められるべきである、
余計な事情があって、今回は話がややこしくなった
向陽上人が騒ぎ出した。
「わしの寺の境内で人殺しなど、わしが許さん、許さんですよ。大和法隆寺勅大僧正の向陽は朝廷から中納言に準じる法印の官位をいただいておる身であります」
「それは上人に申し訳なく思いますが、わしの連れてきた子どもがやらなかったら、あの気狂いに殴られて罪のない見物衆から死人が出ておったやもしれません」
実際に見物衆から死人が二人ほど出ているのだが、この時には卜庵老人も知らず。
向陽上人も知らず。
「いきなり殺すような乱暴をしなくても、あの男を取り押さえる方法があったはずですじゃ」
他の方法。
やらない者が口を挟むのであれば、やる者を納得させるだけの内容を口にしなければならない。
人の世に慎みが必要ではないのか?
さもなければ、やる者に対する悪口の歯止めがなくなり、自ら進んでやる者がいなくなってしまう。
棺桶に片足を突っ込む年齢になっても、その程度のことがわからないまま、肩書きだけを振り回す大人子ども。
意外な者が口を挟んできた。
「私は困りました」
安養寺の美しすぎる寺小姓、定村かなめであった。本当に困った顔をしていた。
卜庵老人は問う。
「何故?」
かなめは語る。
「実を申しますと、あの大屯岩太牢という男、昨年に京で定村種時という陰陽師を殺して、定村の家伝の重器である花形の明鏡を奪った悪党なのです。
今さら何を隠しましょう。私は定村種時の妾の子、名を白縫数真と申します。種時の正妻の子である異母妹の定村風見に頼まれまして、向陽上人の御助力を得て、岩太牢のことを追っていました」
花形の明鏡。
定村種時という陰陽師。
風見。
そこまで聞いて、卜庵老人は何かを思い出したという様子。
「そう言えば、昨年に黒田の家中の雪岡なる者が京で賊を二人切って定村なる陰陽師の姫を救ったという話を聞いておる、確か、その時に逃げた賊もいて、大切な鏡が失われたとか」
かなめは言った。
「黒田の家中の皆さまには、お世話になった、と風見も申しておりました。
岩太牢が死んだことで、父の無念が晴れたかたちになりますが、花形の明鏡を取り返すための手がかりの糸が途絶えてしまいました」




