第一回 大屯岩太牢は朝廷の陰陽師を殺しけり
大阪の夏の陣が終わり、戦国時代は幕を閉じた。
それから、七年ほど経過して、元和九年(一六二三年)。
元和十年の二月には有名な寛永年間に入る。
寛永とは、「寛容で広い世の中がいつまでも続くようにしてほしい」という意味である。
朝廷から提示された八つの候補のうち、江戸幕府が選んだ寛永・享明・貞正の三候補から、朝廷によって寛永の年号が選ばれた。
この物語は、朝廷のある京都から始まる。
当時の朝廷には、貴族として陰陽師の官職がある。
長く勤めた父の定村種時の跡を継いだ定村種春の官位は、正七位下であった。
七位よりも下に官位はない。
陰陽師の種春は、下級貴族である。
ただの父である定村種時は、従五位下までのぼりつめている。
長く勤めたということもあるが、そこまでの出世が許されたということは、定村は陰陽師としては相当の家柄であったことを示す。
とはいうものの、時節柄、京都の朝廷の貴族は基本的に金がない。
従五位下の看板がある陰陽師、種時の頃にはあちらこちらから仕事が回ってきたが、正七位下の看板しかない種春にはまるで仕事がまわってこなかった。
種時が生きていた頃の暮らしを続けられないと思った種春は、下人の数も五人までに減らした。あまり治安のよくない区域の小さな家に移り住むことにした。
そこに現れたのは、大屯岩太牢という武芸者あがりの陰陽師である。
「頼もう」
名前のごとく、岩を重ねたような厚みのある肉体に、天狗も打ち倒さんというばかりの面魂。
宇壺箭九郎と荒金太刀蔵という二人の弟子を引き連れて、岩太牢は種春の家に押し掛けた。
岩太牢が言う。
「おっさん、お前、隠居しろ。俺が定村の家の婿になって、俺が定村の名前と官位をもらって、俺の能力を活かすのが世のため人のためというものよ。わかったか?」
種春はキャンキャンと吠えた。
「無礼な!」
「お前の親父殿は偉い陰陽師だったそうだな。花形の明鏡とかいって、妖魔を退治できる凄い鏡がこの家にあると聞く。それ、寄越せよ、俺に」
花形の明鏡。
かの『白縫物語』でも出てくる伝説のアイテムである。
陰陽師としては定村家はそれなりの名門。
しかし、名門といっても、しょせん地下家の技能職の陰陽師である。
殿上家の家柄ですら暮らし向きに困るという時代、定村家には護衛を常雇いするほど富貴ではなかった。
だからこそ、大屯岩太牢のような男がやってくる
「官位もお前の娘も貰ってやる」
定村種春の娘の名前は、風見。
年齢の頃は、数えで十六才。
細身の長身の美人。
名高い陰陽師としての種時の霊力は、子の種春よりも孫の風見に伝わったようで、時折に他人が考えていることが映像として頭に入ってくることがある。
おかげで、殿上人の姫君に優るとも劣らない知識・礼儀作法を身につけていた。
若くして死んだ愛妻の忘れ形見。
こいつを上手く使えば、わが身の栄達の糸口になるやもしれぬ、と定村種春という男は、軍備に金をかけることなく、娘の教育と福祉に金をつぎこんだ。
岩太牢は言う。
「評判になるだけあって、お前の娘は本当に清らかで艶やかよ。宵闇にほの白く咲く夕顔の花とでも言おうかのう? この手で散らしてやりたいわい。えらく男心をそそりよる。これが京の都のお姫さまかよ、と。今すぐにでも下に組み敷いて、ひいひい哭かせてやりたいわい」
悔しそうな表情を種春は見せる。
「下衆め」
「落ち着け。ただとは言わぬわい。おっさんにも、手土産をやろう」
岩太牢は袱紗をから小さな紙包を取り出して開いてみせた。
中には、白い粉が入っている。
「これは、俺が作った霊験あらたかな霊薬じゃ。これを飲ませれば、どんな女だって、濡れてくるぞ。他人からの悩みを聞く陰陽師の生業と組み合わせて使えば商売繁盛は疑いなし」
ふざけているつもりは岩太牢にはない。
心からの親切。
他人の個人的悩みの相談を受ける商売の者が悩みを発散させる薬物を売る。
そのビジネスモデルの旨味を理解するためには、貴族の定村の家名に誇りを持つ種春はあまりにも雅すぎた。
「無礼者どもめ! 去れ、この痴れ者が! 消え失せい!」
高圧的な態度の狂態。
慣れた者からすれば、「私は争いに慣れていない安物です」と自己紹介されたような心地になる。
他人の目がなければ笑って流せる。
しかし、弟子たちの目があった。
安物に馬鹿にされて黙っていれば、岩太牢自身の面子が立たなくなってしまう。
面倒くさくはあったが仕方なく岩太牢は殴りつけた。
「うるさい」
殴られた種春は一撃で引っ繰り返って動かなくなった。
岩太牢が続ける。
「さあ、早く娘を連れて来い。今日から、俺はお前の家の婿だ。お前の娘のことは、これから、毎日のように可愛がってやるぞ」
返事がない。
ただの屍のようだ。
定村風見は、『白縫物語』の薊から字を変えています。