美少女名探偵☆雪獅子炎華(10) オデュッセウスの矢
☆1☆
弓道部の大会が一週間後に迫った雪のちらつく早朝、埼玉県大宮市、紫穂宮高校の弓道部員、百合静江は、誰もいない弓道場に一人立ち、矢をつがえて弓を引き絞る。
弓道大会出場メンバーに一年生ながら大抜擢され、高揚感とは裏腹に、押しつぶされそうなプレッシャーを感じる日々。
百合静江は弓術に関する卓越した技巧の持ち主だが、実はプレッシャーに弱いチキンである。
今もプレッシャーと戦いながら、歯を食い縛って的を睨みつける。
レギュラー入りから毎朝、ずっと欠かさず早朝の朝練をかさね、チキンな迷いを断つ根性を身に付けようと努力したが、空回りばかりでチキンな性格は治らない。むしろプレッシャーは増すばかりだ。ドツボにはまった百合静江は、プレッシャーの泥沼の中でもがき苦しみながら、この悪循環から逃れようと必死だ。全ては無駄な努力だが。
チキンはチキンである。
顧問の教師はノホホンと、まあ、なんとかなるだろう。
ぐらいに適当に軽く考えていた。
極めてお役所仕事的な、お気楽な性格である。
本当は教師の仕事だけで手一杯なのである。
部活の顧問など初めから真面目にヤル気などなかった。
弓道に命をかけている百合静江とは、不幸な星の巡り合わせとしかいいようがない。
それでも、弓を構え、矢を引き絞るその一瞬だけは、全ての雑念から解放され、心が一つに研ぎ澄まされる。
射場から的場までの矢道は外に面している。
昨夜降った雪が、うず高く積もっている。
矢が外に飛び出さないよう、目の細かい網のネットが左右に並び、的場の先、荒川側にもネットが張られている。
ひっそりと静まり返る弓道場。
板敷きの床は底冷えする真冬の風にさらされ、氷のように冷たい。
吐く息が目の前を白く曇らせる。
ピンと張り詰めた弓の弦を引き絞り、一点集中、百合静江は矢を放つ。
いや、放とうとしたが、その瞬間、弓を持つ左手に強い衝撃が走る。
百合静江の放った矢はあらぬ方向へ飛翔し、百合静江は何者かに矢で射られた事に気づく。
その場で痺れたように痛む左手を押さえ、素早く周囲に目をこらす。
が、折れた防護カバーつき矢じりのほか、犯人の姿は影も形も見えない。
左手の激痛をこらえながら、百合静江は犯人探しをあきらめ、左手を手当てするために保健室へ向かった。
☆2☆
これが今回、炎華が鬼頭警部から受け取ったメールのあらましである。
百合静江という女子高生は、鬼頭警部の娘の友達で、メールは次のように続く、
『なんとしても娘の友達を傷つけた犯人を捕まえて欲しいのだ! たのむのだ! ゴスロリ美少女名探偵! 雪獅子炎華くん!』
と、熱っ苦しい文章満載である。
メールを読み終えた炎華が小さな肩をすくめ、
「鬼頭警部の娘の友達が事件に巻き込まれたんじゃ、引き受けないわけにはいかないわね。ユキニャン」
「ニャウンッ!」
我輩は首肯する。
我輩は飼い猫である。
名前は、
ユキニャン。
探偵であるゴスロリ少女、雪獅子炎華の相棒を務め、探偵の真似事をしている猫探偵である。
☆3☆
炎華が赤羽駅で埼京線へ乗り換える。
快速・大宮行きに乗れば、赤羽駅から大宮駅まで二十分ほどで到着する。
電車が来るまで炎華が駅のホームをブラブラ歩くと、
《あかばね病院》の看板が目に入る。
他の看板との間は縦長の窓ガラスで仕切られている。
なにげなく看板横の窓から外を覗くと、立派な病院が建っている。
ビルの屋上には《あかばね病院》と、大きな看板が掲げてある。
炎華が病院について、
「《あかばね病院》は地域密着型の病人に優しい大型病院よ。赤羽台にあるから、団地住まいの人もよく利用するわ。東大病院みたいに、病人を病人とも思わない、ベルトコンベアー式の流れ作業的な診察は絶対にしないから、安心して信頼出来る数少ない病院の一つよ」
「フニャン」
我輩は適当に相槌を打つ。
駅のホームの中央に下へ降りるエスカレーターがある。
炎華がエスカレーターをながめ、
「まだ、大宮行きの快速電車は来ないから、駅構内のショッピングモール、エキュートを見に行きましょうか、ユキニャン」
「ニャニャン」
我輩は弾んだ調子で鳴く。
どうやら朝ごはんにありつけそうである。
エキュートの店内に並ぶスイーツを覗いた炎華が、色とりどりのマカロンを目にして迷わず購入。
六個で一箱千六百円、高価なお菓子である。
炎華が万札を取り出して三箱購入した。
一箱に六個しかないマカロンでは、食欲旺盛な育ち盛りの少女と我輩の胃袋を満たすには少々足りないのである。
炎華はマカロンを片手に、他の店も物色する。
手作りパン屋で新作ピーチ・メロンパン、一個六百円を二つ購入し、つでにサンドイッチ専門店で一袋千円のサーモン・サンドを購入。
デザートのリンゴも購入し、その後、やっと到着した大宮行きの快速電車に優雅に乗り込む。
都心とは逆方向なので、早朝のラッシュアワー帯だが、比較的、車内は空いている。
大量のお菓子とパンとサンドイッチを手にしたゴスロリ少女と黒猫の組み合わせは、その中でも、かなりシュールで珍しい珍客として、乗客の注目を少なからず集める。
プアァーン! と、ラッパのような音を鳴らし、埼京線・快速・大宮行きが赤羽駅を出発する。
赤羽駅を出ると、すぐに赤羽台の下に掘られたトンネルに突入。
ゴウンゴウンと耳障りな音がしばらく続く。
トンネルを抜けると、そこは北赤羽駅だった。
北赤羽駅は荒川の用水路の上に建てられた珍しい駅である。
南北にしか出入口がないのでホームは広々としている。
快速なのでモチロンそんな小さな駅は軽くすっ飛ばす。
一路、大宮駅を目指し荒川を越える。
鉄橋をガタンゴトンと揺らす音を聞きながら、なにげなく我輩が河川敷に目を向けると、そこには、この世にあり得べからざる、世にも恐ろしい光景が開がっている。
我輩は時折、散歩のため、この河川敷まで足を伸ばす事がある。
五年前に散歩した時は、ゼネコンのトラック数十台が半年がかりで、都内の河川敷の土砂を、埼玉の河川敷へ運んでいた。
ところが、どうであろう! 今日はその逆に、埼玉の河川敷にある土砂を、都内の河川敷へ運び直しているではないか! 五年前、半年がかりで行った土砂の移動、河川敷の整備工事は、いったい何だったのだろうか? 夢か幻かゼネコンか? しかも! この界隈に住む老猫から聞いた話によると、十年前はこの真逆、埼玉から都内へ河川敷の土砂を運んでいたという! 我輩は老猫の話を思い出した途端、背筋に絶対零度まで凍りつくような薄ら寒さを覚える。
まさしく、五年ごとに都内と埼玉を土砂が行ったり来たり、ゼネコンによる無限ループ河川敷・整備工事である! 決して終わる事のない、人知れず行われる、この無駄な工事に、一体誰か気づくであろうか? いや誰も気づかない! 猫だけが知っている衝撃の事実である! ちなみに、老猫は足立区の荒川、五色桜大橋付近に生息し、そこでも無駄な工事が行われていると嘆く。
それは、中腹建設と足立区役所の職員が結託して行っている、巨大・坂道工事である。
老猫の話によると、十年前、せっかく完成した坂道を、一度も使わずに封鎖し、その五年後に壊した。
なのに、その五年後、平成も終わろうという最近になって、また、坂道工事を始めたという! 恐らく、新たに坂道が完成しても一度も使う事なく、数年後にまた壊すのであろうが……。
それはともかく、すでにエキュートで買った食料を食べ終えた炎華は、ガタゴトと小刻みに揺れる心地よい電車の振動と暖房の効きすぎで、眠気をもよおしたのか、ウトウトと居眠りをはじめる。
ちなみに我輩も炎華同様、夢の中の住人と化した。
「スヤスヤ、ニャーウ」
☆4☆
「……ユキニャン……」
夢の中をさ迷っていた我輩の耳元に、天使のような、可憐で美しい声が響く。
「困ったわね、ユキニャン。寝過ごしてウッカリ乗り過ごしたみたいよ」
覚醒した我輩が目をパッチリ開くと、炎華が困惑した表情を浮かべ、ホームに立ち尽くしている。
「ウニャン?」
我輩が周囲を見回すと、また赤羽駅に戻ったのだろうか? 赤羽駅を出発する時に見た《あかばね病院》の看板が目に入る。
我輩が《あかばね病院》の看板を猫パンチで示し、
「ニャニャ、ニャー、ニャーン?」
『赤羽駅じゃないのか?』
と鳴くと。
炎華が微笑を浮かべ、
「間違えては駄目よ、ユキニャン。この駅は最近出来たばかりの
《赤骨駅》
よ。大宮駅の先に出来た新しい駅よ。私たちは一駅乗り過ごしたの。あの看板は《あかぼね病院》。
《ば》
じゃなくて、
《ぼ》
よ。たぶん、同じ広告会社が、同じデザインを使い回しているのね。確かに《あかばね病院》の看板と、まったく同じに見えるから、間違えるのも無理はないわね。広告会社も経費削減の為に必死なのよ。自公党は景気が良くなった。イザナミ景気より長い好景気が続いている。と、大宣伝しているけど、成長率はイザナミ景気の十分の一。つまり、まったく変化はないのよ。実際に景気が良いのは、日銀の金融緩和による円安で儲けた自動車会社と、自公党がオリンピック事業の名目で行う公共事業を一手に引き受けたゼネコン。それに、国の借金、財政赤字が一千兆円を超えているのに、知らん顔して年に二回のボーナス、さらに二回の一時金、つまりボーナスを年に四回もらって、しかも最低賃金の何倍も高い給料をもらう、国賊の国家公務員だけよ。中小企業は今もリーマン・ショック同様、平成大不況の厳しい経営状況の中、借金まみれの火の車状態が続いているの。分かった? ユキニャン?」
「ニャフフ、ニャッフンッ!」
『なるほど納得』
と我輩は鳴く。
丁度、反対車線に大宮行きの電車が来るので、炎華と一緒に乗り込み、三分後、やっと大宮駅に到着する。
大宮駅から紫穂宮高校までは歩いて五分だ。
☆5☆
紫穂宮高校は荒川の南側に建っている。
古風な木造の旧校舎と最新の新校舎を複合した、どこか懐かしい、昭和の薫り漂う、歴史ある由緒正しい高校である。
爽やかな朝の空気の中、通学路をそぞろ歩く生徒達。
彼らの制服も、どこか古めかしい、古き良き時代の懐かしいデザインで、昭和の時代にタイムスリップしたような、不思議な気分に浸れる。
炎華が紫穂宮高校の古びた校門の前に到着すると、二人の女子高生が白い息を吐きながら声をかけてくる。
女子高生の一人は小柄で華奢な少女。
左手に包帯を巻いているので、恐らく事件の被害者である百合静江だろう。
もう一人は背の高い少女で、その少女が炎華に対し口火を切る。
「ふはっはっはっ! 鬼頭警部キモいりの名探偵というから、もっと凄い名探偵を想像していたのだが、なんのことはない、ただの子供ではないか! こんな子供に何が出来るというのだ! 期待して損したな! はっはっはっ!」
実に失礼極まりない言い草である。
長身の少女が艶やかな長いポニーテールの黒髪を揺らし大笑いする。
こんな馬鹿笑いをしなければ、稀代の大和撫子として十分通じるだけの器量を持つ美しい少女なのだが……残念美少女である。
長身の少女に対し、包帯を巻いた小柄な少女は、愛嬌のある丸顔、垂れ目がちな大きな瞳、極太フレームの丸メガネ、髪は大きく結んだ三つ編み。
と、どこかドンくさい少女である。
ドンくさい少女が三つ編みをユサユサ神経質に揺らしながら、泣きそうな顔で、涙ながらに長身の少女に訴える。
「黒薔薇弓子部長! いくらなんでも言い過ぎですの! この子は警察も解決出来ない数々の難事件を、いくつも解決してきた天才少女ですの! さ、殺人事件も解決したという話ですの! で、ですから、物スッゴ~イ、ゴスロリ美少女名探偵ですの!」
黒薔薇弓子の切れ長の瞳がキラーン! と光る。
炎華を不倶戴天の敵のように冷ややかな目で見つめ直し、
「ほほう! 私には黒猫を抱えた、ただのフリルとレースを満載した可愛らしい黒いドレスを着たゴスロリ美少女にしか見えないがね。あえて言わせてもらえば! 人間離れした天使のような究極のゴスロリ美少女! といったところだね、百合静江君!」
残念美少女に言われても炎華は嬉しくなさそうである。
小柄な少女、百合静江が、
「人を見た目で判断するのは失礼ですの!」百合静江が我輩と炎華に向かって頭をペコリと下げ「ようこそ! 雪獅子……え~と……」
炎華が名乗る、
「雪獅子炎華……探偵よ。この子はユキニャン」
我輩も名乗る、
「ウニャニャン!」
百合静江が態度を改め、
「あらためて、よろしくですの、炎華ちゃんに、ユキニャンちゃん! あたしは百合静江と言いますの。それと、不肖の弓道部・部長、黒薔薇弓子部長ですの」
黒薔薇弓子が仏頂面で口を尖らせ、
「誰が不肖の部長なのかね? 静江君? こんな素敵すぎる部長を捕まえて」
百合静江が、
「こんな感じの残念に素敵すぎる部長ですの。勘弁してあげて下さいですの。ところで、どうしますの? やっぱり、事件現場から捜査を始めますの?」
炎華が思案し、我輩につぶやく。
「そうね、まずは事件現場に行ってみるべきよね、ユキニャン」
「ウニャン!」
我輩は炎華に同意する。
百合静江が我が意を得たりとばかりに歩き出し、
「それでは、事件現場の弓道場を案内しますの。旧校舎の裏手にありますの。弓道場自体はとても古い建物ですの。でも、荒川に面していて、とっても風情がありますの」
「それはボロ道場という意味だよ、静江君! あっはっはっ!」
黒薔薇弓子が豪快に笑う。
どうやら、前途多難な捜査になりそうな予感である。
我輩はタメ息を漏らす。
「ウニャッフ」
☆6☆
ガタピシと悲鳴をあげる古い扉を開け、ギーギー軋る床を鳴らし、我輩たちは弓道場に入る。
冷やりとする板敷の床。
矢道に面した外から、冷たい北風が容赦なく吹きつけてくる。
事件前後に雪が降ったせいで、余計に寒さに拍車がかかる。
矢道の先は的場があり、丸い的が横一列に並んでいる。
的場の先は広大な荒川が広がっている。
雪に覆われた河川敷である。
冷え切った川風が道場に入り込む道理である。
我輩は家に帰ってコタツで丸くなりたい。
猫はコタツで丸くなる生き物である。
総毛立つ我輩と裏腹に、黒薔薇弓子は元気溌剌、生き生きとした表情で、
「今日は少しも寒くない、良い弓道日和だな!」と、狂ったようなことを言う。なぜか弓道着の袴に着替え、弓道の所作を華麗にこなし、弓を構える。「確か、このあたりで、こんな風に弓を構えたのだね、静江君。間違いないだろうね?」
百合静江も寒さを微塵も感じさせない顔つきで、
「ええ部長、間違いないですの」
炎華が百合静江の包帯を巻いた手をながめ、
「傷の具合はどうなのかしら?」
百合静江が一瞬キョトンとし、ハッとしたように我に返る。
「え? ええ! もう大丈夫ですの! 痛みはありませんですの。幸い、骨にヒビが入っただけですの」
炎華が胡乱げに、
「左手を矢で貫かれたのではなかったの?」
百合静江が慌てて、
「ち、違いますですの! ぼ、防護カバー付きの矢ですの、突き刺さるわけがないですの!」
「ふ~ん、そうなの」
炎華が納得し、
「それじゃ、もう一つ聞きたいわ。肝心の矢は、どの方角から飛んできたの?」
百合静江が包帯をさすりながら、
「ええと、と、とっさのことで、どこから飛んできたのか、全然分からないですの」
炎華が小首を傾げ、
「仕方がないわね。ところで、矢はその後どうなったのかしら? 犯人の痕跡が残ってるかもしれないわ」
百合静江が、
「矢は当たった瞬間に折れて、先端の矢じりは床板に落ちたはずですの。でも、保健室から戻って来たら、なくなっていたんですの」
炎華が眉をしかめ、
「折れた矢じりがなくなった? 犯人が持ち去った可能性があるわね。万が一にも犯人の痕跡が残っていたら、犯人は困るものね。でも、弓矢の矢が、そんなに簡単に折れる物かしら?」
百合静江が、
「骨にヒビが入るぐらいだから、古い矢だと、衝撃で折れるかもしれないですの」
炎華が腕組みし、
「そんな物かしら? 後端の矢羽のほうは、どうなったのかしら?」
百合静江が、
「後端の矢は当たった直後から見ていないですの」
炎華が、
「犯人が持ち去ったか、外に落ちて雪に埋もれたか、どちらかね。ところで、事件の事は警察に届けたのかしら?」
百合静江が動揺し、
「そ、そそ、そんな! 大した事件じゃないですの! し、親しい友人にしか、話してないですの!」
挙動不審な百合静江を炎華が一瞥し、
「そう、それで、私に話がフラれたってわけね」
次に炎華は弓道場の周囲を見回す。
板敷の射場の右端に、大きな壺が置いてある。
炎華が壺を指差し、
「あれは何かしら?」
黒薔薇弓子がドヤ顔で、
「あっはっは、あれは壺というのだよ、小さな探偵さん」
炎華が瞳を細め黒薔薇弓子を睨む。
「違うわ、何のために置いてあるのか? と、聞いているのよ」
「うむ、単なる飾りだと思うぞ!」
我輩は黒薔薇弓子は相当な脳足りんだと確信する。
百合静江がフォローする。
「あ! あれは、弓道部の初代部長から寄贈された、安土桃山時代の名工が造ったという、いわくつきの壺ですの。お金に換算すると、億単位の値段が付くそうですの、とんでもない高価な壺ですの!」
黒薔薇弓子が快活に、
「そうか! 今度、鑑定団に鑑定してもらいたまえ、静江君! あっはっは!」
炎華が我輩の頭をなで、
「まあ、壺の値段はどうでもいいわ。それより、寒いけど、少し外に出るわよ、ユキニャン」
えっ! マジで!? この寒いのに? と我輩は胸の内で大いに嘆く。
木枯らしがビュービュー吹きすさぶなか、炎華の吐く白い息が長くたなびく。
踏み荒らされていない純白の雪の中を、炎華が的場まで歩く。
弓道場の左右は矢が外に出ないよう、高さ五メートルの緑色のネットが張られている。
網目は五ミリほどで、事件前後に降った雪に半ばおおわれている。
丸い的の背後に板張りの壁があり、その背後もネットが張られている。
その先は荒川の河川敷だ。
炎華が的の前に立ち、ポシェットの中から真っ赤なリンゴを取り出す。
デザートとして赤羽駅のエキュートで購入したリンゴだ。
それを炎華が頭の上にチョコンと乗せる。
炎華が黒薔薇弓子に目配せし、
「このリンゴを弓で撃ってちょうだい」
一瞬、何のことか分からず、唖然とする黒薔薇弓子と百合静江。
やや間を置いて、黒薔薇弓子がしたり顔で、
「うっふふ、つまり君は、ウィリアムテルをやりたい、と。こういう事かね? 小さな探偵さん」
炎華が落ち着いた口調で、
「少し、あなたの腕前が見たくなったのよ。子供らしい、ちょっとした思いつきでね。ねえ、ユキニャン」
「ウニャン!」
我輩は炎華に同意する。
黒薔薇弓子が傲然と弓矢を構え、
「怖いもの知らずの小さな探偵さん。ケガをしても知らないよ」
言いながら弓を引き絞る。
百合静江が慌てて止めに入り、
「部長! やめてくださいですの! 本当にケガさせたら、どうするんですの!」
黒薔薇弓子がニヤリと不敵な笑みを浮かべ、
「おやおや、静江君。君は私の腕を、よほど信用していないと見えるね」
百合静江が金切り声で、
「信用しているとか、していないとか、そういう問題じゃないですの。危ないからやめてくださいって、言ってるんですの!」
黒薔薇弓子が笑顔で、
「まあ、万が一当たったとしても、矢の先には保護カバーが付いているから、たいしたことはあるまい」
「たいしたことある! ですのっ!」
炎華が待ちくたびれたように、
「そろそろ始めてくれないかしら? いい加減、待ちくたびれたわ」
黒薔薇弓子がジト目で、
「ほら、小さな探偵さんも、ああ言ってることだし、外野は引っ込んだ、引っ込んだ」
百合静江をシッシッと邪険に弓で追い払う。
百合静江があきらめた顔つきで嘆息する。
黒薔薇弓子が仕切り直す。
姿勢を正し、炎華を射抜くような鋭い視線で見つめる。
黙って立っていれば百合の花のように美しい少女である。
弓が引き絞られ、鋭い呼気とともに矢を放つ。
矢は数十メートルを一気に駆け抜け、見事、炎華の頭上のリンゴを射ち抜く。
☆7☆
雪の上に落ちた真っ赤なリンゴを炎華が拾い上げ、戻りながら周囲を観察する。
途中で立ち止まると、
「見ての通り、この弓道場の周囲にはネットが張られているわ。だから、外から防護カバーのついた矢を射るのは、防護カバーがネットの網目に引っかかって無理。しかも、ネットの半分は雪でおおわれていて見通しがきかない」
黒薔薇弓子が面白そうに、
「ほほう! となると、内部の人間の犯行かな? 小さな探偵さん」
黒薔薇弓子が弓を高く構え、
「だが、弓というのは、こんな射ち方も出来るのだよ」
言うなり空めがけて素早く矢を射る。
青空に吸い込まれたかと思われる矢は、再び地上に舞い戻り、見事、的に当たって小気味良い音を響かせる。
炎華が片眉を吊り上げ、
「ネットの外から狙えるかしら? 弓道場の外から標的を狙うには、半分雪におおわれた高いネット越しになるわ。盲目射ちもいいところよね」
黒薔薇弓子が弓の先で百合静江を指し示し、
「普段から静江君を観察している人間なら、彼女の姿が見えなくても、おおよその立ち位置や所作は分かるはずだ。実際問題として、静江君は矢がどこから飛んできたか分からない。と、自分でそう言っている。となると、外からネットを越えて矢が飛んできた可能性がある」
百合静江が黒薔薇弓子のネットの外、外部犯説に同調し、
「あ、あたしも部長の意見に賛成ですの。もしかしたら犯人は、あたしが弓を射つ時の立ち位置とか、身体的特徴、癖とかを良く把握していて、荒川のほうか、左右のネットの上を越えて、矢を射たのではないかと思いますの」
炎華が薔薇色の唇に微苦笑を浮かべ、
「そんな盲目射ちが当たるなら、超一流のスナイパー、ゴルゴも形無しね。ネットの上を越えて矢を射る可能性は万に一つもないわ」
百合静江が上ずった声で、
「で、でも、ぜ、ゼロではないんでしょう?」
百合静江は自分の意見を貫こうと必死だ。
なぜ静江は外部犯説にこだわるのか? 炎華が鋭く静江を一瞥し、
「ゼロではないかもしれないけど限りなくゼロに近いわね」炎華が端正な唇の端を少し曲げ「それとも、弓道部と関係ない外部犯説の方が、静江にとって都合が良いという事かしら?」
百合静江が言いよどむ、
「そ、それは……その……」
黒薔薇弓子が会話に割り込み、静江を援護する。
「まあ、論より証拠。試しにやってみようではないか。なに、たいしたことじゃないさ。私が小さな探偵さんの頭の上のリンゴを撃ち落としたのを忘れたのかね? 見事、私が盲目射ちで犯行を再現しようではないか! あっはっはっ!」
いやいや盲目射ちって、危険である。
とっても危険である。炎華が嘆息し、
「仕方がないわね。じゃあ、その盲目射ちに付き合うわ」
と、あっさり同意する。
しかし、どうでも良いから、我輩は早くこの極寒地獄から抜け出したい気分である。
☆8☆
黒薔薇弓子が的場の背後、ネット裏で雪の隙間から百合静江の挙動をうかがう。
百合静江が矢を構えると、黒薔薇弓子が盲目射ちで矢を放つ。
空高く打ち上げた矢は、高いネットを軽々と飛び超え、百合静江目掛けて一直線に放物線を描く。
あわや直撃と思われた矢の進行に不測の事態が起きる。
荒川の強風が矢の軌道を変えたのだ。
真っ直ぐに飛んでいた矢は、あれよあれよという間に百合静江をそれ、右へ、右へと流されていく。
そして、悲劇は起きる。
ガッシャ~ンッッッ!!!
時価数億円の安土桃山時代の壺が、ものの見事に打ち砕かれた瞬間である。
百合静江が腰を抜かし、
「ああ~~~、な、なんて事を、た、大変ですの~~~、つ、壺が、時価数億円の壺があ~~~」
言うなり床板にへたり込む。
常に冷静な炎華も目を白黒させ、
「ま、まあ、この世に壊れない物はない、わよね。これも運命……よね」
さすがの炎華も歯切れが悪い。
ネット裏から戻った黒薔薇弓子はというと、
「うむ! なんとか接着剤で直せないものだろうか?」
と余裕の表情で破片をつなぎ合わせている。が、
「むっ! こっ! これは!?」
と一声叫ぶと、ようやく事態を理解したのか、顔色が真っ青になる。
心配した百合静江が、
「ど、どうしたんですの? 部長? まだ何か、これ以上の悲劇があるんですの?」
黒薔薇弓子が余裕の表情で、
「い、いや、何でもないのだ! 壊れた物は仕方がない! なので、記念に破片の一つでも、もらっておくとしよう! あっはっは!」
と言って、袴の袂に何やら仕舞い込む。
どうやら黒薔薇弓子はショックのあまり心が壊れたようである。
「ニャッショ!」
『合掌』
壺を尻目に我輩は庭に下りて左側のネットに進む。
半ば雪におおわれたネットの一部に、雪の欠けた小さな穴を、ウルトラ・キャッツ・アイズで見つけたのだ。
炎華が我輩の背後から近寄り、
「おかしな穴を見つけたわね、ユキニャン。ちょうど矢が通りそうだけど、防護カバーの付いた矢は無理ね。でも……そうね。矢を通せない事もないわ。簡単なトリックを使えばね。犯人は左側のネットの外から百合静江を射る事が可能よ。それに、さっきの、黒薔薇弓子の行動、どう考えてもおかしいわね」
「ウニャン!」
我輩が同意すると、炎華が不敵な笑みを浮かべ、弓道場へ戻る。
黒薔薇弓子と百合静江は、まだ壺破壊事件のショックから立ち直っていない。
炎華が二人に告げる。
「さてと、それじゃあ、静江を矢で射た犯人と、そのトリックの答え合わせをしましょうか」
炎華がサラリと言う一言に、二人がどよめく。
「なっ!? 犯人が分かったというのかね! 小さな探偵さん!」
「まっ、まさかですの、だ、誰が犯人なんですの? それに一体、どんなトリックを使ったと言うんですの?」
炎華が推理を披露する。
「トリックは解決済みよ。たいしたトリックじゃないわ。犯人は弓が上手くて、静江の弓の所作を良く知っている。その上で、盲目射ちも、ある程度は出来る人間よ。つまり」
炎華の視線が黒薔薇弓子を向き、
「黒薔薇弓子、あなたが犯人よ」
黒薔薇弓子が腕を組み炎華を見据える。
「小さな探偵さん。事と次第によっては子供でも容赦しないよ、よく分かったかね?」
炎華が挑むように、
「私の推理に間違いがあったら好きにしていいわ」
炎華の瞳は揺るがない。
黒薔薇弓子が肩をすくめ、
「いいだろう。その前に、私にはアリバイがあるのだ。これを見てもらおうか!」
黒薔薇弓子がスマホの自撮り写真を炎華に見せる。
そこには、全裸に近い水着姿の黒薔薇弓子が、渋谷ハチ公前で変テコなポーズを決めている姿が写っている。
黒薔薇弓子が赤面し、
「うむ、これは間違いだ。これだ、これ!」
そこには、バニーガール姿の黒薔薇弓子が、スカイツリーの下で変テコなポーズを決めている姿が写っている。
「う、うむ。これも間違いだ。あっはっは! これだ! この写真だ!」
そこには、赤羽駅構内の赤羽病院の広告の前で、
『あかばね』
の、
『ば』
の前に立ち、
『ば』
の横線と濁点に並行になるようて腕を上げ、変テコなポーズを決めている制服姿の黒薔薇弓子が写っている。
炎華は眉間にシワを寄せ、
「これも間違いではないの?」
黒薔薇弓子がしたり顔で、
「ムフフ、この写真が見せたかったのさ。この赤羽駅で撮った自撮り写真を良く見たまえ、右隣の男性のスマホに日付と時間が写っているだろう、見にくいかね? それでは拡大するぞ。この拡大した男性のスマホを見ると、事件当日の日付で時間は七時となっている。静江君、君が矢で射ぬかれた時間は、何時かね?」
百合静江が、
「え、え~と、たしか……七時十五分ほどですの」
黒薔薇弓子が破顔一笑し、
「はっはっは! 聞いたかね小さな探偵さん! 赤羽駅から大宮駅までは、快速でも二十分は掛かるのだよ! つまり、七時に赤羽駅にいた私が、七時十五分に犯行を行う事は不可能なのだよ!」
我輩は寒さをこらえ、再び矢道に出ると、雪の上に寝っ転がる。
雪の上は歩きまわった足跡があり、見た目、
『大』
の字に見える。
「ニャウンニャ」
『読んで』
と我輩は鳴く。
炎華が即座に我輩の意図を察し、
「漢字の『大』よね、ユキニャン」
我輩がその場をどくと、隠されていた右上の、
『濁点』
が現れる。
炎華が、
「なるほど、隠されていて分からなかったけど、本当は『犬』という字なのね、ユキニャン」
「ニャウン!」
我輩は肯定する。
炎華はすぐに黒薔薇弓子のアリバイ崩しにかかる。
「あなたの写真は、
『赤羽駅』
ではなく、大宮駅の一つ先に新しく出来た、
『赤骨駅』
で撮った写真ね。どちらの駅にも似たような病院の看板があるわ。だけど、
『あかぼね』
の、
『ぼ』
の前で、腕を上げて水平に伸ばし、変なポーズを決める事で、横線の上の線を隠して、
『ば』
に見えるよう細工したのよ。赤骨駅から大宮駅までは三分、大宮駅から紫穂宮高校までは五分。余裕で犯行が可能だわ」
黒薔薇弓子が動揺を隠さず、
「そ! そんな! で、でも、私が赤骨駅にいたという、証拠はあるのか!」
炎華が苦笑いし、
「朝の七時に変なポーズで自撮り写真を撮っている女子高生がいたら、さぞかし目立つでしょうね」
「うぐっ!」
「もしかしたら、監視カメラに映っているかもしれないし、巡回している国際バナナッツ警備保障の警備員に見られているかもしれないわ」
黒薔薇弓子がガックリとうなだれ、
「ば、バカな……わ、私のアリバイが、こうもあっさり崩されるとは……まあ、いい、一歩譲って、私が赤骨駅から紫穂宮高校に来たとして、どうやって静江君に矢を射るのかね? 周囲は網目が五ミリ以下の隙間しかない、五メートルの高さのネットに囲まれている。防護カバーの付いた矢は、網目に引っかかって射る事は出来ないのだ! それにネットの上を越して射る事は、さっきの実験で不可能だとわかっている! 弓道場の中から射ろうにも、扉や床は大きく軋むのだ! いくらドンくさい静江君でも、場内に人が入れば、すぐに気がつくはずだ!」
百合静江がドンくさい発言に対し涙目で、
「酷い言い草ですの~! 訂正してくださいですの!」
「うむ、言い過ぎた、スマン!」
黒薔薇弓子が笑って百合静江に謝罪する。
この道場は、ちょっとした密室である。
この事件は、外からも中からも矢を射る事が出来ない不可能犯罪である。
しかし、炎華の自信は揺るがない。
軽く嘆息したあと、
「トリックはすでに解決済みと言ったはずよ」
黒薔薇弓子が裂ぱくの気合いを放つ、
「ならば証明したまえ! 小さな探偵さん!」
炎華が淡々と、
「簡単な手品よ。まず矢を二つに切断する。先端の防護カバーの付いた矢じりを弓道場の矢道の内側から左のネットに差し込む。逆に、後端の矢羽は弓道場の外に持ち出す。左側のネットの外で、矢じりと矢羽の切断した切れ目に瞬間接着剤を塗って、元の矢になるようくっ付ける。接着剤が乾けば、防護カバーが付いていようと、ネットの外から弓道場内へ矢を射る事が可能よ。そもそも、どんなに古くても、矢はそう簡単に折れる物じゃないわ。切れ目を瞬間接着剤で無理矢理つなげたから、あっさり折れたのよ。それと、事件前後に降った雪のせいで矢は隠れるから、弓道場内にいる静江からは見えないわ」
黒薔薇弓子が感心したように、
「お見事! さすがだね、小さな探偵さん! しかし、君の推理は全て想像で証拠がないよ。残念だが……」
炎華が鋭く切り返す、
「証拠ならあるわ」
勝ち誇る黒薔薇弓子の頬が引きつる。
「ほ、ほう。では見せてもらおうではないか、その証拠とやらを」
雪獅子炎華の小さな唇が滑らかに動く。
「静江は矢が当たった瞬間『折れた』と言ったわ」
黒薔薇弓子が首をかしげ、
「ふむ、確か……そう、だったかな?」
炎華が瞳を細め、
「ところで、先端の矢じりはあったけど、後端の矢羽は、最初から、どこに飛んでいったか分からない。つまり、発見する事が出来なかった、と言ったわ」
黒薔薇弓子がうなづき、
「そんな事を言っていたな。それで? それがどうしたと言うのだ?」
炎華が続ける、
「後端の矢羽は静江に当たったあと折れて、思わぬ方向、思わぬ場所に飛んで行ったのよ」
黒薔薇弓子が少し動揺し、
「ほ、ほう! それはどこかね? 静江君が保健室へ行ったあと、犯人が回収したとも考えられるがね」
炎華が華奢な細首をたてに振り、
「ええ、そうよ。犯人は犯行後、回収したわ。少なくとも、先端の矢じりだけわね」
炎華が黒薔薇弓子を見つめる。
「まるで私が犯人みたいだね。うふふ!」
黒薔薇弓子が話を茶化そうとするが、炎華の推理は止まらない。
「折れた後端の矢羽は、偶然、壺の中に入ったのよ。事件の起きた朝、静江が保健室に行ったあと、あなたは折れた先端の矢じりを見つけた。当然それは回収して証拠隠滅した。だけど、後端の矢羽は見つからなかった。だから証拠隠滅をあきらめた。だけど、さっき壺を割ったあと、あなたは破片を調べているうちに、その中にあった後端の矢羽を見つけたのよ。切断した部分に、接着剤がベットリと付いている、後端の矢羽をね。あなたは犯行の痕跡が残っている可能性を考え、破片を記念にもらうと偽り、矢羽を自分の袴の袂に隠した。違うかしら?」
それまでの、どこか飄々とした余裕が消え、険しい顔つきになる黒薔薇弓子。
「君の言う通りだよ名探偵炎華君」
言いながら、袴の袂から、折れた後端の矢羽を取り出す。
切断した部分には接着剤がベットリと付いている。
百合静江が信じられないといった表情で、
「な、なぜなんですの、部長? なぜですの!?」
黒薔薇弓子が暗く笑い。
「君では役不足だからさ、静江君。受験のために、私は部活動をすでに引退している。だが、負けると分かっている弓道大会の試合を、放っておくわけにはいかない。君がケガをすれば、一時的に、私が試合に呼び戻される。そう思ったのさ。私が試合に出れば、必ず勝てる!」
黒薔薇弓子が瞳を閉じ、
「だが、静江君。まさか、君の骨にヒビが入るとは思わなかった。その事は、とてもすまないと思っている。御免なさい静江君。この通り謝る」黒薔薇弓子が深々と謝罪し「私は……勝利にこだわるあまり、人として何かを、大切な何かを間違っていたのだろうか?」
炎華が小さな肩をすくめ、
「その答えは、間違っているとも言えるし、あながち間違っていないとも言えるわね。そうでしょう、静江?」
言いながら炎華が百合静江のケガをした左手を強く握る。
が、百合静江は痛がる素振りを全く見せない。
炎華が静かに、
「この左手のケガは、真っ赤な嘘ね」
百合静江が驚愕の表情を浮かべ、
「さすが、名探偵炎華ちゃんですの!」
メガネを外して瞳をこする、
「あたしも部長に嘘をついていました。本当は、左手はケガらしいケガをしていないんですの。ただ、あたしじゃまだ、試合は無理だって、そう思ったので、ケガをしたフリを続けていたんですの。二人とも、だましてゴメンなさいですの!」
黒薔薇弓子がキョトンとしながら、
「そ、それでは、その、つまり」
百合静江が大きな声で、
「弓道大会には部長が出てください! あたしは……自信がつくまで、もう少しだけ……もう少しだけ、時間が必要なんですの! 部長の事は全然、恨んでなんかいないですの!」
極寒の弓道場に、少しだけ暖かな風が吹いたような気がする。
それは、我輩だけでなく、炎華も感じたようで、珍しく炎華が無邪気に微笑んだ。
☆9☆
余談ではあるが、壊れた壺は数千円の値打ちしかなかった。
無論、炎華がポケットマネーであっさり弁償した。
炎華いわく、
「素人の鑑定は当てにならないものね。やっぱり、鑑定は《何でも鑑定団》に頼むべきよね、ユキニャン」
「ニャン、ニャーニャン!」
『鑑定団!』
と、我輩も答えた。
☆完☆